兵士と芸術家 後篇
フォンビレートがミューズ共和国で取引を行っていたころ、王都でも駆け引きが行われていた。行っているのはシシリアとレライであり、相手はコールファレス王立騎士団である。
王国最強を誇るこの部隊は、実戦での勝利こそ最上の献上品だとして、演習をほとんど公開しない。
これまでの数々の戦いでその力はいかんなく発揮され、そのあまりの強さから、国王であってもそれを見ることは叶わないことが通例となっている。
それは、君主の立場からすれば理不尽この上ないのだが、『秘密こそが強さの秘密です』というよくわからない詭弁を打ち破れた人間はあまりいない。シシリアとて、波風立てるのは好きではないし、できるなら穏便に行きたいと願っている。しかしながら、フォンビレートが気になっている点を解明するのに欠かせないと説得されれば、それに従うしかなかった。
つまり、コールファレスひいてはコモロ辺境伯と事を構える覚悟である。
「それで、陛下はいかなる権限の故にこちらへいらっしゃったのでしょうか?」
物腰はこの上なく丁寧でありながら、そのくせ、威圧するそぶりをまるで隠さない態度を見せる男の前に、それは早くも崩れそうだったが。
「テリス騎士団長。あなたにそれを問い質す権利がおありとお思いか?」
レライが横でやりあってくれているが、聞いているだけで草臥れてしまいそうである。
実際のところ、レライにかつての権限があったとしても、コールファレスに言うことを聞かせるのは容易ではない。レライは文官よりの貴族であり、軍閥の頂点たるコモロ辺境伯とはほぼ同格であったからだ。
有事であれば、コモロ伯の独り勝ちである。
「レライ殿には聞いておらん。私は、騎士団長の権限でもって陛下にお聞きしているのだ。文官には黙っていただきたい」
案の定、ただの文官レライの言葉に耳を傾けることなく、シシリアの方に問い尋ねる。
いかなる権限も何も「国主たる権限」でもって見たいのだが、そんなことを言ったところで、先例を引き合いに出されるのが落ちだ。なんとか譲歩してくれないか、と期待を込めて見つめても、帰ってくるのは無表情ばかりである。
「先王方は、皆、我らを信頼し我らの働きを評価してくださり称賛してくださいました。シシリア様とてそれはおわかりのはずでは?」
聞く者が聞けばわかる、明らかな挑発を含んだそれがシシリアに突き刺さった。自分たちの失態が明らかになっていても、態度が一切崩れない。
―― やはり、あれを言わねばならないのか ――
出発前、この頑強な抵抗を予想していたフォンビレートに、もしもの時は言うように言い含められていた言葉だ。シシリアにしてもフォンビレートにしても、それを言うのは嫌で仕方がないため、最終手段としてしか使用しない、というお願いつきで用意されていた。
「それは」
覚悟を決め、口を開く。
「私が『無能』だということか?」
シシリアの一言で、もともと穏便ではなかった場の空気が一気に凍結した。それは、シシリアの狙い通りである。……フォンビレートの狙い通りとも言う。
「私が巷で何と呼ばれておるか知らぬとでも思うたか?……『無能王』、『執事の腰ぎんちゃく』、はては『我が国の災害』」
「……いえ!そのような!」
慌てて、シシリアの独白めいた言葉を止めようとするが、それを無視して声高に、自分を憐れみつつ演技する。
「民に理解を求めようとは思うてはおらん。それは、後の世代が評価すべきことだからだ。……だが、そなたたちまでそのようなことを言っておるとは!……なんという屈辱だ!!」
何と嘆かわしい。死んでしまいそうだ!!生きていけない!!!
延々と続くシシリアの演説に下働きの人々も何事かと集まってくる。
王宮で働く人々は、普段、この離れた演習場に近づくことはめったいない。だが、言葉を交わしたことはないとはいえ自分の主が、泣き叫んでいれば話は別である。
「おい、あれって女王様じゃねぇのかい?」
「目の間にいるのは、一番強い騎士団長様だろ?」
「……てぇことは、あれかい? 騎士団長様が女王様を泣かしちまったってことなのかねえ……」
「そうだろうよ。女王様も大変だなあ」
「今日は、あの執事様もいらっしゃらないしなあ……」
「なんでも、お前みたいな無能な人には演習は見せられない、とか言ったらしいぞ」
「いや、俺が聞いたところじゃ、執事様がいなきゃ何にもできない奴って言ったってよ!」
目の前には屈辱的な状況に唇をかみしめている主、その前に立つ強そうな騎士。自然と勧善懲悪の心理が働き、皆、シシリアの味方をしはじめた。
そればかりか、段々と騎士団長について悪い方へ悪い方へ話を膨らまし始める。
「いくら騎士団長だってなぁ!女王様を泣かしたらいけねぇだろう!!」
「そうだ、そうだ!!」
「だいたい、お前たちだって大したことやってねぇじゃねぇか!!」
「戦争がなきゃ何にも仕事なんてしない癖に、女王様のことを『史上最低の女王』とか言っていいのかよ!?」
もはや、最初の会話の影すらない罵倒に、騎士団はいまにも抜刀しそうになっている。さすがに女王の目の前でそれはできないため、鬼の形相で騎士団長を取り囲み周囲を威嚇しているだけだが、このままでは怪我人ぐらいは出そうな雰囲気であった。
