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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
37/58

暁の宮殿 後篇



 「王太子殿下が到着されました」

 

 フォンビレートはグレイブが発した先触れに正確に反応した。

 問い返すこともなく、素早く執務室の扉を開け放ったのである。それは通常で言えば、部屋の主・シシリアの許可を受けない行為であるため叱責される類の行動であるが、その扉から躊躇することなく足を進めたダンを見れば、フォンビレートの行動は全く持って正解だったと言えそうだった。


 「申し訳ありません、陛下。お伝えしたいことが御座います」

 言葉だけは丁寧に、行動とはまったく一致しない挨拶とともにダンが入ってきた瞬間、執務室内は最高潮の緊張を余儀なくされる。既に、打ち合わせは済んでおり、後は実行するだけだ。

 

 「陛下、私の妻たる……」

 「よい」

 ダンの切羽詰まった訴えをシシリアは簡単に遮った。報告は既に親衛隊を通してもたらされており、これ以上の仔細は必要ない。そういう意思を持って、ダンにそれ以上の発言を許さず、言葉を続ける。

 「全て報告は受けておる。そなたの迅速なる行動の結果だ、後でねぎらってやるがよい」

 「……は」

 鷹揚に手を振り、この話はもう終わりとばかりに『労う』という言葉まで持ち出したシシリアに、ダンはようやく室内の違和感を感じ取った。生返事を返しつつ室内をぐるりと見渡す。

 自体の収束においていなければならない人材ばかりであることは確かだが、それでも1人だけ明らかにこの場に居るのが不都合な人間が居ることは明白だった。


 「……一応聞こう。……マイヤーよ、貴様誰に断ってこの場に居る?」

 自らの副官へ向けて、ダンは最大限に威厳をもって問いかけた。

 副官とは『副』官であって、それ以上でもそれ以下でもない。有事の際に、動くのはどんな国であってもトップであろう。そうでなければ、意思決定を容易にすることは出来ない。

 もちろん、副官を連れて会議に参加するものは珍しくはなく、今回の場においてモルディム及びナプレもそれぞれ傍らに副官を控えさせている。だから、マイヤーが居ること自体は決して問題ではない。

 ダンが違和感を感じたのはその立ち位置。


 「何を持って、貴様は、私の場に立っている?」


 本来、ダンが立つべきその場所にマイヤーが立っており、すなわち参加することがシシリアより認められていることを示している。つまりこの場において、正式な参加者はダンではなく、マイヤーと言うことになるのだ。

 そのことに気付いたダンが美麗な顔面を歪めながら問いかけると、マイヤーは萎縮し目を泳がせた。

 ダンはさらにモルディム、ナプレ、もしくは彼らの副官達に目を向けるが、誰ひとりダンに向かって言葉を発しない。激しい苛立ちのままに、ダンが声を強める。

 「……陛下……これはどう言うことでしょうか?」

 シシリアへ向けられたその目線は、殺気に満ち溢れている。

 自らの甥に向けられる視線に気圧されそうになりながらも、シシリアは説明するべく口を開こうする。

 「ダン・」

 「殿下」

 その説明を遮るように、静かな声が場に落とされた。

 シシリアの背後に控えたまま、フォンビレートは僅かに語気を強めつつ声を投げた。

 「陛下の御前であります」

 それは静かな、けれどもこの場が何たるかを思い出させるに十分な言葉だった。

 この場が正式な軍議の場であり、ダンは王族としてではなく臣下として立たなければならないこと、そしてシシリアは決して王族扱いしてはならないことをはっきりと浮き彫りにした。

 フォンビレートのただ一言で、場の緊張が別種のものにとって代わる。皆それぞれがこの場における役割を思い出し、その役割を全うすべく姿勢を正した。

 

 「貴様の見た通りだ」

 「……」

 「経った今、マイヤーは、この事態を収束するための案を承諾した」

 「陛下!」

 悲痛な声を上げるダンの言葉をも、シシリアは一切考慮しないかのように言葉を続ける。

 「一応説明するわ、当事者なのだし」

 シシリアの一切温度の感じられない説明に、ダンの焦燥が増す。何か、自分が敵にでもなったかのようにすら感じられた。自分がこれから述べるどんな事も、この場を覆しえないような、圧倒的に諦観あるいは傍観を求める雰囲気。


 「先ほど、王国法第48条及び軍法第3条に基づき、この度の事を緊急事態と認定。それに伴い、軍務大臣及び参謀総長、陸軍元帥を招集。……御覧の通り、元帥と連絡が取れなかったため副官を代理として招集。現在、承認された案は1つ。軍の指揮権……」

 「もう結構です」

 滔々と流れるように、原稿が用意してあるかのように語るシシリアをダンは暗い声で遮った。ここまでくれば、そもそもこの軍議自体がなぜ招集されたかなど、馬鹿でもわかる。

 「私の指揮権はもはやないのですね?」

 

 軍の総大将たるダンの暴走を懸念したシシリア、もしくはこの部屋に居る全ての者が共謀して、ダンから指揮権を奪ったのだ。総大将からの『良きに計らえ』という言葉が期待できない場合、どうするか?

