執事と家令 ~王家庭園・ブランシュにて~
「家令」という役職がある。
執事よりも上位に位置し、領地経営という一使用人の範疇を遥かに超えた権限を持つ。使用人の中でもっとも尊ばれる仕事であることは間違いない。
イジュール家の場合、王国東の別邸・ファルミランと、王国南の広大な庭園・ブランシュにそれぞれ家令が任命され、シシリアの代わりに管理を行っている。それぞれに有能な人物だが、特にブランシュを管理する家令は王国内でもよく知られた存在だった。
その理由はただ一つ。美しい顔と、その優雅な仕草が、町娘から貴族の御令嬢までを虜にしてやまないからである。
少々というには控えめすぎるほどの男前。紳士的振る舞いは、王子そのもの。ご婦人方の大多数から「禁断の愛でいいの!」と求婚を受けた経験あり。そんな、21年連続カルデア王国男前ランキングトップテン入りの猛者を前に、フォンビレートは盛大にひきつった笑顔を堅持するのに必死になっていた。
ゆったりとソファに腰掛け、足を組み、ニヤリと笑いつつスコッチをあおる。その様は一枚の絵画のようで、この場に画家が居れば直ぐにデッサンを始めてしまうだろう。
問題は、
「クラミズ様。その格好は淑女としてどうかと……」
この家令がまごうことなき女性であるということだ。
たとえ、フォンビレートの控えめな忠告をまるっと無視する姿が男性にしか見えなくとも、それは確たる事実なのだ。
クラミズ=オー=ド・クレスト。
世間からの絶大な人気を誇る彼女について、もしもイジュール家の使用人に聞くなら、その賛辞は様相が変わる。彼らは一様に口を重くし、具合を悪くするか、さもなくば巻き込まれた数々の事件故にうらみ節を連ねるだろう。彼女の自由奔放っぷりに振り回され続けた一同の悲哀は計り知れないものがある。
そんな彼女が巻き起こした数々の騒動を脳裏に描いたフォンビレートは、再び巻き込まれるのではないかという悪寒に苛まされながらも、執事としての職務を果たそうと懸命に努力していた。
「職務上の必然性……という奴だよ」
「確かに、男装は必要でしょうが……真昼間からスコッチをあおっているのもいかがなものかと」
「ふん! 執事たる君がそんな狭量でどうする!!」
大仰に台詞を吐きながら、眼光を鋭くするクラミズのその似合いっぷりに、顔を殴り倒したい衝動に駆られる。実際、彼女が「家令」という、フォンビレートよりも上位の人間でなければそうしていただろう。
だがしかし。如何に残念であろうが、彼女はフォンビレートの上司なのであって。
「それに、そんなのことよりも話すべきことがあるだろう?」
何より、今からお願いをしなければならない相手であった。
さりげなく振られたそれに乗るかどうか迷ったが、より生産性がある会話を目指し、フォンビレートは頷く。狭量うんぬんはこの際、水に流してしまおう。いつか、回収してやるが。
「とりあえず、言ってみたまえ」
「単刀直入に申し上げます」
「うむ」
「『奴隷』についてです」
「……奴隷?」
「はい」
訝しげに眉を顰めることからして、どうやら事の全貌を把握してはいないらしい。彼女が全てをわかった上で黙認していたと思っていたフォンビレートは意外な思いでそれを見詰めた。リリーに後で何か贈ろう、と思いつつも、この機を逃す手はないと冷静な部分が計算を始める。
自分に主導権を引き寄せるため、フォンビレートは事のすべてを明らかにすべく口を開いた。
「クラミズ様は、ダン殿下のお子様についてどれほどの事を知っていらっしゃいますか?」
「……ふむ、女子であるということ。それに・」
「市井の者が好きであること、でしょうか?」
僅かに言い淀んだクラミズの言葉を引き取る。
「そうだ。そのように聞いている」
「……」
「……」
深くうなずいたクラミズに対し、フォンビレートは胡乱気な瞳を向けた。
「陛下の隠密を単独で動かしましたね?」
「いや、ほら……裁量? を根拠にだねえ」
