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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
35/58

暁の宮殿 前篇

 静まり返った夜半のフィラデル。

使用人棟最上階にあるフォンビレートの私室もまた灯りが消されている。

 今日は早くに仕事が終わり既に私室に引き上げて数時間経っているのだが、フォンビレートは着替えもせずに、未だ沈む気配を見せない月を見上げていた。自ら淹れた紅茶をともに月見中である。月明かりがあまりに見事だった。

 その口から詩が漏れ出す。


 ――天上に輝きわたる円よ。汝、無にかかる使者よ。そは天の天の支配者たれ。その眼下にある汚濁を見逃すなかれ。

   この地の汚濁を呑みこみたまえ。


 静かに紡ぎだされるその声にひかれるように、室内にリリーが降り立った。黒髪も相まって闇の塊にしか見えないが、フォンビレートは特に驚いた様子もなく、彼女を視界に入れると直ぐに月に視線をやる。

 最もリリーがフォンビレートの傍に控えているのは偶然ではないし、彼女の独断でもない。フォンビレートの指示により常にそうしているようにとの指示が出されている。有事の際に対応策を伝えに行くためだった。

 今日はそのような心配をしなくて良いほどに平和的だが、彼女はいつも通り職務を遂行していた。

 「珍しいですね。フォンビレート様がその詩を謳うなんて」

 「そうですね。……そういう気分だったので」

 それっきり会話をするつもりのないことが分かりリリーは口を噤んだ。

 フォンビレートが差し出した紅茶を礼を言って受け取り、一緒になって月を見上げてみる。

 頂上にある月がゆっくりと沈んでいく様。その背後から陽の光が昇り始めるその間際。

 それは確かに、腹立たしいくらいに美しかった。


 不意に、フォンビレートが言葉を発した。

 「リリー、宮殿の入り口が騒がしい」

 酷く切迫しているように聞こえる声に体中を緊張が駆け巡る。彼の常の冷静さを考えればあり得ない、声。

 言われて耳を澄ましてみれば、少しずつ広がり始めているざわめきを感じ取った。

 「ついてきなさい、確認しに行きます」

 「はい」

 リリーの返事を確認すると同時にフォンビレートの足が急かしく動き始める。常に乱れることのない一定の足音がほんの少し速いテンポで刻まれる。

 リリーは直ぐに天井裏に上り、フォンビレートの頭上を彼に合わせて動いている。


 外に出て、そうして二人はあり得ない光景に出会った。

 「フォンビレート様! ダン殿下の親衛隊からの先駆けです!」

 フォンビレートの姿を認めた衛兵が声を張り上げる。その言葉で、やはりそうだったのかと納得した。

 絶対に主の周りから離れることのない親衛隊――優雅さと強さを旨とする彼ら――が、普段の面影なく馬上にいた。

 その瞳は冷静さを欠き、それでも必死に何かを訴えようとしている。

 事態を把握すると同時に、その収拾へ向けて最善策を打ち出すべくフォンビレートの頭が回転を始める。

 「衛兵は通常業務に戻ってください。現在何も把握できていない状態ですから、他言無用です。良いですね?」

 「はっ」

 「それから親衛隊のお二人は報告を近衛隊隊長に。この認証印を渡しますので、門衛は通過できるでしょう。報告が終わったら執務室までお越しくださるようにご伝言ください」

 親衛隊と近衛隊にはそれぞれ隊長が居るが、有事の際には近衛隊がまとめて取り仕切ることになっている。

 ただし、近衛隊が守るのは宮殿最奥部に居るシシリアであるため、彼らの居る所まで行くためにはいくつかの検問を突破しなければならない。

 そこで、フォンビレートは緊急時に使うことが認められている『印』――問答無用で全ての検問を通過できる――を差し出し、無駄な手間を取らせない指示を与えたのである。

 印を渡された2人もまた、直ぐに馬から降り宮殿へ向かって駆け出した。

 その背中を見ながら、場に正規の者が誰もいなくなったことを確認してからリリーに指示を出す。

 「リリー、コールファレス及びファーガーソンに指示を出しに行きなさい。団長2人には存在を知らせていますから、直接届けるように」

 命令を聞くと同時に、リリーは音もなく場から去った。あと幾つか対応しなければいけないことがあるため、フォンビレートもゆっくりはしていられない。

 もろもろの対応策を出すため、踵を返そうとしたその誰もいなくなったはずの空間に小さな呟きが広がる。


 その声にフォンビレートは一瞬動きを止め、当然のように冷笑した。 


 全てが動き出していた。

 





