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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅰ 騒動は初めから
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騒動の始まり 前篇

 5つの国から成るフロン大陸。

その中にあっても、1、2を争う巨大で豊かな国土を誇るカルデア王国は、別名『草原の国』とも呼ばれている。その名にふさわしく、王都グラーティアは大陸中で最も文明が発達していると言っても過言ではない。


 その発達した巨大都市グラーティアの中にあってもひと際輝く王宮殿内。

 強い日差しが少しずつ和らぎ始めた夕刻間際、執務室内で、女王シシリアと執事たるフォンビレートは向かい合っていた。

 話題の中心はもっぱら、本日の朝執り行われた任命式についてである。


「なんてことをしてくれたのかしら、フォン?」

 うんざりした表情と冷たいまなざし。燃えるような髪色が逆立たんばかりに怒りを宿している。

  常人ならば恐れの一つや二つ抱いても可笑しくはない表情であるが、この執事には通用しないらしい。

「何か至らぬ点がありましたでしょうか?」

  フォンビレートは眉一つ動かさずにとぼけた返事を返した。

美しいというよりは迫力のある相貌を持つ彼女の凍えた視線を前にして動じないのは、王宮中でフォンビレートぐらいのものであろう。

  人が触れれば萎縮してしまう温度も、かれこれ十年仕えるフォンビレートにとっては、慣れた視線と言っても構わない。その程度のモノであった。

  気付いていながら、聞いているとも聞いていないとも知れない涼しい顔をしている。

 そもそも彼は、シシリア相手に限らず、この程度の視線に押し負けるような殊勝さを持ち合わせていない。


「け・さ・の・こ・と・よ?」

「申し訳ありません。偽りを述べることは許されない、と聞いたものですから」

 わざとらしく強調された言葉を耳にしても、素知らぬ顔をして紅茶を手際よく淹れている。

 まるで、自分には全く関係のない出来事に感想を述べているかのような気安さだ。


 傲岸不遜を地で行く執事に、シシリアの、もともと険しかった表情がさらに剣呑さを帯びた。

 白い肌が怒りで朱みがかり、それに呼応するようにして赤い髪が本当に立ってきている。


 ――この執事は解っているのだろうか。自分のせいで、世間が騒々しくなっていることを。


 睨んでみたところで、どうにもならないことは解っているが、それでも一言物申したい。

 そんな思いで、しばらくじっと見つめていたが、ややあって諦めたように力を抜いた。

 優雅に動くフォンビレートの手をじっと見つめながら、物思いにふける。


 

 フォンビレートが前代未聞の誓いの言葉を述べた後、宮殿は大混乱に陥った。

 なにしろ、誓いの言葉は国民に公開しなければならないのだ。

 『シシリア=プレケス=ド・リーベルタースの御為だけ』ということはつまり、王家も国民も眼中にないと宣言したに等しい。影の執政官とまで言われる執事が『何かあったら、女王以外は見捨てます』と言っているなど知られてはならないのだ。

 かといって、宣誓をもう一度、というわけにはいかない。カルデア王国には『誓約したことは果たせ』という簡潔かつ絶対の箴言があり、やり直しなどという選択肢は存在しない。

 たとえそれが、儀礼的なものであっても、である。


 にも関わらず、顔色一つ変えない自らの執事に、シシリアは苛立ちを忘れて呆れてしまう。ため息を一つ。

「あなたね……事の重大さがわかっているの?」

 そんな問いにも、つい、とほんの少し顔を向け「分っております」と、静かに答えるフォンビレートにがっくりと肩を落とした。


「だいたいね!」

 自分を奮い立たせ、再度顔を上げる。

 目の前の解らんちん、もとい、解らず屋の美形執事へ向かって、シシリアは盛大に噛みついた。

「大人の対応っていうものがあるでしょう? お・と・な・のね。別にわざわざ入れる必要はないじゃない!」

  過去に、王だけに忠誠を誓った執事が居なかったわけではないし、そういう感情を持つフォンビレートが格別珍しいわけではない。それを、わざわざ国民に向かって宣言するようなバカが居なかっただけで。

こやつ本当は有能じゃない(ばかな)のかしら、と心中で罵り、荒い息でも吐き出しそうな形相で吐き出すと、フォンビレートは無表情だった顔をにこやかに動かした。

 ヤバイ、と瞬間で悟るが、取り返しは付かない。

「しかし、入れない理由にはなりません。それは誤解を招くと知っていながら行う性質の悪い、詐欺にも等しい行為です。陛下はまさかそのようなことを望んでおられたのでしょうか? それでしたら、私は深い謝罪を行わなければなりません。陛下の御心を酌めない私など……」

