汚れた車輪 女王は馬車に乗る
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車輪の音が響くだけの車内で、シシリアはほとんど変わらない外を見つめていた。フォンビレートも特に何も言うことなくそこに座している。
何日も王都を空けることはできないということと、誰かが処分に残らねばならないという理由により、現在王都に向かっているのはその2人と隠密方だけであった。
処分には法務局とレライが当っている。
「ねぇ?」
「はい」
外から視線を外さずに、シシリアから声が上がる。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
これまでのどの時よりも、静かに問いかけられるそれに、フォンビレートは押し黙った。彼自身はそれが全く正しかったことを確信しているが、打ち明けないことが罪であることも知っていた。
「フォン? それは、貴方が背負うべきのものじゃないことぐらい理解しているでしょう?」
「……はい、陛下」
「貴方は、何を真実にしたの?」
手加減なしで問われるそれは、フォンビレートの最後の抵抗をはぎ取った。シシリアを何も知らないままには出来ないことを悟り、口を開く。
「今回の件、彼らが償うべき罪として提起したものに嘘はありません」
「では、内容が違うのかしら?」
「はい。……あの場に居た者が無意識に補完してしまったもの。すなわち、彼らがすべての国民に対して謝罪をする必要はないということです」
あの裁判では、3つに分類した罪でテリス以下騎士団とコモロ家を裁いた。
すなわち、未開拓地での狂い病、ミューズ共和国への密輸、それに騎士団員の1人を死亡させたことの3つである。だが、それは厳密に言えば違った。
「彼らの罪は厳密に申し上げれば4つになるのです。……『未開拓地』ではなく『ワルメールの狂い病』と『アーデルハイトの狂い病』に分けることが出来るのです」
「そういうことね……」
何か隠していると思っていたが、まさか言葉の綾の中にそれが隠れていると思いもしなかったシシリアは驚愕に眼を見開く。
「単刀直入に申し上げますと、ワルメールの一部とアーデルハイトの狂い病の原因はアサではないのです」
「では、何が原因なの?」
「順にご説明申し上げます。まず、アーデルハイトですが……アーデルハイトは北にあり、当然のことながら寒い。ですが、あの地の木々は見境ない伐採を禁止されています」
「土地があれ以上痩せてはたまらないから」
「はい、その通りです。……ですが、それでは暖がとれない。それで人々は酒に頼るのです。あまり知られていませんが、行き過ぎた飲酒は人に害をもたらします。酒の奴隷になることさえあるのです」
「つまり……酒に対して中毒を起こしてしまうということ……ね?」
「はい」
アーデルハイトは北国に位置するカルデア王国の最北端である。
冬は極寒という表現では生ぬるいほどに冷え込み、生き残れる植物は僅かしかない。
アサはその地で生き残れるほど生命力が強い植物ではない。よって、彼らがアーデルハイトの狂い病に責任があるはずもなかった。
「彼らコモロ家は、アーデルハイトにおける狂い病に一ミリたりとも関わってはおりません」
「……なるほどね……ワルメールの一部、というのは?」
「ワルメールは確かにアサが自生しており、大抵の狂い病はアサが原因でしょう。ですが、それだけではない。……陛下は、ナツメグという香辛料をご存知でしょうか?」
唐突に出てきたそれに、シシリアは虚を突かれた。
脳裏に、フォンビレートとイッサーラの会話がよぎる。
「……それが原因なのね?」
「はい、陛下。ナツメグという香辛料は一度に許容量を超えて摂取した場合、アサと似たような症状を引き起こします。もっとも、何度も同じことをしなければすぐに良くなるはずですが」
説明し終えたフォンビレートはシシリアに向けていた顔をゆっくりと伏せた。シシリアもまた顔をはずし、窓の外を再び見る。
「一応、聞いておくわ」
「はい」
「なぜ、それをあの場で言わなかったの?」
何一つ自分の逃げ道を断とうとするシシリアにフォンビレートは心中の苦いものを認める。
一体、この主は全てを背負って国主たろうとするのだ。
それが、現在の彼を形作ってもいる。そういう人間だからこそ、余計な手出しをしたくなるのだ。
「それは……」
フォンビレートは相当な努力を払って声を絞り出す。