 ダンは緊急事態の最中であるため、号令を発することができない。そこで、緊急の措置として致し方なく(・・・・・)代理たる副官が号令を発した、ということにした(・・)

 それがシシリアが描いた筋書きであった。

 否、ダンにはその全てをこれだけの短時間に描ける人間は一人しかいないと思えた。


 「エルバルトよ」

 名ではなく姓名で呼び掛ける。先ほどの諫言へのあてこすりだ。

 「仕組んだのは貴様か?」


 感情の読めない無機質な目がダンをとらえた。

 その奥に、ルイズを叱責した時と同じような色を認めて、ダンの頭に血が上る。

 「私は、貴様に諌めてもらわねば、国政を鑑みることもできぬ子供と申すか!」

 「……いいえ」

 呼吸のようにごく自然に吐き出された返答がまた、自分の出来の悪さをあらわにするようで、苛立ちが募る。四方八方が封じられたダンの憤りは、もしこの場にフォンビレートと自分しかいなければ殴り倒していただろうと思うほどに頂点をついていた。

 ダンの憤りを把握しておきながら、フォンビレートは決して揺らがずに語り始める。


 「殿下。殿下のお気持ちお察しいたします」

 「貴様に! 人間の、妻を失いかけている私の気持ちがわかると言うのか!」

 ダンの中に、ルイズを容赦なく打ったフォンビレートがよみがえる。彼はフォンビレートが嘘いつわりなくシシリアに対する忠誠心があることを認めると同時に、その所業を見るに人間とは到底思えなかった。どうしたら、あんなにも理性だけを優先できるのかも理解できなかった。

 正直なところを言えば、シシリアが彼に影響されて女王になっていくのも気に食わなかった。王として君臨することは冷静さに起因しない、と思っている。

 この事態に及んでも、感情の1つも垣間見えないフォンビレートは恐怖ですらあった。

 だから、この場において最も言ってはならない言葉が毀れ落ちた。


 「私は貴様のように人間をやめてはおらんのだ!!!」


 空気が一瞬で凍り、次の瞬間にはシシリアのはっきりとした怒りの言葉が部屋に響いた。

 「ダン、1度だけ機会を与える」

 「……」

 「私の執事が何だと?」

 執事は政府内における正式な役職を持たない。

 したがって、フォンビレートは王宮殿に単独で出入りすることは建前上不可能だ。フォンビレートはシシリアの所有物の一つ、つまり、彼女が身につける宝石やドレスと同じ扱いとなる。

 女王のドレスがいかに趣味が悪くとも、それを口に出す者がいないのと同じように、フォンビレートに対してどれほどの怒りを抱こうとも、それを口に出す者はいない。それは女王に対する侮辱と同義だからだ。

 もっとも、王国史上のおいて無能な執事がいた例はほとんどない。そういったものは王もろとも覆された幾つかの例のみだ。

 ダンがこの発言を撤回しない限り、侮辱ばかりか、彼に翻意があるとされてもおかしくはなかった。

 シシリアがもう1度機会を与えたのは、正しく甥への温情である。

 それを理解してなお、言葉を出すことのできないダンに室内の全ての視線が向けられる。彼が妻を失いかけてのことだと分かってはいるので、それほど冷たくはないのがダンにとっての救いかもしれない。

 「ダン!」

 「……申し訳ありません。……心が乱されておりました」

 きちんと述べられた言葉に、室内の緊張が僅かながらに解かれる。

 その空気を縫うように、フォンビレートは再び同じ言葉をかけた。


 「殿下、お気持ちお察しいたします」

 もう1度最初からやり直すことで、この間に起きた事柄全てを許すのではなく、なかったことにしようとフォンビレートは意思表示した。それにほっとした面々をぐるりと見渡して、それから語る。


 「……私は幼き日に、陛下に命を救われカルデア王国民となりました。生まれたのがこの国ではなかったことを自らの落ち度のように感じる日は多くあり、また国民となれたことを誇りの思う日も同じほど多くあります」

 「……」

 「殿下。ご承知の通り、私はイジュール家というこの国で最も尊ばれる家に仕えてはいますが、それでもただの使用人に過ぎません。私に多くを成し遂げる力が与えられているわけでもありません。……この部屋にいらっしゃる方々のように多くの戦線を乗り越えてきたわけでもなく、それゆえ最大の忠誠を示せたことは未だありません」

 モルディムもまたナプレも、あるいはダンも。彼らは全て戦線に出たことがあり、そこで命を賭して闘ったことのある忠義の者たちである。最後に戦争が行われたのは、30年も前のことであり、それ以降戦争らしい戦争は起きていない。若き頃に闘ったことのある今の上層部のみがその生き証人だ。

 その人々に対して、フォンビレートは1度も敬意を欠いたことはなく、それは執務室内にいる誰もが認めるところだった。ダンもフォンビレートの言葉が真実から発せられたものであると信じられた。

 砂漠に浸透する雨のように、フォンビレートの言葉がダンを打ち始める。


 「それでも、次の点において私は確かな確信を抱いております。……私をはじめとする全王国民は等しく国と王を愛し、出来るならばその為に、愛を実証するために力を振いたいと願っている、ということです。……先の徴兵において、只一人の辞退者も出なかったのはその証であると私は信じております。……先ほど殿下が見舞われた災難に際し、親衛隊が息も絶え絶えに、自らの形振りに構わず駆けつけたのはその証であると信じております。……この場にいる方々が誰も和平策を打ち出そうとしなかったのは、その証であると信じております」

 「……」

 「……王国民全てにこの事態が知らされたのなら、彼らは一斉に叫ぶでしょう。王太子妃殿下を傷つけた者に死を、と。我らの王に勝利を、と」



 

 「殿下、民を信じておられますか?」

 懇願するような調子で放たれる言葉に、ダンが声を詰まらせる。

 彼が答えようとする前に、フォンビレートは、自らで答えを出した。

 


 「信じておられることを知っております」






  誰ひとり身動きしなかった。


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