「……もういいわよ!」

 フォンビレートの長々と続きそうな嫌味に、早々と白旗を上げる。もとより、口から生まれてきたとしか思えないこの執事に勝てた試しはない。かれこれ10年もの永い間、連戦連敗である。

「よーくわかったからいいわ……あなたってもとからそうだし……20も年下の男に言いくるめられる女王ってどうなのよ、本当に」

 やや自嘲気味にぼそぼそと呟くシシリアは今年で43才であり、カルデア王国の寿命でいえば中年の部類である。一方、フォンビレートは今年20才になったばかりであり青年と呼んでもいい年齢であった。もちろん、歴代筆頭執事の中で最も若い。


「陛下、問題は23才年下かどうかではなく、たかが一使用人に勝手を許していることであるかと思われますが」

「うん、とりあえずそれ止めて頂戴。腹立たしくてこのまま王位も放棄してしまいそうだから」

 さりげなく正確な年齢差を示しつつ真の問題点を指摘するフォンビレートを、シシリアは半眼になって睨みつけるが、彼はやはり顔色一つ変えず、何事もなかったように紅茶を差し出した。

 コトリ。と僅かに音がして、テーブルの上に湯気の立ち上るティーカップが置かれる。その横には、料理長自慢の一品・スコーンが香ばしく焼き上がっていた。


  どうぞ。と無音でテーブルを移動した紅茶を手に取る。

  「本日は、キップ産の茶葉を使用しております。近年人気が出てきており、試しに卸させてみました。お口に合いましたら継続的に買い取りを行おうと思っておりますので、率直なご感想をお願いします」

 あからさまに話題転換をされたことがシシリアとしては大いに癪に障るのだが、実際このまま言い合いが続くほうが不毛であるので、しぶしぶながら紅茶を口に含んだ。

 口に含んだそれは、たしかに薫り高くほんのりと甘い。

「ん、美味しいわね」

 シシリアは言われたとおりに感想を漏らす。こんなに暴言を吐くくせに、どうして紅茶はおいしいのかしら。

「正確と腕は必ずしも比例しないものですので」

「……勝手に心を読まないでちょうだい」

「御意」

  人を食ったような返事ですら腹が立つのだけれど、しょうがない。自分が任命したのだからしょうがない。しょうがない。うん、負けたとかない。

 

  ひたすら自分を宥めるように深呼吸する。


「ところで」

  シシリアの心中を知ってかしらずか、どこに隠し持っていたのか分からない量の髪束がすっと差し出される。

「ん?」

  それが数日前に自分が言いつけた仕事の報告書だということは直ぐに分かった。

  どうやら、じゃれあい――言いくるめられただけとも言える――は終わりらしい。

「最優先の対処案件からまとめております」

「ありがとう」

  一番上から順番に紙面をさらっていく。全部で100枚はあろうかと思われる報告書も、大まかに内容を把握するだけならば30分もあれば十分だ。

  王国が現在抱えている外交的案件。内政、王族、貴族、民。奴隷。


  ぱらぱらと捲り終えたところで、深々とため息をつく。


「……想定内。けれど多いわね」

「はい」

「とくに、これ」

シシリアが抜き出したのは、数多くの報告書の中の一つ。

 国内の貴族に関する報告書だった。

「敵対する勢力の中に、公侯爵が混じっているのは、さすがにまずいわ」

「現諮問機関の3公は、様子見の構えのようです。積極的な混乱を望んでいるわけではなく、さりとて現状を打破する気概もなく、といったところでしょうか」

 カルデア王国の執政は、王と王の諮問機関である7公侯爵家当主によって握られている。

  諮問機関は、王権に関する決定を取り仕切る御前会議のメンバーを兼ねている。特別な罷免と任命が無い限り10年毎の持ち回りであり、現在のところ前国王・ヘンリルが任命した者達で構成されていた。

  その7公侯爵すべてと他の幾つかの公侯伯爵家が、シシリアの敵対勢力とまではいかなくとも懐疑的に見られている現状は、頭を痛めるのに十分な状況だった。

王太子の座について2年。

  その立場で打ちうる限りの手は尽くしてきたが、さて。

 

