騒動の始まり 中篇
任命式から数日後。
定刻通り、私室の前に自分を迎えに来たフォンビレートを見て、シシリアは某かが動き出したことを理解した。
その表情は何時も通り無感動に見える。
だが、フォンビレートともう何年も顔を合わせているシシリアには、彼の瞳がらんらんと輝いているのが分かった。
あとで問い正そうと決めて、導かれるがままに歩きだす。
窓から降り注ぐ春の陽気は、廊下を明るく照らしている。
ところどころに置かれた高価な調度品。物々しい騎士たちの敬礼。侍女や侍従の盛大な見送り。その中を、フォンビレートが先導し近衛兵に囲まれて歩く。
どれも、数年前まで想像することすら出来なかった自分の姿だ。
もちろん、独身であったシシリアは王族としての籍が残されていたため、近衛兵に守られて人生を過ごしていたし、相応の敬意も受けていた。
だが今や王となった彼女には桁違いの兵が付き、王宮に居る全ての人々が、どんな高貴な家柄のものであっても自分に傅いているという現実は妙に幻想的だ。数ヶ月は慣れないのだろうな、と予感している。
それに引き換え、フォンビレートは堂々たるものだ。
数年前まで唯の第3執事補佐であったことなど、誰が想像できるだろうか。それほどまでに王宮殿の華やかな雰囲気を軽々と背負っている。
日の光を浴びて柔らかに輝く金色の髪だけを見つめて、シシリアは廊下を進んだ。
どうぞ、と恭しく示された扉をくぐれば、彼女の執務室だ。
王と直下の部下だけが入ることの出来る部屋。
その一番奥の席にシシリアが着席すると同時に王宮殿中の鐘が鳴り響き、執務開始を告げ知らせた。
この時間が早くも遅くもならずに着席することがシシリアの仕事の一つで、それを今日も確実に行えた事に内心安堵する。
開始と同時に事務官達が大量の書類の決済を求めてシシリアの机へ押しかける。代替わりしたばかりのカルデア王国には、通常業務以外の仕事が山積みだ。
皆、不眠不休も辞さない覚悟で働いているわけで、王たるシシリアが投げ出すわけにはいかない。力の及ぶ限り読み、署名し、また読み、署名する。
そんな単調で、慎重さが求められる作業を繰り返しているうちに昼時を知らせる鐘が鳴る。
「ああ、もうこんな時間ね。休憩にしましょう」
「はっ」
有能な者達が集中しているのを妨げるのは気が引けると言えど、自分が休まねば誰も手を止めることが出来ないことも分かりきっているため、態と声を掛ける。
突然の声がけに驚いたような挙動の後、部屋中の者がさっと立ち上がり恭しく頭を垂れる。
「しっかりと休憩するように」
「はっ」
もう一声気遣ってから、意識して悠然と、扉へ向かって歩き退出した。
―― まったく、王という生き物は難儀なものである。
「そうは思わない?」
「いいえ」
シシリアに直系の家族は居ないため食事は常に一人きりだ。あえて共に居る人間をあげるとすれば、厨房から食堂へ料理を運んでくる者と給仕をする執事の2人ぐらいものである。
食事中に給仕へ向かって必要以上に話しかけるのはマナー違反であるが、味気なさには勝てない。丁度食後の紅茶になったことだし、と、先ほどの自分の挙動をネタに話しかけ同情を買おうとした結果がこのにべもない返事で、気持ちが一気に下がる。
「……ねぇ、貴女って私の臣下よね?」
不機嫌さを態と全開にして問いかければ、僅かばかりに首が傾げられる。
「臣下と申しますか、使用人と申しますか。そのような存在ですね」
「屁理屈捏ねるな。分かってるくせに」
「以後気をつけます」
「それ何回目?」
「125回目です」
「いい加減学習して頂戴」
「御意」
ああ言えばこう言う。底なしに嫌味な執事だ。本当に125回目なのだろう”以後気をつけます”なのだろうところまで嫌味だった。
なぜ私はこやつを執事に任命したのだろう。
「さてなぜでしょう?」
「……思考を読むのは禁止します」
「申し訳ありません。善処いたします」
「難しいって?」
「とんでもございません」
執事にあるまじき仕草で軽く肩をすくめる仕草まで堂に入っていて、ほんっとうに嫌味である。
フォンビレートと話すときに常備しているため息を極限まで吐き出した。
「で?」
呼吸を整えつつを振れば、片眉を器用にあげて笑ってみせる。
―― ああ、やはり。
「本題に入りなさい」
今朝見たのは幻などではなかった。
