陰影 前篇
「また厄介なものを……」
シシリアは手元の書類を見つめながら、独りごちた。
先日とり潰したコールファレス王立騎士団の代わりとなる騎士団をつくる必要があるという王国議会からの提案書である。その書類の右隅には小さくフォンビレートのサインが入れられていた。
彼女とて、その必要性があることを理解していたが、大量に処罰した現在あまり大きな人事異動は出来ないという判断をしていた。だが、彼のサインが入っているということは、腹案があるということだ。言い換えれば、彼にそれをするだけの計算があるということになる。
「レライ。どう思う?」
他の案件に取り組んでいたレライに話を振れば、彼もまた険しい顔になった。
「私の考えを申し上げれば、少々困難であるかと……」
現在、カルデア王国に存在する4つの騎士団はそれぞれ役割を持って動いている。
例えば、ファーガーソンは国内の有事に動くことが多い。先のアルイケ茶葉事件のにおいては、自らの父親すら厳罰に処したということで、国民からの人気が非常に高くなっている。
一方、先の反逆に際し潰されてしまったコールファレスは国外の有事に際し動く、つまり戦争時に動く精鋭部隊であった。これを補填するとなると他の騎士団から引っ張ってこなければならないのだが、さてなかなか難しい。
他の2つの騎士団がコールファレスを担えるような状況に無いからだ。
2つのうち1つ、ケリル王立騎士団は王宮殿や直轄領にて働く、いわば派遣の騎士団である。そのため、戦闘のために備えるというよりは、国民に最も近しい存在として知られている団である。一応、軍部に属してはいるが、実態は治安維持を行っている警部に近い。
サーブと呼ばれる騎士団は、その名の通り、退役した騎士と新人とも呼べない見習いによって構成されており、本当に人数が足りないときに、裏方で徴収される騎士団だ。時々、伝説の英雄チックな奴らの巣窟になることはあれど、基本的には最弱である。
そして、ミスタリナ王立騎士団。
ここは5つの騎士団中、最も異質の空気を醸し出している。
探索に飛びぬけた団であり、その在り方は他の騎士団とは一線を画している。騎馬に優れることがこの団に配属される第一条件であることからもわかるとおり、この団における強さの基準は、馬に乗った状態で如何に剣をふるえるかというその一点にある。他の団のように、基本的な剣技に優れているかどうかはあまり関係なく、実際まともに向き合えば弱い人間もそこそこ居る。
こんな状態であるので、シシリアとレライが頭を抱えるのも無理はなかった。
一番現実的と思える案は、サーブから一時的に退役した騎士たちを動員し、他の団から中堅どころを選抜して鍛え上げてもらうというものだ。中心になるのは、最も団員数の多いケリルになるだろう。
……ものすごく不満が出るだろうが。
「どうしましょうかね……」
「そうよね……ん? そういえば、この案件にゴーサインを出した張本人は?」
フォンビレートが室内から忽然と消えていることに気付いたシシリアが声を上げる。
いつもは意識しなくともあの黒服が視界をうろついているのに、先ほどから見かけていないことに気付いたのだ。
「さて……大方、ミスタリナにでも稽古に行っておられるのでしょう」
「…………そう言えば、有望な新人が入ったとか何とか、クイートが言ってたわね……」
朝の定期報告で、ミスリルの団長たるクイートが言っていたことを思い出す。
同時に、フォンビレートの目が爛々と輝いていたことも。
「「ご愁傷様」」
名も知らぬ新人にそろって黙とうをささげる。
可哀そうな気もするが、それよりわが身がかわいい。
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カンカンカン、と小気味のよい音が響く。
中央で手合わせしている2人の瞳は真剣そのものだ。
時折「はあ!!」と気合を入れながら打ち合いは続く。
「まいった!!」
片方の剣が飛ばされるのと同時に、敗北宣言をし、そこで打ち止めとなった。
互いに開始線に戻り、礼をしてからそれぞれの稽古へ戻っていく。
「次!」
騎士団長の鋭い声とともに、次に打ち合いを行う2人が呼ばれた。
それぞれ、開始線まで進んだところで、片方が顔をゆがめた。
「……団長、これはちょっと無理じゃないっすか?」
情けない顔で、普段なら絶対に使わない砕けた口調は泣きさえ入っている。団長は、ニヤリと人の悪い笑いをしながら、首を振った。
「いや、これは名誉の負傷だ。特別に武器制限を解除してやるから、全力を尽くせ」
「ぶ、武器制限解除とか何考えてんすか? え? 俺に死ねって言ってるんすよね? そうっすよね?」
半ば自棄になりながら喚けば、事態に気付いた外野から同情のまなざしが集まった。
「ルーザス! 死にやしねぇ」
「新人が通る、単なる普通の、名誉の負傷ってやつだ」
「くさるな、くさるな」
名誉の負傷に『単なる』とか『普通の』っておかしいでしょう!!