 宮殿最上階。その最奥にあるシシリアの私室の前に立つ近衛兵は、近づいてくる足音に身を引き締めた。

 一定のテンポで刻まれるそれの持ち主が姿を現すことで力を緩め、即座に敬礼する。


 「フォンビレート様」

 多くはないが、稀にこのような事態はある。

 早急に対策しなければならないことがある場合が年に数度あり、そのうちの何回か彼はフォンビレートの訪れを経験していた。

 目的も人物も分かれば、無駄な緊張感はなくなるものだ。


 「どう……さ」

 「申し訳ないが、説明している暇も取り次ぎを頼んでいる暇もありません」

 彼の言葉を遮るようなフォンビレートの厳しい声と表情に一瞬で喉が閉まった。もう1人の立ち番の息を吸い込む音が響く。彼がごくりと唾を飲み込むのと同時に矢継ぎ早に指示が出た。

 「お二人にお願いしたいことが3つあります。1つは、ダン殿下の副官、参謀総長に執務室までお越しくださるよう連絡をお願いします。2つ目に、メアリ女官長をここに。侍女の夜間勤務の者に頼めばよいでしょう。くれぐれも侍女棟に立ち入ったりしないように。いいですね?」

 「は、はい」

 日頃の訓練の賜物か、何とかどもりながら返事を返す。

 「よろしい。3つ目にこれは他言無用で速やかに動いてください。同僚にも漏らすことのないように。何か聞かれたら知らないと。無駄な推測など一切喋らないように」

 「……」

 「仮に、この話が私の預かり知らぬところで漏れた場合あなた方二人を処罰すると考えてくださって結構ですので。……質問はありますか?」

 誰にでも丁寧に接し、管轄外に関しては決して命令口調で話さないはずのフォンビレートの命令に、自分たちの役割の重さを知る。

 二人は目を合わせ短く敬礼すると、各々で役割を分担したのだろう、それぞれ別の方向に静かに動き始める。

 それを見届けてから、フォンビレートはシシリアの私室を静かに叩いた。


 「陛下、緊急事態です」


 一度だけ返事を確かめた後、フォンビレートは不作法に鍵を回した。

 『緊急事態のみ』執事は王の私室に入ることができるとされているが、歴史上この鍵が使われたことはあまりない。おそらく、一桁であろう。

 それを使う位に彼は報告のあった出来ごとを緊急であると捉えていた。


 「陛下、失礼いたします」

 一言断ってから、静かに扉の内側へ足を滑らす。

 迷いなく天蓋ベッドに近づく。さすがにレースを開けることはできないので、その場から一歩も動かずにもう一度声をかけた。

 

 「陛下! ……陛下!」

 何度か声をかけると、レースの向こう側に身じろいだ気配を感じた。

 「フォ……ン?」

 「はい陛下。フォンビレートでございます」

 「そう……な、……フォンビレート!?」

 半分夢の中で答えたシシリアにはっきりとした肯定を返した瞬間、シシリアは飛び起きた。あり得ない事態はつまり厄介すぎる事態を意味すると知っている。その認識が彼女を王としての思考に目覚めさせた。

 

 「何が起こった?」

 「陛下、落ち着いてお聞きください。先ほど、メリバより早馬が参りました。内容は……」

 「まさかダンが!?」

 メリバという単語が出てきた時点で、彼女の思考は最悪の事態を想定する。

 だが、事態はそれよりもさらに混迷を極めていた。

 「いいえ、そうではなく。王太子妃エリザベス殿下が暗殺されたとのことです」

 「なっ……!」

 あまりのことに息が止まる。

 「容体は?」

 「まだ命を失ってはおられないようです。しかしながら、意識はなく予断を許さないと……」

 「そう……」

 それは考えうる限りで最悪で最低な結末を暗示するものだった。

 ダンの愛妻家ぶりは王国内でもよく知られている。彼のエリザベスへの愛情は執着心と呼んでも差し支えがなく、それはときどき狂った一面を持つことを2人は知っていた。今回の場合、まだ死んでは居ないのが不幸中の幸いだが、それでもダンは怒りに身を震わせただろう。