神々しい微笑の奥に爛々と猛る炎。舌なめずりして獲物を嘲笑する捕食者。
「引っ掛かった獲物は誰?」
「ジェームス=ダイナン=ダ・アルイケ侯にございます」
その名前に、シシリアは眉をしかめた。アルイケ家はシシリアの姉・シュレが降嫁したため、王家にも近い家柄である。最も、シシリアが生まれる前にシュレは亡くなっていたため記憶はないが、事実としてそうであった。アルイケ侯ジェームズはシュレの孫にあたるため、王国法の規定でいえば、シシリアの親族に該当するほど近い血である。
さらに言えばジェームズは現在の諮問機関の一員であり、また、現在の貴族の中でもっとも有能な人物であると目星をつけていた。出来るなら取り込みたいとさえ思っていた人物である。
そのため自然、シシリアの顔が険しくなる。よりよって一番手のつけにくい人間が引っ掛かってくれたものである。
「……よりによってアルイケ侯?」
「はい」
頭の痛いことだと思いながら、目線だけで続きを促す。
「昨日、商人より買い付けた茶葉に毒が入れられておりました」
「……なにに何がいれられていたって?」
「より正確に言うならば、毒で満たされた液体につけられた茶葉が昨日、卸されました」
冷静に話すフォンビレートに対して、シシリアは事実の認識を拒否するように目頭を揉んだ。
この、恐ろしく頭のキレる執事がすべて手をまわしているには違いないのだが、続きを聞くのはなかなかつらいものがある。
狙われたことも1度や2度ではないが、しかし、こうも冷静に話すことでもないと思う。
「……いろいろ聞きたいことはあるのだけれど……とりあえず、なぜ昨日のうちに報告が来なかったか、から聞きましょうか。なぜ?」
シシリアの信頼と猜疑の入り混じった視線を受けて、フォンビレートは口を開いた。
「昨日のうちに御報告申し上げなかったのは、毒入りの茶葉の回収に手間取っていたためです」
「大量に卸されていた、ということ?」
「いえ、そうではなく。王国中に出回っていたということです」
「……なんですって?」
「アルイケ地方の茶葉は、昨日の夕方に卸された茶葉が本年最初のものでした。よって、昨日は王国中に出回る予定でした」
「それで?」
「卸しに来た馬車を確認致しましたところ、すべての、つまり王宮殿に卸される茶葉以外も毒に浸された状態でした」
「……商人はどうしたの?」
「確認させるように要求しても動揺せず、むしろ気に入られたのかと笑みを浮かべていましたので、ひとまずは害はないと判断して後回しにしております。念のため、近衛隊にマークさせていますので、お会いすることは可能です。いかがなさいますか?」
王国軍は、国王と王族を近衛師団と、王立の5つの騎士団と一般国民からの徴兵で構成される3つの師団で構成されている。特に、近衛師団と騎士団に関しては王の指揮権が明確になっているため、有事に際しては容易に動かしやすい軍であった。
この場合において、フォンビレートが近衛師団を動かしたのは良い判断であると言える。
だが、シシリアは軽く首を振って否定した。
いくら口が悪かろうと、彼女の執事への信頼は底なしである。
「いいわ。貴方が問題ないと判断したのなら、後回しにしましょう。……回収は?」
「滞りなく。王都中の貴族には触れを出し、また市場へ卸したものについては早急に買占め、宮殿倉庫に保管しております」
「……地方は?」
「そちらは、門のところでとどめることができましたので1グラムたりとも外に輸送されてはおりません。本日、11時に事態の収束を確認致しましたので、昼食と共にご報告申し上げた次第です」
その言葉にシシリアは壁の時計に目をやり、それから思いっきり胡散臭い目をフォンビレートに向けた。
「……あなたって二人いるのだっけ? 」
「御冗談を」
「……朝、私の前に居たのは、本当に貴方?」
「もちろんでございます」
フォンビレートがうなずくのを見ながら、自らも頭の中で確認する。
「……どうやって動いたのよ……執務を進行しながら暗殺を食い止めるなんて……」
「恐れ入ります」
「大体、そんなそぶり、全く見えなかったわよ」
「執事たるもの、いついかなる冷静であるべきかと」
そんな問題じゃない、と言いかけてシシリアは口をつぐんだ。
この執事が自分に仇をなすことなどないと、これまで既に実証済みである。少々、では済まないほどに強引な手段を用いるのも実証済みである。それを強制できないことも。