そう突っこみたいが、周りの笑いがそれを許さない。
年長の団員からかけられた言葉に、心中で滂沱の涙を流しながらようやく向き合う覚悟を決める。
目の前にいる『ミスタリナの悪魔』もとい『突然訓練に来ては新人の心をもれなく折っていく筆頭執事様』に一矢報いようと、心に堅く決めて。
「早くしてくださらないと、政務が滞るのですが?」
涼やかに微笑む彼はやっぱり悪魔に違いない。
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「バケモンめぇ…」
数十分後、予定通り敗北を喫したルーザスの周りを幾人かの団員が取り囲んでいた。
理由は言わずもがな、一本も入れれずに、一方的にやられまくった彼の精神的ケアのためである。
ルーザスの名誉ために言えば、彼が弱いといわけでは決してない。
今日に限って普段はしない乗馬しない手合わせだったのが、全ての不幸の始まりである。
なぜ今日に限ってその稽古をしていたのかといえば、それは彼らの持つ裏の顔に起因している。
彼らの裏の仕事は、騎士団内部の監視という他から蛇蝎のごとく嫌われるものであった。
そのため、秘密裏に処理すべき案件が回ってくることも少なくない。フォンビレートがイジュール家の隠密部隊をつくってから、その手のものを扱うことは減ったが、それでもゼロではなかった。事実、ミスタリナに所属する団員のうち3分の1は氏素性が全く知れない者たちである。
そうして廻ってくる命令に従って、騎士の罪をとがめようとすれば、必然的に手合わせする必要性が生じ、そのために稽古を行っているのである。最も、まっとうな剣術など彼らは扱わない。
いわゆる「暗殺術」と言われる、砂による眼つぶしや罠にかけるなど日常茶飯事。およそ、騎士道精神などとかけ離れたところにある剣術を用いる。生きる方が大事なのだ。
従って、この団にはいる人間は誰もかれも「戦場で生き残れる」という意味での強者ばかりであった。
さて、そんな団に所属するルーザスが弱いはずはない。
弱いはずはないのだが、今回に限っては相手が悪かった、としか言いようがなかった。
周りにいる団員も、昔にやられた経験ありであり、肩をたたく手には真の同情がこもっている。
「大体、なんであんなに強いんスか、フォンビレート様は……」
ぼやくように問えば、一斉に肩をすくめる。
「さあな。俺たちは知らんが、団長なら知ってるんじゃないか?」
「なに、気にする必要はない。どうせ、ろくでもないことで強くなったんだろうからな」
「そーそ。お前はまだいい方だぞ?」
「お前は年上のアイツにやられたからいいじゃないか。俺たちはアイツが12才の頃から連戦連敗だぜ?アイツに勝ったことがあるのは団長くらいさ……」
口ぐちにかけられる慰めの言葉に、一層肩を落とすルーザス。
「ま! 今日はおれたちのおごりだ。飲みに行こうぜ! な!」
「それで忘れちまえ!」
「はあ……」
ルーザスをなんとか立ち上がらせ、全団員は休憩するべく食堂へ向かった。
それを背後から見送りつつ、フォンビレートはニコリと微笑みを浮かべていた。
もし彼らが、フォンビレートの存在に気づいたなら、謝り倒すであろうくらいの良い笑顔である。
「クイート様。教育を疑いますよ?」
「だったら気配を消すんじゃねぇ」
フォンビレートが寄りかかっていた大木の頂上から男が降りてくる。
隆々とした筋肉に似合わず繊細な着地だ。それを気配だけで感じ取ったフォンビレートは何事もなかったように上に戻る。
「なんだあ? 俺の横では話せないってか?」
「いいえ、貴方と居ると夢と現が解らなくなるので」
伝えたい相手にだけ伝わるように制御された声が、静かに発せられた。
「なんだ、気付いたのか」
「気付かない方が馬鹿では? 胸元から香りすぎです。もうひと匙減らした方がいいですよ」
「そうか、今度試してみよう」
クイートの胸元から発せられる香りの正体は、幻影を見せる香料である。
