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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅲ 従属の自由
25/58

執事と殿下 ~メリバ宮殿にて~

「あそこもどうにかしなければなりませんねえ……」

 メリバ宮殿3階西廊下にて、夕陽に照らされつつフォンビレートは顔を険しく顰めた。その眼光は、有事ではないにも関わらず鋭い。


 カルデア王国は現在、夏真っ盛りである。

 「夏」とは言うものの、北に位置するカルデア王国内は比較的涼しく、それゆえ大陸の南に位置するロンドニト大統一帝国からの旅行者が増える時期でもあった。中でも、王都ペンタグに次いで人気が高いのが、メリバ宮殿を中心とする直轄領地であった。

 より正確に言うなら、ヒデロム伯領に旅行し、ついでにメリバ宮殿を観光するのが定番のルートであったりする。というのも、それよりも北にあるのは、アルイケ侯爵領やランド公爵領など良い領地ではあるものの観光に乏しい領地ばかりであり、それよりもさらに北となればアーデルハイトしかない。

 好んで未開拓地に行くような人間は、既にカルデア王国に移住済みであるため、他国の人間でそこを旅しようとする者などひとシーズンに2ケタに届けばいい方である。

 必然的に、王都から近い領地のうち最も北に位置する、つまり涼しいヒデロムが選ばれるのも無理のないことであった。

 しかしながら、それは王権の第1位継承者に近づく人間が増えるということであり、その対応のためフォンビレートは今日1日メリバに赴いていたのである。傍らにはグレイブと宮殿執事補佐のジェレミー=オクレ=ド・ウェルダールが控え、彼の述べたことを直ぐに実行できるようにしていた。


「グレイブ。何が問題か分りますか」

 問題点を見つけたフォンビレートは自分についているグレイブに問いかける。問われた彼は慌ててフォンビレートの視線の先に目を向けた。


 宮殿の東側を一望できるそこからは、衛兵が7人確認できた。

 2人が門の両脇に立ち、3人が櫓から遠くを警戒している。残りの2人はあたりを巡回して他の門との連携を図っているようだった。

 その様子に若干の違和感を覚え、それをそのまま口にする。


「……配置が少し浅慮である気が致しますが」

「なぜ?」

 自信がないままに口に出した答えに間髪いれず返ってくる。


「……そうですね。まず、西門は使用人のための門です。その対応をするための兵士が割り当てられていません。……」

「それから?」

「さらに、西門のあたりに開けた場所は存在しません。この宮殿を攻撃するとすれば、西門は不向きであるかと。よって、櫓の上の人員は過剰であるかのように感じます」

「……」

「最後に、巡回兵が連絡係を兼任している状況は避けるべきであるかと。以上です」


 急に振られたことに対しても迷わず端的に答えるグレイブにジェレミーは感嘆のまなざしを送った。平民出身であるにも関わらず2人の会話には一切の無駄がなく、様式美すら感じる。

 どんな会話が続くのかとジェレミーはフォンビレートを見て。背筋を凍らせた。フォンビレートは険しくしていた顔をさらに険しくてグレイブに向き直ったからだ。


「駄目ですね」

 グレイブの返答をバッサリと斬って、フォンビレートが指を立て、矢継ぎ早に理由を述べた。

「改善が必要な点は全部で4つ。1つ、指摘する前にポイントの数を述べなさい。そうでなければ、会話がテンポよく進まない。2つ、既に知っている情報を重複して述べない。西門が使用人の門であることや近くに開けた場所が存在しないことなどに言及する必要はありません。3つ、感じたことを質問したわけではありません。根拠を述べるのに「感じます」は不要です。4つ、指摘した点に対する改善点を述べることが重要です。聞かれたことだけを述べる存在など私のそばに必要ありません。そんなことをするならば学校に行けばよろしい。君は私の補佐なのですから、求められているものを正確に察知しなさい。私は私が既に理解している点を君が理解しているかを確かめているのですから、問題の指摘を求めていないことぐらい分りなさい」


 あまりに厳しい言葉に、その表情にジェレミーは息をするのも忘れて2人に見入った。グレイブの答えだって、とても穴があるようには思えなかったが、フォンビレートの指摘は確かに的を得ていて、それに相対するグレイブもまた要求についていこうと必死であることが見て取れた。

 王宮殿で凄まじい勢いで出世した平民。目の前の光景はそれが決してフォンビレートの平民同情からではなく、懸命に身に付けた、彼自身の実力に基づくものだと信じるに足るものだった。


 一方、グイレブもまた、フォンビレートの言葉に呑まれそうになっていた。この上司が―― 上司といっても、そう年は変わらないのだが―― 今のままの自分では決して追いつくことの出来ない人間であることを嫌でも思い知らされるのはこんな時だ。それでも、追いつきたくて、いつか有用だといってもらえると信じて努力している。

 グレイブは、感じた痛いものを面に出すことのないよう細心の注意を払い、促されるまま言いなおした。

「問題点は全部で3つです。1つ、使用人のボディチェックを行うための兵士が居ません。2つ、外敵への心配は他の門と比べても低いですから、櫓の上の人員は過剰です。3つ、巡回係と連絡係が兼任は行うべきではありません。これらのことを踏まえると、門の両脇に3人配置し、そのうちの1人を来殿者を検査するようにさせ、櫓には1人配置。2人を巡回兵士とし、1人を連絡係に専念させるような割り振りが良いと考えます。以上」


