執事と親王殿下~王宮殿・名無しの小部屋にて~ 前篇
「さて――」
おびえたような顔をするルイズから目線を外し、フォンビレートはだれともなく話し始めた。
「これより、私共が把握している事実を述べます。何か異論があればお答えくださって結構です。もっとも、これまで通り黙秘をしてくださっても結構です。……できるなら。ですが」
答えを求めていないことが明らかな言葉は、そのまま空気と同化するようにして音が消える。
シンとした中に、フォンビレートの冷たさを伴う声が響いた。
「あの日……貴方は、いつものように宮殿から外に出て、市井の者と交わっていらっしゃいました。庶民の中に入り、会話を楽しみ、屋台から食べ物を買い、食事を楽しんだ。」
「いつも、の、ことよ」
強情な表情を崩さぬまま抵抗するルイズの返事に、フォンビレートは一度目を見やっただけで直ぐに視線を戻す。
「そうでしょう、そして、その日もそうだった。……おそらく、その日の行動は、おっしゃる通り、いつも通りに行動したのであって、それ以上なんの意図も絡んではいなかった」
「……」
「貴方が通ったルートは次の通りです。午前8時、アーレフ市場。正午、アーレフ市場内アカイコ食堂。午後14時、アキシュの井戸。15時、エフロン地区。21時、メリバ宮殿内私室。ざっと大まかにですが、このような時間割で移動された」
自分の行動が事細かに把握されていることが嫌でもわかるような口調に、ルイズの顔がさらに強張っていく。それを分っていながら、フォンビレートの視線は唯の一度もルイズと合わさることはなかった。
それがさらに、彼女の不安を煽らせる為であると彼女は気づかない。
「さて、問題は2つです。1つ、貴方は15時から21時までの間、どちらにいらっしゃったのか。もう1つは、貴方がどこから私室に戻ったのか、ということです。……一応お聞きしますが、納得のいくお答えを頂けますか?」
「適当に、散・」
「結構です。そのようなお答えでしたら」
「……」
「ルイズ様。我々はすべてを把握したうえでここに居るのです。質問をするのは、答えが知りたいからではない。貴方に弁明の機会を差し上げているにすぎません。いい加減にご理解ください」
『様』という言葉に全くそぐわぬその冷たい言葉はルイズを確実に追い詰めていく。
「少々話を変えます。それは、貴方の行動を監視していたのは誰か? ということです。あるいは、報告したのは誰か? ルイズ様。さすがにこれは分っていらっしゃいますね?」
「親衛隊」
「ええ、その通りです。彼らは、何故そのようなことをしているのでしょう?」
「仕事だからよ」
「何故、そのような仕事が割り当てられているのでしょう?」
「だから! 仕事だから、よ」
フォンビレートの質問の意図が分らずに、同じ言葉を繰り返すルイズに、彼の視線が当る。そこに間違いなくあるのは、侮蔑だけだ。
「貴方が王族だからです」
「それくら・」
「もう一度言います。一言一句聞き洩らさないでください」
ルイズを見つめたまま、はっきりと言い切ったフォンビレートに対抗しようとルイズが口を開くが、フォンビレートはそれを許さない。
「貴方が、王族だからです」
「だから! それくらい分っているわよ!」
「いいえ」
声を荒げるルイズに、フォンビレートは温度を失った声でかぶせる。
「貴方は、なにも解っていらっしゃいません」
「あの日。貴方がダン殿下の命令を破り、外出した日。貴方が行動された影でどのようなことが起こったか、ご説明申し上げます」
一泊の間の後、心を落ち着けたフォンビレートは事務的に言葉を紡いだ。
「前日の夕刻。直轄領地周辺で不審者が現れました。そのため、翌日早朝からメリバ宮殿では外出禁止令が発令されました。ところが、貴方はそれを破って、いつも通り外にお出かけになられました。なぜです?」
「大したことではなかったから……」
「ルイズ様。言葉は正確に紡いだ方がよろしいかと。貴方は大したことではないと『判断したから』外に出られたのです」