フォンビレートの言葉で、自分の失敗を悟ったクラミズは視線から逃れるべく目を泳がせた。しどろもどろに言い訳しつつ、どうにか視線からの逃避を図っている。威厳ある立ち居振る舞いからは遠く離れた仕草である。
彼女に限らず家令という役職には、ある程度の裁量権が与えられている。
つまり「王家に益をもたらす場合に限り」家令は『当主代理人』として主と同じ権限を一時的に持つことができるのだ。彼女もまた、その場合『イジュール家当主代理人』となることができる。
それを根拠に隠密部隊を動かしたのだろう。が、目を泳がせたあたり、それが"拡大解釈"以外の何物でもないことを自覚していることは明白で、十分に規律違反であった。大方、その規律違反を何度も犯しつつ自由奔放に生きてきたのだろうな、と予想できる。
追い詰めようかどうしようかとフォンビレートは瞬間的に悩んだが、結局、一言釘をさすにとどめた。時間は惜しいし、これは後々の切り札にすべきだろうと腹黒フォンビレートが囁いたからだ。
「……今度から一言お願いします」
「もちろんだとも!!」
食い気味にされた良い返事に、心中の不安を消せないまま、フォンビレートは話を進めた。
「ダン殿下のご息女ルイズ親王殿下ですが、おっしゃる通り市井の者に対し、非常に近しい行動をなされます」
「ダン殿下の影響を受けていることは間違いないだろうな」
先ほどの仕草とも、無駄に自信にあふれた姿とも違う、有能な仕事人間に早変わりしたクラミズに対し、フォンビレートもまたギアをあげた。
「はい。……ただし、ルイズ様とダン殿下とでは大きく違う点があります。つまり、それが及ぼす影響を未だ理解されていない、ということです」
ルイズは確かに市井の者と親しくすることに何の衒いも躊躇いもない。それは為政者として良い傾向であり、しかしながらそれによって生み出される清濁をすべて呑みこむ懐の広さと強さが求められる。
ダンの場合、それを理解してなお近しい存在となった。だが、ルイズの場合はそれとは違う。
「確かに。ルイズ様はそれが何故清濁を生むのかすら理解していない。裏を返せば真に差別がないと言えるかもしれないがな」
幾分それを好意的に解釈したクラミズに対し、フォンビレートは首を振った。
「裏を返そうが返すまいが、結論は一つです。ルイズ様のなさっていることは迷惑極まりないものだ、ということです」
「な! 貴様! フォンビレート、それはあまりに不敬だぞ!」
仕える者の範囲を逸脱した物言いに、クラミズはわずかに声を強めたが、フォンビレートは全く意に介さなかった。
「御心配なく。ここは誰にも咎めらる場所ではありませんし……何よりこれは侮辱ではなく事実です」
「!」
主人を悪くいわれるというのは、使用人にとって、自らを侮辱されるよりも苦々しい気持ちをわき起こさせる。クラミズも例外ではなく、射殺すかのようにフォンビレートを睨みつけている。その視線を無視し、静かに話すフォンビレートの方が異常とも言えた。
「これは、王家全体に関してだけではありません。その親しくされた者たちもそうです」
「……」
「クラミズ様。貴方だって御理解なさっているはずです」
ひた、と見据える瞳が、クラミズを押す。
「…………理解なき優しさは、理解なき横暴よりも質が悪い」
どうにか絞り出した声を、フォンビレートは淡々と受け止めた。
「ええ。その通りです。圧政に対して、人は大義を得る。憎しみを持つことが出来る。ですが、なまじ憐れみ深い支配者によって振るわれた優しさの結果が、苦しみならば、誰を憎めばよいのでしょうか? ルイズ様の行動を一言で表すならば、『ありがた迷惑』。それに尽きます」
「……お前は本当に容赦がない」
「恐れ入ります」
決してそうは思っていないことが丸わかりな態度がフォンビレートの思考の深いところを明らかにしているかのようだった。だから、切りださざるを得なかった。
「つまり、お前も迷惑なのだろう? 今回の一件が」