 つまり――

 「もうすぐダン殿下がこちらまで直訴にいらっしゃるでしょう」

 「そして、全面的な協力を訴える、でしょうね」

 彼が怒り狂い、自分の全権力を使って暗殺者を排除しようとすることは想像に難くない。

 事実、彼が数名の親衛隊を引き連れてフィラデルへ向かっていることが報告されている。


 その全てを聞き終えてから、シシリアは瞳を強めた。

 それはすなわち彼女が女王として政務を執行し始めたことを意味し、フォンビレートは心中で舌を巻く。フォンビレートが思うに、この冷静さこそが彼女の女王たる資質であった。

 もっともそれを口に出すことはなく、代わりに、フォンビレートが報告を受けてから施した対応策を滑らかに語り始める。

 「こちらで行った対処は4つです。1つ、メリバへ向けて、ケリルの増員とファーガーソンの出動を発令しました。もちろん、目立つのは得策ではありませんので、王領全てへのケリルの増員として発令しています。実際には、ファーガーソンにはリリーをやり秘密裏に出立するように指示を出しています」

 王領の防御を担うケリルと事件性を考慮してのファーガーソンの派遣。どちらも必要なものである。その2つを迅速に行ったなら、混乱は最小限に食い止められる。

 「ソーイに直接お願いしましたので、情報の漏えいも最小限に抑えられるのではないかと」

 「……いいわ。続けて」

 頭の中で整理したのち、それが問題ないことを確認してシシリアは先を促した。

 「それから、近衛隊長とダン殿下の副官であるマイヤー様、参謀総長のナプレ様の3名を執務室までお呼びしております。今後の対策を検討されるのに必要かと思いまして」

 カルデア王国軍自体の総大将――つまり、最高権力者――は元帥たるダンであるが、実質全てを取り仕切っているのは人事の指揮者モルディム軍務大臣と作戦全般を発案するナプレ参謀総長である。しかしながら、ナプレが命令を発するためにはダンが『全て予期に計らえ』と述べる必要があるのだ。つまり指揮権の正式な譲渡が必要となる。

 

 「……ダンはどう言うかしら?」

 「憤られるかと」

 甥を心配するシシリアの言葉に、フォンビレートは最大限配慮を払った返答をした。

 『憤り』だけで済むなど誰も思っていない。

 しかしながら、必要な措置であるとシシリア以下誰もが理解しており、おそらく了解されるだろう。

 「致し方がないわね。あとの2つは?」

 ほんの少し甥に同情し、それから頭を振って為政者として判断を下す。

 フォンビレートも特には、シシリアの心情へ言及せずに話を先へ進めた。

 

 「3つ目に、念のため女官長を含む全て(・・)のイジュール家使用人を待機させております」

 「全て、なのね?」

 「はい、全て、でござます」

 間髪いれずにやり取りされる主従の会話。

 全ての、ということはつまり、隠密方を含む動かせるだけの駒を配置したということである。

 それはすなわち、ダンにそれらの駒を一つたりとも使わせないという意思表示である。前の2つの処置と合わせて、ダンは王都から動くことさえできなくなったということだ。

 「……4つ目は?」

 「コールファレス王立騎士団は配置を完了いたしました(・・・)

 端的に告げられたその言葉は、カルデア王国が戦闘態勢を完全に整えたことを示している。

 そしてそれはシシリアに、今回の事態をフォンビレートが予測していたことをも示しているように思えた。1度大きく息を吸って、自分を落ち着かせる。

 シシリアは必死に自分の感情を制御しようとしていた。


 「フォンビレート、正直に答えなさい」

 怒りを押し殺すように、低い声で問いかける。

 「貴方は、エリザベスを救えたの?」

 「……」

 「答えなさい!!」

 沈黙を守るフォンビレートへのシシリアの小さな激昂が部屋にこだまする。


 シンと静まり返った部屋で、絨毯とフォンビレートの靴がすれる音が響いた――。


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