「そうよ。実際、何も起きなかったのでしょう?」
自信を持って言い切るルイズに、フォンビレートは1枚の紙を見せた。
眼前に広げられるその紙が、政府が使う公式の紙であることに気づき、ルイズは不安な思いに駆られた。フォンビレートはそんなルイズの思いに、当然ながら気遣うことはせずに、ゆっくりと開く。
『下手人:コレル(ロンドニト大統一帝国、ジュエル商会所有)
罪状 :メリバ宮殿への不法侵入罪、ダン=ウタヤ=ダ・イジュール暗殺未遂罪』
短く書かれたその文書。
その一番上に書かれた名前に、ルイズは目を見開いた。
「貴方が、15時から21時まで過ごした者。その者が『不審者』です」
絶望を後押しするその言葉に、ルイズは顔面が蒼白に変わっていく。
その瞳の中には、どこまでも静かな瞳がちらついていた。それを振り払うように、大声を上げる。
「う、嘘よ!! そんなはずはないわ!! だって、私! 私! その日は、彼と一緒に眠ったんだもの!! お父様を殺しに行く暇なんてないはずだわ!!! うそよ!!!」
「残念ながら、事実です」
「ぜ、ったいに嘘よ……」
フォンビレートの揺るぎない肯定に、ルイズは信じたくないというように頭を振り、顔を手の中にうずめた。正論しか紡がぬ、フォンビレートから自分を隠す様に、目を堅く閉じる。
「15時。親衛隊に見守られながら、外を楽しんでいた。ところが、途中で、みすぼらしい子供に出会われた。聞けば奴隷だという。貴方は、大いに同情したのでしょうね。あるいは、貴方のおっしゃる通り恋情であったのか。いずれにせよ、その子供の手をとり、井戸まで連れていく様が目撃されています」
「そうよ、とっても顔の奇麗な男の子よ、彼。一緒に遊びたいと思った」
決して声を荒げないフォンビレートの語りが、ルイズの強情さを溶かし、少しずつ会話になる。
「ところがそこで、貴方は思いもよらない話を聞いた。もっと広い場所で、自分の友達と遊ばないかとその子が誘ってきたのです。貴方は心をひかれたでしょう。何しろ、貴方のお友達はお友達ではないのだから。ついて行きましたね?」
無言のままルイズは首を縦に振った。
そのはっきりとした肯定に、フォンビレートは大きく息を吐いた。
言葉にすれば『救いようがない』とか『呆れた』という意味であることが明快な、そういうニュアンスがルイズに一片の猶予もなく伝わる。
「貴方はその子に逆に手をひかれながら、細い路地裏を2つ抜けて、広場に行った」
「……良く覚えていないけれど、多分」
「その子の言った通り、その広場には大勢の子どもたちが居て、貴方は目いっぱい遊び、楽しみ、暗くなってから帰路についた」
「そうよ……そろそろ帰らなくちゃ、って言ったら、送ってくれるっていったから一緒に家に帰ったの」
「貴方は、どんどん落ちてくる陽を見て、あせったでしょうね。ダン様に怒られるに違いないと。そうしてどうしました?」
「それなら、って思って。西門から入ったの。あそこから入れば、門番さんも、洗濯婦のイールもこっそり入れてくれると思ったから」
「そうして、貴方の思惑通り、貴方はこっそりはいることに成功した。一緒に、その子、いい加減うっとおしいですね、コレルと眠った」
「そうよ、一緒に居ようって言ってくれたから、ベッドに一緒に入ったの……本当にそれだけよ? 怒られる思ってお父様には黙っていたけれど、それだけなの。だから、コレルがお父様を殺そうとした何て嘘よ。……絶対に、何かの間違いだと思う・・・」
力なくボソボソとコレルをかばうルイズをしばらく見つめたのち、フォンビレートはそっと側に膝をついた。目線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ルイズ様。貴方はまだ幼い。けれど、聡明でいらっしゃると私は思います。ですから、私はこれから貴方に、大人に対するようにしてご説明いたします。どうぞ、ご自分の頭でしっかりと考えてください。いいですね?」
「……わかったわ」