「都合がよかったからです」
「……」
国民にとって、どのような経緯で、今の状態になったかなど関係ない。
彼らが知りたいのは、「悪い奴はだれか」 その一点だ。
「アサを原因としない狂い病が判明したところで、誰も益を得ないのです。政府に対する信頼が揺らぐことが、何よりシシリア様に対する確信が揺らぐことがあってはならなのです」
「だから、手ごろな人間に、罪を着せた……」
「はい、そうです」
フォンビレートはこれ以上ないほどに、きっぱりと肯定した。
「私は、彼らを処罰すると同時に、政府の保身を図りました」
馬車の中に張りつめて響くその言葉。
シシリアにはそれが殺傷力のないナイフに見えた。それに甘えそうになり、首を振ってその考えを振り払う。
「フォン。言い直しなさい」
シシリアの言葉に、フォンビレートの瞳に躊躇が生まれた。
それだけは、したくないのだとかたくなに訴える瞳にシシリアは真っ向から挑む。
「言い直しなさい」
「……私は、彼らを処罰すると同時に、政府の保身を図り…………シシリア様はそれを許されました」
「そうね。私は何かおかしいと思いながらも、それを許した」
空気を震わせず、フォンビレートに聞こえる声に彼はうなだれ、そのまま車内に沈黙が横たわった。
―― あなたが勝手に背負いこむのはやめなさい。だれも、望んでいないのだから。――
「話はそれだけよ」
シシリアはそう締めくくると、眼を瞑った。
彼女は結局、すべてを知らないままだった。
イジュール家にも責任があることも、信頼すべきイッサーラすらそれに加担していたことも、それらすべてをフォンビレートが消し去ってしまったことも そのために、国内の数多の人間を手に掛けたことも。
何一つ知らないまま、彼女は事件を終結させたのだ。
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『政令第41号
シシリア=マイアー=ド・イジュールよりこの命令が発せられている。
アーデルハイトの開拓民に対し、これまでの功績に報い、政府より年間24tの木材を薪として支給することとする。アーデルハイトギルドに所属する者は誰でもこれを受け取ることができる。
また、コモロ領地への道路整備に変わり、アーデルハイト及びワルメールへの直通道工事への取り掛かりを命じる』
『敬愛なるアルマン=ハズメイド=ダ・イジュール様
このたびのご尽力、カルデア王国政府を代表し、深く感謝申し上げます。
このような形でご報告を行いますこと、ご容赦いただければ幸いです。
さて、このたびの件に関し、カルデア王国政府からの決定を通知申し上げます。
政府は、ルシェンダとしての家名を正式に承認し、今後貴家へ一切の干渉を行いません。
また、家名の承認に伴い、カルデア王国民としての義務及び権利の放棄を認め、カルデア王国内に残る『狂い病』に係るものを含めた一切の情報を焼却することをお約束申し上げます。
ただし、イッサーラ=ハズメイド=ダ・ペンタグの継承義務に関しては国王誓約第4号に則り、履行するべきことをここに確認いたします。
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どうぞお体に御自愛いただき、これまで同様見守っていただければ幸いです。
貴方の弟子たる フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト』
『隠報第563号
フォンビレート様
ご指示通り、王家の関与を示す一切の書類を破棄しました。
また、王家とルシェンダ家との関わりを示す証拠・証人は既に存在いたしません。
リリー 』
『局報第27号
法務局長官 エル=ニー=ド・カンポリス より以下、報告。
此度の『狂い病』事件に関する処罰の執行状況についてお知らせいたします。
コモロ伯爵家当主 トマイル=ルーダ=ダ・コモロ 以下5親等以内の全ての血族及び姻族の処刑完了
コールファレス王立騎士団員 120名 ルファダニア銀山への移送完了 順次強制労働開始
コールファレス王立騎士団創立以来の所属者 369名
内284名 自宅軟禁完了
内 56名 取り調べの際の抵抗により極刑執行
内 24名 名誉ある死の権利を行使
内 5名 ザルバロス金山への移送完了 順次強制労働開始
また、御懸念のイジュール家と狂い病との関わりを示す証拠及び証言は見出されませんでした。
以上、ご報告申し上げます』