執事と陛下と真実と ~王宮殿・執務室にて~
陰鬱な空気が流れていたシシリアの私室に音が響いたのは、ルイズとフォンビレートが『名無しの小部屋』に入ってから優に1時間を超えた頃だった。 ダンは首を上げ、泣きはらしたルイズの瞼をその瞳捉えた瞬間、堪え切れず、フォンビレートへ向かって凄まじい敵意を剥き出しにした。最もそれは直ぐに納められたし、フォンビレートも黙殺したので、二人以外は気づかなかったが。
「ルイ・」
「シシリア陛下」
ルイズに声をかけようとしたダンを遮って、ルイズは声を上げた。
シシリアへ向かい臣下の礼をし、跪く。
「このたびの件、深く陳謝申し上げます。また、ご温情によるこのたびのすべての差配に対し、お礼申し上げます」
「理解したのか?」
「はい。己の愚かさと、惰弱さを理解いたしました」
「……そうか」
「はい」
しっかりと返事をするルイズを見、小部屋で行われたすべての事を理解したシシリアはフォンビレートへ視線の向けた。
『ご自由に』
おそらくはそう書かれているであろう表情を読み、シシリアは一言だけ声をかけることにする。
「励め」
それは彼女の、精いっぱいの主家としての気遣いであり、王としての言葉であった。
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夜の帳が下りて、しばらくのち、シシリアはフォンビレートと向かい合っていた。ソファにだらしなく座り込み、天井を見上げる。
大きく深呼吸してから、姿勢を正し、フォンビレートへ問いかけた。
「つまり、どういうことか聞かせてもらえるかしら?」
「はっ」
フォンビレートは臆することはなく、いつも通り短く鋭く、返事をし、報告書を差し出す。その報告書には『破棄』と印が付いてあった。
それはすなわち、王権授与者のみに口頭で伝えることがらであり、王国の公式記録には一切残らないということを示している。
「今回の騒動を、内輪で納めるために国家機密費46,200ルーハを使用いたしました。内訳はそちらに記載の通りです」
フォンビレートの言葉に促されて、紙面を順に目で追っていくと、確かに内訳が一覧で記されている。シシリアに一枚きりの原本を渡し、フォンビレートは説明を始めた。
「まず、ジュエル大商会への40,000ルーハですが、これは口止め料と奴隷の買い上げ料です。生贄として、買い上げましたので、多少値が張っております」
「そうね、いつもの倍はしているわ」
「仕方がありません。先に罪をでっち上げたうえで、買ったのですから」
「……何の罪もない少年に……心が痛むわね」
シシリアが眉をしかめて、コレルに同情してもフォンビレートは動揺を見せなかった。それは態度からして、この結果におおむね満足しているという事を示している。
「それでも、王家直属の軍隊を動かした代償にしては、安いかと」
「……そうね」
今回、実際のところ罪も、もっといえばダンに対する『暗殺計画そのものが』存在しないのである。
事の真相はこうだ。
ルイズが外出禁止令を破り、外に出たあの日。
下級使用人たちは、それが、いつもの家出―― とも呼べないが ――だと知っていた。ところが、ダンはその事実を知らなかったのである。
いつもなら問題はなかった。部屋を点検していたのは下級使用人であり、彼らが誤魔化しているうちにルイズが戻ってくるのがお決まりのパターンなのだから。だが、その日、ダンはそれを下級使用人にまかせず、自らルイズの元まで赴いたのである。
当然、行ってみればルイズはいない。
そこで、ダンは最悪の行動をとった。
使用人たちに聞くより先に、直属の軍隊を動かし、「ルイズを探せ」と命じたのである。そのために動かされた者たち500名。
それどころか、ヒデロム伯に対し、応援要請まで出したのである。
ところが、一晩中探しても見つからない。
焦燥に駆られる屋敷の喧噪のなか、唯一自体を把握している洗濯係や清掃係達にはそのことが知らされなかった。なぜなら彼らは、本当に下級の使用人であり、持ち場を離れている時間はほとんどなかったのである。したがって、彼らがルイズが探されていることを知ることもなかったし、実はルイズが自らでていった事実はダンの耳まで届かなかった。
そして、決定的な自体に陥る。
憔悴したダンが再びルイズのもとにもどったとき、コレルを目撃してしまったのだ。しかも、ともにベッドに寝ている状態ではなく、コレルが起きだし扉に手を掛ける瞬間に出くわしてしまった。ダンにとってコレルは曲者であり、当然とるべき対処をとった。
すなわち、彼を切り殺したのである。
それに関して、ダンの側に明確な落ち度はない。
しかしながら、カルデア王国側には十分な落ち度になった。
つまり、ジュエル大商会から見れば、「そちらの人間が勝手に奴隷をつれだした上、不審者と勘違いして殺した」のである。商品を全く無価値に落とされたのである。商会は激怒し、ロンドニト大統一帝国を通して、正式に抗議がなされた。
それに慌てたのは、シシリア達内政に携わる者たちだ。
一応、事前にダンから事情は通されていたが、それでも予想を上回るバカっぷりである。
手の施しようがない。