「すぐに靡いてはくれない、か……」

「喜ばしいことか悲しむべきかの判断はつきかねますが」

「……そうね」


  カルデア王国は『大国』と名高いだけあって、王制の政治でありながら、貴族達の意識は高い。国の中枢に取り立てられる者達は皆、有能だ。

  有能な者達は当然のように有能な王を求め、認めてこそ心からの忠誠を誓う。


  前国王・ヘンリルは名君として名高く、その治世中に4人の王子と2人の王女をもうけた。王族としての責務を十全に果たしたと言える。

  だが、不幸は容赦なく彼を襲い、また王国をも揺るがした。

  第1王女は降嫁先で病死。その数年後、第1王子と生後数ヶ月の第3王子が流行病で。さらにその数年後、第2王子は軍の訓練中の落馬事故で。そして2年前、第4王子――当時の王太子――が肺結核により亡くなった。

  ヘンリルが亡くなった時、直系の王族は、第5子第2王女という王位から一番遠い位置に居たはずのシシリアしか残っていなかったのである。

 

  当然ながら、シシリアが王位を継ぐなどと誰も予想していなかった。

  王としての教育も、長年受けていた第4王子に比べれば、比較するのも虚しいほどしか受けていない。

  王家の子女としての淑女教育は受けていたし、お飾り程度の役職を与えられてはいたが、実績があるはずもない。むしろ、祭り上げられないように常に無能を装ってきた。

 

 ないない尽くしのシシリアに後ろ盾があるはずもなく、治世が始まっても居ないこの時期に、前国王の評価と比べて”暗愚である”というレッテルが貼られようとしている。静観している者を味方として数えなければやってられないほどの逆風だ。

  それが、どう贔屓目に見ても暗い未来しか思い描けないシシリアの現在地であった。


「どれぐらいの比率?」

「現在、5:4:1と言ったところでしょうか」

  勢力分析をさせれば、ちょっとオブラートに包んで欲しくなるような絶望的な分析をしておいて、当の本人は涼しい顔をしているのだから堪らない。

 紅茶がおいしいですね、とか、今日は寒いですね、とか。そういう世間話のような軽いトーンで言うことではないと思う。と、半ば八つ当たり気味に思う。


 「ああ、貴族の方々に限れば5:5でしょうか」

  さらに嫌味な蛇足を付け加えるのは、何か私に恨みでもあるのかこいつ。


 「……じゃあ最初からそう言いなさいよ。1に希望を持っちゃったじゃない」

 「それはそのままお持ちください」

  げんなりしながら文句を言えば瞬時に返ってくる答え。

  は、意味が分からない。と見上げた先に、三日月の毒々しい紅の瞳。猛々しい獣か命を刈り取る死神か。とかく人外の雰囲気を漂わせるフォンビレートがいた。瞳に吸い込まれそうだ、と思った。

 「私がおります」

 「……」

 「シシリア様がお望みならば、全世界を敵に廻しても負けることはあり得ません」

 

  は、っと我に返ったときには、既に重い空気は霧散していた。今のは幻だろうか、と馬鹿なことを考えたくなるほどに、何も無い。

  気づいたときには、喉の置くから笑い声が漏れ出す。

 「どうかなさいましたか?」

  澄ました顔でとぼける執事に、より一層の笑い声をぶつけた。

 「そう、か。おま、え、か」

  笑い声に飲み込まれないように、一音一音吐き出した。


  そうか。お前が。お前だけが、1なのか。私の、味方なのか。

  

  全世界と渡り合える、というその自信が一体どこから来るものか、シシリアには見当もつかない。

  けれど、それは全く不快ではなかった。


  貴女の味方は私だけだ、と言われるのも。私が付いているから貴女は強い、と言われるのも。


 「そうか」

 「はい」

  そうだ。初めて会ったときから、そうだった。そうあるしかなかった。フォンビレートも自分も、何時だって何も持っては居なかった。

  使用人中から憎まれ蔑まれていたフォンビレート。誰からも期待を受けていない(じぶん)


  これからもそうあるのだ。

  それは、全く当たり前の事だった、と思い出し、刻む。

 「悪くない」

 「はい」

 「悪くないぞ、フォン」

 「はい」

 

  喜劇の幕開けのような高揚感を胸に、フォンビレートを見やる。

  ただ静かに佇むその男が、私の味方ならば、全然、全く、これっぽちも悪くない。負けるはずも無い。

   

 「獲物のふりは終わりだ」

 「御意」

 


  その日、シシリアは自らの権能を手にするための第一歩を踏み出した――。

 

 

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