 グレイブの淀みない言葉に、今度は2度3度頷き、フォンビレートは満足したことを示し、すぐにさま実行に移した。

「いいでしょう。君の案を採用します。……ジェレミー。ダン殿下にこの変更に対する許可を取るように。許可がとれたなら、そのまま西門に行き、正してください。もし、殿下が却下された場合はすぐに私のところに報告を。いいですね?」

 今回の件に関してフォンビレートはシシリアよりすべてを一任されているが、メリバの最高責任者はダン王子であるため、そこを踏み越えることはせず、許可を得るためジェレミーに指示を出す。

 指示を与えられたジェレミーもまた、無駄口を叩くことなく、ダン殿下の執務室へ行くため直ぐに動き出した。その背に、フォンビレートの「まぁまぁですね」という声が届き、自分が試されていたことを知ったが、それもプレッシャーに耐え続けた身としてはどうでもよく、ただグレイブに幸あれと願うばかりである。




 その頃の執務室では、ダン=ウタヤ=ダ・イジュールが、次々と積み上がっていく書類に頭を抱えていた。

 王都から久しぶりに戻り、たまっていた領地経営の書類を整理しようとしてたその目論見がどんどん潰されていく。シシリアから「がんばれよ」と同情と憐れみが多分に交じった視線を受けて送り出されたが、それにしたってこれは予想外だ。

 いや、執事ばかりが目立つがその実たいへん優秀なシシリアとその後方に控えていたレライがあのように言うのだから、ある程度は覚悟していたが、それをはるかに上回る書類の量である。

 執事が苦い顔をしつつ、ジェレミーから受け取った書類を机に置いていくのを見ながら、心底叫ぶ。


「どうしてこうなった!」


 それは、メリバの使用人全員の総意でもあった。

 昼の時点で50を超えていた改善指摘が、夕刻に150を超えていると誰が予想できるか、それに尽きる。

 あそこの掃除が行き届いていない、に始まり、警備の不備やら使用人の勤務態度など、屋敷中を見て回ったフォンビレートからの指示はすべてダンのもとに届けられていた。それもこれも、フォンビレートの「ダン殿下を差し置いては……」という判断によるものだが、正直、ダンにとってはありがた迷惑である。

 もちろん、ダンとて、それが最も望ましい命令の仕方であることは知っているが、それでも、「これこれの使用人に鋭意努力を促す書類」や「これこれの場所への掃除命令」などにいちいち判など押すことが如何に馬鹿らしいか、誰かに理解してもらいたい気持ちでいっぱいである。


「ルイズに抱きつきたい……」


 あまりの精神疲労に、うっかり愛娘の名前を出すほどだ。


「殿下、お気持ちはわかりますが、現実を直視しましょう。何も考えずに、判を押せば半刻もかかりますまい。そうすれば、ルイズ様へもイザベル様へも抱きつき放題、膝枕してもらいたい放題です」

 執事がなだめているようで、その実、大変失礼な言葉をかければ、ダンはしぶしぶ書類に向かう。もちろん、何も考えずに押すことは出来ないので、半刻以上かかることは決定的だ。

「……一応、言っておくが、別に抱きつきたいからやる気を出したわけではないからな」

「存じております」

 ダンからの釘刺しに、執事は不敵に笑った。

「膝枕が主な要因であることくらいは」

 ……執事が多少失礼な輩なのは、もはや様式美なのかもしれない。


 余談になるが、ダンが愛妻家であることは王国内で広く知られていることである。

 貴族や裕福な者は複数の配偶者を娶るのが常であり、王族とて例外ではない。正妻だけを愛していると公言する貴族はめずらしくはないが、それと現実は別物である。そのため、「子孫を残すため」という建前に負けずに、唯一人だけを妻としているダンは王国内での人気が非常に高い。

 加えて、ダンの妻エリザベスは忌色を宿す人間であり、彼らの結婚は世紀のロマンスとして民衆に語られている。

 ダンがとてもやる気を出しているときは、「エリザベス様に膝枕をしてもらえるらしいよ、今夜」というのが部下たちの間で交わされる会話でもあった。本人に直接言う者はあまりいないが。


 閑話休題。


 フォンビレートか提出された山のような許可申請書に判を押し終わったのは19時を回ったあたりだった。

「終わったよ。これでいいかい?」

 処理の終了した書類を、訪ねてきたフォンビレートに手渡せば、本当に確認しているのか疑いたくなるほどのスピードで紙がめくられていく。

「確かに」

 最後の1枚を確認し終わったフォンビレートはダンの方へ顔を向けた。


「すべてに許可を頂き、心から感謝いたします」

「いや、すべての指摘が最もだった。使用人からの賞賛の声も届いているからね」

「もったいないお言葉」


 型どおりの会話を、しかし通常よりも穏やかに済ませると、フォンビレートは背筋を伸ばし、正式な挨拶の形をつくった。

「では、殿下。私はこれで失礼いたします。何か問題が起きましたら、直ぐに王都へ報告するようにとの陛下からのご伝言です」

「承知した、と陛下に。御配慮感謝する、とも伝えておいてくれ」

「確かに、承りました」


 そうして帰っていくフォンビレートの背に、ダンは祈る。


 ―― 今年はもう会いたくないなあ、ワーカーホリック執事には ――



 その願いが叶えられないことを、この時はまだ誰も知らなかった。

 2週間後、彼らは再び顔を合わせることとなる。




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