言い換えれば、無傷のまま切り抜けられる術は一切なくなっていた。
その一切の処理をまかされたのがフォンビレートであり、彼はすべてを虚偽の上に築いて、偽りの物語を作り上げたのである。
もともと、ダンのもとに不審者の情報がもたらされていたことを利用し、ダンが暗殺者として狙われていたことにし、その上で、無実の奴隷、つまりコレルをその実行犯に仕立て上げることでダンの行為を正当化する。また、内部の事情を知っている者たちを処分するため、王家内では、誤出兵であることを公然の秘密とし、ルイズの外出に関わったすべての人間を処刑に処する。
そのために、フォンビレートは40,000ルーハの大金をジュエル商会に差し出したのである。これには、コレル自体の値段に加えて、今後、カルデア王国内で評判を下げてしまうであろうジュエル大商会への補填も含まれている。機密費としてとり分けられた国庫が6分の1消えるほどの大金であるが、レライは「これでよくおさまりましたね」と呆然としながら述べるほどの破格の金額であった。
すべてはフォンビレートの手腕である。
「貴方が一体どんな手段を使ったか聞いてみたいわね」
遠い目をしながら、シシリアが軽い愚痴を吐きだした。
きっと酷く荒んだ交渉現場だったに違いない。
「残りの6,200ルーハですが、これは、罪人21名の家族への補償です」
深く思考へ逃げ込んでいたシシリアをフォンビレートの声が引き上げる。
明細の最後に記された1行へ目を向ければ、そこには確かに『補填』と記されていた。
「結局、逃がしたのね」
その明細の意味を正確に理解したシシリアに、フォンビレートは軽く首肯して見せた。
「はい。すべてクラミズ様にお願いし、王家庭園・ブランシュの奴隷として引き取っていただいております」
フォンビレートは事態をすべて把握した時点で、使用人への処罰と命の均衡を図ろうと努力し、クラミズへ協力を要請した。彼は、クラミズの下の位であるため、本来はお願いするべきではないのだが、クラミズがルイズの逃亡に目をつぶったという弱みに付け込んで、この確約を得たのである。
実際に首を切られたのは、近々処刑予定であった本物の罪人21名であり、6,200ルーハのうち約3,000ルーハは演技をお願いした家族への報酬として支払われている。残りは、急に使用人が増えてしまったクラミズへの給与として支給された。
「まぁ、これが最善ね」
納得したように、2度3度と頷くシシリアにフォンビレートも同意した。
「これ以上を望めば、ロンドニトとの戦争も視野に入れなければならなかったでしょう」
「そうなれば、46,200ルーハごときでは済まない、か……」
「はい」
軍隊とは力であるが、平時はその限りではない。
むしろ経済こそ、力の均衡を崩すものである。
仮にこの金額を支払わなければ、ロンドニトまず間違いなくカルデアへ向けて軍事行動を起こしたであろう。すべては、自国の経済の名誉を守るために躊躇なくそうしていたに違いない。
最もそれは最悪であって、ロンドニトもそれは望んでいなかったため、秘密裏の処理に協力してくれたのである。
「ところで、ダン殿下にご説明は?」
「同時進行で行った。まあ、理解ぐらいはしただろうな」
「納得はいかないだろうが、ですか?」
片眉を起用に上げて聞く執事に対し、シシリアも苛立ちを隠さない。
「そうだ。……あの年の子供に現実を知らしめる必要は……などと最後までごねていたからな」
「……必要です……絶対に」
ぼやくシシリアは思いの他、真剣な声色で返された返事に、幾分驚いてフォンビレートを見た。憂いに沈んだ瞳は、彼がルイズの悪を理解し、正したかった理由を教えてくれている。
「解っている。もうさせない、約束するよ、フォン」
「もったいないお言葉です。陛下」
彼が負ったすべての傷を覆い尽くすほどの幸福感に押されるように。
公の場よりも親愛の情をこめたその名に、フォンビレートは黙って頭を垂れた。
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後の歴史家は語る。
1546年を境にして、賢帝・ルイズの生き方は180度変わった、と。
彼女が、奴隷への人権に配慮する法「ヨベルの温情」を制定したのはそれから30年後。彼女の治世・第1年のことであった。
『奴隷に対し、従属の選択肢を与えたこの法は、近代国家の礎を築いたと言っても過言ではない。7年ごとをヨベルの年と名付け、その年にすべての新たに奴隷となった者に対し、従属と解放を選ばせることを定めた同法は、主側に対し奴隷に対する優しい気遣いを促し、奴隷に対しては主人に対する絶対的な忠誠心を植え付けることに成功した。また、特権階級の反発を最小限に抑えて奴隷の権利を拡大するのにも、他国に対して自らの先進ぶりを示すのにも大いに役立った。
現においてさえ、選択の機会を与えられて尚、従属を選ぶ奴隷が半数を占めることは、同法の制定が、自らの皇としての立場をわきまえ、なおかつ、すべての階級への配慮を最大限に払った、賢帝・ルイズの歴史上稀にみる英断と言うことが出来る。』
―― カルデア王国法の近代性に関する一考察より引用