「もちろんです」
柔らかな間をおかぬフォンビレートの様子が、その時の彼の心の色を如実に示している。
今回の1件とは、すなわち、数日前にダンによってもたらされ、隠密方によってその全貌が明らかにされた件である。あれだけ大騒ぎした外出禁止令を破った者がルイズであった、というだけではない。
『ルイズ親王殿下が、市井の者と親密している姿が、国民に目撃された』
その知らせが届いたとき、シシリアは天を仰ぎ、レライは頭を抱え、フォンビレートは苛立った。もしも、ただの市井の者と、為政者としてあるいは一人の人間として親しくしたならばどうということはない。だが、ルイズの場合、それとは大きく状況が違っていた。
「奴隷と恋をするなど、迷惑という他ないと思いますが」
常の冷静な声で発された穏やかならぬ言葉に、フォンビレートを諌めようとしていたクラミズは言葉を失い、驚愕して目を見開いた。
「な! 相手は奴隷だったのか!?」
彼女自身はルイズが平民と恋をしていることを掴んではいたが、単なる一市民だと思っていたのだ。それならば、政治的にどうとでもなると思っていた。フォンビレートのように「姓名の下賜」という半ば反則的な方法であっても、一応の身分を与えることができるからだ。何より、幼いのだからそう目くじらを立てることもないとも考えていた。
だが、奴隷となれば話は違ってくる。
「どこの、奴隷に手を?」
こわごわ聞く、その質問にフォンビレートは皮肉気に口角を歪めた。
「ロンドニト大統一帝国、ジュエル大商会の奴隷に、です」
その言葉で、事態がどれほど重大かを思い知る。
と、同時に、自分の使用人としての判断の甘さを呪わざるをえなかった。
「よりによって、他国とは……」
「愚かであるというほかの形容詞を思いつきません」
フォンビレートのはっきりとした侮蔑の言葉に、クラミズは反論できなかった。このたびの1件が、「主だから」や「幼い子供」という庇い立ての言葉を発してよい類のものではないと理解したからである。
一昔前、カルデア王国では全面的に禁止された奴隷売買だが、抜け道は存在する。それは、他国から「使用人」として買うことだ。そしてそれは政府にも禁止することはできない。それが有用な一面を持っているからだ。
望んで奴隷になった者たちは、本当に切迫している。両親や弟や妹を養うためには致し方ない面があるのだ。また、ロンドニトと比べれば幾らか扱いの甘いカルデアを望む者達がいることも、事実だった。
現在、カルデアでは多くの奴隷がいるが、身分としては「平民」と称されている。だが、子供でも分る道理として、その者達が本当の意味で「平民」となるのは、自らを買い戻したときだ。平民と平民の身分をもらっている奴隷との間には天と地ほどの差がある。
その差の1つが結婚に関する規定だ。
奴隷は結婚することが出来ない。彼らは皆、主人の所有物であって人間ではない。戸籍をもてないのだから、当然と言えよう。それは子供であっても同様である。どれほど幼くとも子を孕ませることも孕むことも出来る以上、ルイズの所業をたかが幼い子供のしたことだ、と切ることはできないのだ。
加えて、彼女は王族であった。許されるはずもない。
「……私にも責任の一端はあるのだろうな」
「そう自覚していただければ、結構です。使用人の立場上いたし方のない部分もあったと推察いたしますが、誤りは誤りでしょう」
「分っている。……私は何をすればよい?」
「少々引き取っていただきたい人々が居ます。21名ほど」
告げられた人数にクラミズはしばし驚いた顔で固まっていたが、ややあって納得したように頷いた。彼女はこの地位まで上り詰めたことが示すように、その生来の察しのよさで気づいたのだろう。
「いつか、恩を返すよ」
彼がクラミズの失態をことさらに騒ぎ立てないのは、彼の配慮だと分っていて彼女は礼を述べた。
「期待しておきます」
返事はどこまでも軽やかだった。