執事と陛下と殿下 ~王宮殿にて~
夏は暑い。
当たり前だ、等と言うやつは出てこい。本当に暑いのだ!
大体、夏はなぜ暑いのだ?夏という季節は必要なのだろうか?あるい・
「陛下。夏は太陽の熱が風によって冷まされないので暑いのです。鬱陶しくはありますが、植物の成長には不可欠ですから、悪とは言えないでしょう。そして、仕事をしてください」
「……人の思考を完璧に読まないでくれる?」
「読まれるような表情をしなければよいのではないでしょうか? そして、仕事をしてください」
「…………すみませんでした」
暑さを和らげるためのささやかな思考の逃避を遮られたシシリアは、不承不承謝って見せた。フォンビレートの絶対零度の表情に汗がはりついている微妙な顔が、迫力を2割増ししていることには間違いない。
「上着脱がない?」
「脱ぎません。せいぜい、陛下の視界が暑苦しくなるくらいですから」
「……今日、厳しいわね」
「暑いですから」
「脱げばいいじゃない」
「脱ぎません」
「でもさ」
「仕事をしてください」
「……はい」
再度挑んでも、やはり負けてしまう。
今日は、年に1度の、不機嫌の大安売りに違いない。そうだ、触らぬ神になんとやらだ。周りの事務官が苦笑いしていることなど、すっぱり無視である。それから、王としての威厳が失墜しかかっていることにも、無視を決め込むのは、もはや当然の対処法である。
心の中で、主君としてのプライドと何とか折り合いをつけ、仕事に向かおうとしたその時。
ゴンゴン!
控えめとは言い難いノック音とともに、ダンの姿が現れた。
ひどく息を切らしながら、入ってきたその姿に、2人とも異常を感じ取る。
「ダン殿下。いかがなされまし・」
「申し訳ないが、口上を述べている暇はない。火急の用であるため、直接、陛下に話しかけても構わないだろうか?」
臣下として最低限行うべき段階をすっ飛ばし―― むしろ、執務室に直接上がりこむこと自体も無礼である ―― シシリアを一身に見つめているダンの姿に、何か、本当によからぬことが起きたことを感じ取り、シシリアはすぐさま命令を出した。
「フォンビレートを残し、全ての事務官に退出を命じる。また、現在、見聞きした全てのことに関し口外禁止令を発令する、以上」
「「「はっ」」」
瞬間、戸惑いが執務室内を走るが、さすがに王の側を許されている彼らは速やかに退出の手筈を整え、出ていく。その扉が閉まったことを確認してから、シシリアはダンに厳しい口調で諭した。
「ダン。火急の用と言えど、今の発言はあまりに配慮に欠けている。注意しなさい」
「……申し訳ありません」
シシリアが命令を出してから初めて、自分がどれほど軽率な発言をしたかに気付いたダンもまた素直に自分の非を認めた。もっとも、手が絶え間なく動いていることからして動揺を抑え込むことには成功していない。
それに気付いたフォンビレートは、場を仕切るべくさりげなく言葉を送り出す。
「ダン殿下。お座りいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ」
「陛下。念のため、リリー以下隠密方を待機させておきます」
「わかった、万全の態勢を頼む」
「はっ」
シシリアをソファへ導きつつ、リリーに常人にはわからないように合図を出し、この会見で行われる一切の会話が外に漏れることのないようにしてから、フォンビレートは話を切り出した。
「ダン殿下。順に、丁寧に、説明をお願いします。」
そうして、語られたダンの話は信じられないものだった。
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「困ったことになったな」
「ええ、本当に」
深々とついたため息は、決して暑さのためではない。
それもこれも、ダンが持ち込んだ案件、フォンビレートに言わせれば単なる厄介事のせいである。
事の発端は、フォンビレートがメリバ宮殿を訪問した10日後に起こった。
その日、ダンのもとに一つの報告がもたらされた。
「メリバ宮殿の近くで不審な人物を目撃した」という情報が、ヒデロム伯爵の私兵からもたらされたのだ。季節柄、一大観光地と化している外であるから、ダンには早急な対策が求められた。
手始めに、メリバ宮殿内に居た戦闘力を持たない使用人を含む67人全員に対し、外出禁止を発令していたのは当然の措置であったと言えよう。
ところが、その命令を破って外に出た者がいたという情報が、再びヒデロム伯爵から上がったのである。
ダンは激怒し、犯人を探すように配下に命じ、またこの件を政府へ報告することさえした。彼が、いかにこの件を重大と捉えていたかは明白であった。
ところが、そうまで大事にした、その該当者が自分の娘であるルイズであることが発覚したのである。
ダンも大変な動揺の中ではあったが、宮殿の主として対応すべく、自分の娘を詰問した。いくら未だ10に届かないとはいえ、王家の一員である者としては見過ごされない過ちである。
ところが、ルイズはその質問に対して詳しいことは全て黙秘したのである。
手を変え品を変え、誰が質問しようと、飴をぶら下げようと、彼女はかたくなに口をつぐんだ。どのようにして抜け出したか、なぜ抜け出そうとしたのか、大抵の質問に対して黙したままである。
対応に窮したダンが、――このあたりに親心が、といよりは甘さがにじみ出ているとフォンビレートは考えているが―― どうにかしてほしいと政府を通さず、王家に秘密裏に頼みにきたのが昨日の騒動の真相であった。
ついでのようにして頼まれた厄介ごとに、そちらの方を先に報告しやがれ! とシシリアとフォンビレートが思ったことはまた別の話だ。
その要求をのんだシシリアは、王としてではなくイジュール家の主としてフォンビレートにその面会を命じ、ひとまずの対応とした。
「なんとか、内輪で収まるといいのだけれど」
「……大変迷惑ですが。……全力を尽くさせていただきます」
ブリザードというには生ぬるい冷気が辺りに漂う。
それに相対するシシリアはほんの少し申し訳なさそうに、しかしながら慣れた様子であしらった。
「大変迷惑でも。あなたは筆頭執事でしょう?」
事実を指摘され、しぶしぶといった体でうなずくフォンビレートは年相応に幼い。彼の本来の、というより彼自身の役割はイジュール家をつつがなく回すことであり、政府の仕事はそれの派生形である。したがって、今回のような案件に全力で立ち向かうことこそ本分なのだから、フォンビレートに文句を言う筋合いがあるはずもなかった。
「もちろん。全力を尽くさせていただきます」
「しつこい」
「申し訳ありません」
馬鹿丁寧に下げた頭に苦笑しつつ、シシリアは気持ちを切り替えた。
フォンビレートもまた、ダンの乱入により滞っていた仕事を終わらせるべく机に向かう。
このとき、シシリアもダンも、そしてフォンビレートでさえ、この先に起こる大騒動を予見してはいなかった。