酩酊に近い状態を一瞬で作り出せるほどの強力な作りであり、カルデア王国では禁止薬物であった。それを置いておきながらクイートが平気な顔が出来るのは、特殊な訓練を受けた隠密だからに他ならない。
「ていうかよ」
「はい?」
「察知できるお前ってやっぱり何モンだよ」
「訓練すればだれでも出来ることですよ」
「……訓練すれば、ねぇ……まあ、不可能じゃないわな。出身がクメールとなりゃあ不思議でもない」
「浚われただけですよ……大体、貴方だって十分おかしいのですが?」
「俺は耐性があるだけだ。お前は、分量まで把握してやがる。規格外にもほどがあるだろう?」
そう言いながら、クイートは自らが手の中で弄んでいた短刀を、上へ向かって一直線に投げつけた。
鋭い切り裂き音とともに、木々の間をぬけていく。
「20点。筋肉のせいで、予備動作が大きすぎます」
冷静に降り注ぐフォンビレートの言葉にクイールは苦笑いした。
1ミリにも満たないこの動きを『大きすぎ』などと表現するのは、大陸広しと言えど、フォンビレートだけだろう。彼に勝る暗殺者をクイートは見たことがなかったし、これからも見ないだろうと確信している。自分の部下相手に確実に負けると予感している俺って……と思わないでもない。
「久々に手合わせしないか? 剣で」
声をかけながら腰元の大剣に手をやる。いつでも抜刀できるようにだ。
「暗鬼への挑戦ですか?」
「いや、正真正銘、フォンビレート様にだよ」
からかうような言葉に、クイートは真面目に答えた。最近、団員の能力が平均化されていて楽しくないのだ。全てが上手く、全てにおいて迫力に欠ける。だからこそ、暗殺を行え、なおかつ剣も扱えるフォンビレートに挑んでいるのだが。
「いえ、やめておきます。死ぬわけにはいかないので」
「へぇ……逃げるのか?」
「腐ってもミスタリナ王立騎士団のナンバー2ですから。得意でない剣に懸けるほど熱くないので」
至極真面目な調子で放たれる言葉に、クイートは今度こそ声に出して笑った。暗器の扱いが凄まじいので、時々忘れてしまうが、フォンビレートは剣の腕前は決して良い方ではない。むしろ、中の中という、平凡な腕であり、儀礼用でなければルーザスにだって負けてしまうだろう。
「まったく……書類仕事は全てユミルに押しつけて筆頭執事をしている奴が良く言うよ……」
「それでこそ本分であるかと」
フォンビレートの代わりに副団長代理を押しつけられている哀れな女のことを思い出す。毎日毎日どうにかするよう催促されているが、自分に実害がないうちは動かないつもりだ。
「陛下はいつになったら気づくのかね?」
「……さあ。少なくとも、繋がりがあることには気づいていらっしゃるでしょう」
「ほお……あの女王様もどうしてなかなか腹黒だからな……」
「まあ、そうでしょうね。でなければ、私にこのような命令書を託すこともないでしょうから」
フォンビレートの言葉とともに1枚の紙がヒラヒラと降りてくる。
「ケリルか……また、面倒くさそうな奴だな」
「仕方がないでしょう……仕事なのですから」
「そうだな、仕方がな……」
面倒くさそうに動こうとしたクイートが何かに気づいて動きを止める。
執行の欄に、フォンビレートのサインが入っているのが見えたのだ。
自分の体臭と混ざり合って気付かなかったが、そう言えば血の匂いがしていたなと思い出す。
自分たちはもう染み込んでいるので気にしないが、彼は筆頭執事だ。シシリアの前へ出る前に匂いを薄めに来たのだろう。
「なんだ、お前がしたのなら直ぐに言えよ」
呆れたように頭上を仰げば、そこには既にフォンビレートの姿はなく、幹の反対側に僅かな音を捉えただけだった。風にまぎれて、辞去の挨拶が聞こえ、直ぐに気配がなくなる。
クイートは一度大きく伸びをすると、報告前に昼食を取るべく歩き出した。
紙であったであろうモノは、灰となって風の中に飛び散り、もう跡形もなくなっていた。