したがって、これ以上言ったところでどうしようもない。と、彼女の冷静な部分が語りかけてきた結果であった。
一度息を吐き出し、大方冷静さが戻ってきたことを確認すると、シシリアは話を進めるべくフォンビレートへもう一度顔を向けた。
「で、ジェームズとどう繋がるわけ?」
「そのことをお話しするためには、昨年の春からの出来事を追う必要がありますが、よろしいでしょうか? 」
「話しなさい」
フォンビレートは僅かに目線を下げ、了承の意を表した。
「昨年の春のことです。門衛より『商人が面会を求めている』という報告が上がりました」
「昨年、ということは王宮殿ではなくアルバ宮殿でのことね」
メリバ宮殿は、王位継承権第1位の者が住まうことになっている場所であり、そこに住まうということは次期国王であることを暗示している。昨年の春の時点では、ヘンリル前国王が生きていたため、シシリアはそこで過ごしていた。
「はい、その通りでございます。シシリア様が遠出をされていたため、私が対応いたしました。その東門に現れた男は、ヒデロム伯の御用達商人であると言い、最近いいオルフェル産の茶葉が手に入ったので是非賞味してくれないか、とのことでした」
ヒデロム伯領はアルバ宮殿の周りにある。より正確に言うならば、ヒデロム伯領内にアルバ宮殿という飛び地を王家が所有していることになっているのだ。よって、その地の行商が宮殿を訪れたとしてもなんら不思議ではない。
「それで? どうしたの?」
「丁重にお断りいたしました」
「なぜ?」
ヒデロム伯は建国の時からつき従う名門貴族であり、名騎士を多く輩出していることから「忠義の伯爵」と呼ばれている。故に王家からの信頼も厚く、宮殿の周りを任せるほどなのだ。
今回のような件がある場合、警戒はすれど門前払いするほどではない。
「理由は3つございます。1つは、その男が浅黒い肌だったことです」
「それが?」
ヒデロムの住民は皆、東方系の血筋であり、その特徴は目のふちの赤みと浅黒い肌にある。おかしなところはない。
「極めて純粋な、浅黒さでございました」
純粋な、と強調したフォンビレートの言葉にシシリアは僅かに目を見開いた。
「それは変だわ。……ヒデロムは既に混血の民族となっていて純粋な者などどこにもいない。せいぜい伯爵家が限りなく近い、ぐらいのものでしょう。そして……」
「はい、伯爵家が商人の振りをすることなどありえませんし、まして私の記憶にない伯爵家の人間などいるはずもございません」
フォンビレートの自信を持った言い切りに、シシリアも頷くことで同意する。
彼が20才という若さで筆頭執事まで上り詰めることができた理由の一つは飛び抜けて記憶力が良いことであった。国内のあらゆる貴族、その使用人に至るまでフルネームはおろか家族構成まで述べることのできる頭脳と、人並み外れた観察眼。
仮に伯爵家の者が冗談で変装していたとしても、彼が見破れないことなどあり得ない。
「第2に、一昨年から昨年にかけて、ヒデロム領地は南のオルフェルが大飢饉に襲われております。無論、全体としては例年通りの収穫でしたから、死者は一人も出ておりませんし、表にもあらわれていません。しかし、オルフェルの特産品である茶葉は例年の10分の1しか穫れず、価格は高騰しました」
シシリアも報告書だけで上がっていた大飢饉の顛末を思い出す。確かに茶葉の価格は上がっていて、そのまま卸しては買い手がつくはずもなく、一方、その価格でなければ売り手の生活が成り立たなかった。そのため、ヒデロム伯の裁量により救済措置がとられた。
「救済措置は、伯爵家が全ての茶葉を買い取り領地に例年通りの価格で卸すこと。ではなかったかしら」
「はい。それでもまったく値段が上がらないということはありません。しかし、彼の提示した額は例年通りでした。よって、伯領下の商人ではなく、まして運んでいた茶葉はオルフェル産でもないということになります」
シシリアの雰囲気がさらに鋭さを増してゆく。
「第3の理由は?」
「その者の持ってきた茶葉を入れた麻袋から、微かに沈丁花の香りがしたことです」
「沈丁花? ヒデロムに沈丁花は咲かないはずよ?」
「その通りでございます。その者の衣服からも匂っていましたから、おそらくは、沈丁花の咲き誇る道を通ってきたものと推測されました」
「……」
「陛下、そのような道があるところをご記憶でしょうか?」
「……もちろんよ、アルイケ侯領とヒデロム伯領を結ぶ、3キロの道のり。特に、人目を避けて野を突っ切れば余計に匂いが付くでしょうね」
ここにきて、問題の茶葉の産地・キップを含むアルイケ侯爵領が登場した。
「はい。よって門に現れた商人は、本人の申し立てたヒデロム伯領下の商人ではなく、アルイケ侯領下の商人であると結論付けました」
アルイケ侯領下の商人であるとすれば、最初の2つの違和感に対しても理由をつけることが出来る。アルイケ侯は確かに東方系の子孫であり、血統主義を標榜しているため未だその特徴が色濃く継がれている。
それに、アルイケ侯領は昨年、全体的に豊作であった。特に、キップの茶葉の出来はすばらしくよかったという。
「間違いないでしょうね……」
「はい、おそらくは。アルイケ侯領下であるならば優遇の必要性はなく、むしろ領地を偽ったことで警戒の必要な人物であると言えます。よって、丁重にお断り申し上げました」
フォンビレートは、ぬるくなってしまった食後の紅茶をさりげなく取り上げながら、話を締めくくった。別の茶葉に入れ替え、丁寧にお湯を注ぐ。その作業に細心の注意を払っているフォンビレートにシシリアの声がかかった。
「で?」
「で? とは?」
フォンビレートが哲学問答のように答えて見せれば、シシリアは盛大に顔をゆがめる。
「で? は、で? 以外の何物でもないわ」
問答で返し、小さな意趣返しを行う。
「それでは、アルイケ産の茶葉が毒入りになったことと何も繋がらないわ。どうせ、有能な執事たるあなたには分かっているのでしょう?聞かせなさい」
「……ご要望とあらば」
シシリアの投げやりに言われたことを気にすることもなく、フォンビレートは続けた。
「帰って行く男を隠密方につけさせました。案の定、その男はアルイケ領に帰って行ったわけですが……」
「何を見たの?」
「その茶葉を、途中の野の中に撒いた後、悠然と去っていたそうでございます」
「まぁ、用済みだものね」
シシリアは思ったより、それがひどい報告ではなかったのでほっとしていた。ゴミの廃棄などして欲しくはないが、茶葉はそのまま栄養となるのだ。たいしたことではあるまい。
だが、その考えは次の報告で打ち砕かれた。
「その2、3日後、野の4分の1が枯れ果てました」
「えっ?」
「持ち帰らせた茶葉を検分しましたところ、猛毒・シュバルツであることが判明しました」
「シュバルツ!?」
シュバルツというのは、『シュバルツの花』という植物の根からとれる猛毒である。致死量は小指の先ほどあれば良いとされており、盛られた場合、十中八九助からない。この毒の最大の特徴は、気化しようが液状化しようが粉状化しようが毒性に差はあれど、消えることはないことにある。つまり、吸うだけで死にいたる可能性すらあるのだ。よって、国の危険物指定を受けており、所持しているだけで罪になる。 そんな毒が、得体のしれない商人の茶葉から出てきたのだ。
「では、追跡を行った者や……あなたは? 大丈夫だったの?」
心配げな瞳をするシシリアに対し、フォンビレートは僅かに微笑んだ。
「御心配には及びません。今回と同じく、粉末ではなく液体の形で用いられていました。シュバルツに茶葉を浸し、それを持ってきたものと思われます。大地へ浸みこむことを止めることはできませんでしたが、素手で触る愚行さえ起こさなければそれほど被害はありません。そして、リーバルタイス家にはそのような愚か者は存在しませんので、ご心配には当たらないかと」
「……あなたって良い性格しているわよね。敵だって、まさか「愚か者」しか引っ掛らないと言われているなんて思いもしないでしょうに」
フォンビレートのリーベルタイス家使用人としての誇りと敵を見下す気持ちがないまぜとなったそれに、シシリアは呆れたように笑った。
「……いえ、陛下に歯向かう者は全て愚か者にございますので、死ぬ者もあるやもしれません」
不敵な表情ではっきりと言い切るフォンビレートにシシリアは何とも言えない心持ちになった。彼の絶対の忠誠心はいつだって気持ちが良い。
「続きはいかがなさいますか?」
「もちろん、聞くわ」
フォンビレートからの信頼を背に、シシリアは覚悟を決めて深くうなずいた。