「お前らなんて、ただの金食い虫じゃねぇか!!」
その雰囲気を敏感に感じ取り、一瞬、静寂がいきわたった中、その言葉はよく響いた。
「だれ・」
「おやめなさい!!」
あんまりな言葉に、テリスがだれだ!!と誰何の怒鳴り声を上げようとした瞬間、シシリアは声を上げた。自分が始めたことでは"ない"かのように。
「それ以上の罵倒は、この私が! 許しません!!」
「彼らがいなくなって良いと胸を張れるものがだれかいますか! ……いるなら今すぐこちらに出てきなさい!!」
「彼らはこの国のために! 身を粉にして働くために! 日々、鍛錬しているのです!」
「その努力を、『金』だけで判断するような者は、だれであろうと許すわけにはいきません!!」
周囲をキッと睨みつけ、威厳を保って諭す。
その、怒気を多分に含んだ声に、誰一人として声を出すことはできなかった。
「レライ」
「はっ!」
「散会させなさい!」
「御意」
空気が落ち着いたところで、レライに指示を出し、野次馬を散らせる。
それが行われたことを見届けてから、シシリアはテリスに深々と頭を下げた。
「申し訳ない。……王国のために最善を尽くしてくれている、そなた達に対してあのような無礼な言葉。……早くに止めておくべきであった。……私の失態である」
王族が、それも国王が、自分の非を全面的に認め、一家臣に対して頭を下げている。それは、この国に生まれ育ったものにとって、何よりテリスにとって衝撃的な光景だった。
この、異常ともいえる状態に対して何と声を出してよいかも分からずに、皆、立ち尽くす。
「何なりと、責めるがよい。いかなるものをも受けとめよう」
裁きを待つ罪人のように真摯に言葉を紡ぐシシリアの姿は、頭を下げているにも関わらず、神々しかった。
自分が見ているこれは、夢か現か――。そんな気分に囚われる。
「陛下……」
短音で聞こえる、砂がこすれる音にシシリアが何事かと頭を下げたまま視線を上げると、騎士たちの頭頂部が見えた。
視界に、1人また1人と、増えてゆく。
「陛下。頭をお上げください」
顔を上げれば、シシリアの周囲を囲むように、3重の輪が出来ていた。
目の前では、テリスが最大級の敬意を表し、右手を心臓に充て片膝を立てながら、左手を地面につけている。
「我らこそ、先ほどの態度。深くお詫び申し上げます。……我らは、王国のために命を捧げることを是とし、誉とする者達です。力はあれど、振るう場所が分らずにおりました」
カルデア王国ではもう何十年も大きな戦争は起きていない。
国境の辺りで小競り合いは起きているが、それが王国中に伝わる事はなかった。確かに、命を落とすものは存在するのに、確かに戦っているのに、なに一つ賞賛が与えられない。
そんな状態で何十年も闘ってきたのである。彼らを支えていたのは、英雄の子孫としての矜持のみ。
それゆえ、何も信じてはいなかった。
民も。王家も。王も。何も信じられなかった。
「ですが、我々は、今日、確信いたしました」
だが、シシリアはそれを肯定した。
彼らが、国にとって必要であると、少数の前であるが民の前ではっきりと述べた。長年にわたって欲していた言葉は、雷のように彼らを貫いたのだ。
「貴方こそ、我らの主です」
「「「「「「主です!!」」」」」
テリスの力強い宣言に、騎士団全員が和する。
「今日ここに、我らコールファレス騎士団は、陛下への永遠の忠節をお誓い申し上げます」
「……そなたらの心、しかと受け取った。……その誓いを胸に抱くことを約束しよう」
『あまりに美しい光景は、人を恐怖に落とし入れる』
はるか昔、母から教えてもらったことを思い出し、シシリアは一人納得した。
―― 確かにこれは恐ろしい
★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆
本来の目的であったメイゼルの死に関する再度の質問の他に、騎士団からの思いがけない忠誠心を得たシシリアが機嫌よく戻ると、レライが既に執務室に入っていた。
見た瞬間に、頭が冷えて行くのを感じながら尋ねる。
「どうだったの?」
「はい、やはり、当りでございました」
「……はぁ……フォンはいつになったら間違うのかしら?」
ここにはいない執事に向かって嫌味を吐きながら、自分の椅子へ腰掛ける。
「というか、あいつ最低よね……」
「はい」
自嘲気味に呟くと、レライは間髪いれずにうなずいた。
そのあまりの早さに、シシリアはクッと声に出して笑う。
「つまり、貴方も私も最低ってことよ」
「重々承知しております」
対して、レライは表情を堅くした。
もっとも、シシリアのそれも、無理やり口角を上げた不細工なものであったから、心中は一緒だろう。
しばらく自己嫌悪を繰り返した後、シシリアが促すと、レライはポケットから袋を取り出した。
「約0.3グラム程、持ってまいりました。一番多く所持していたテリスの部屋から持ってまいりましたからおそらく気づかれることはないかと」
レライから受け取ったそれを見ながらシシリアはしみじみと呟く。
「これで、……たったこれだけで人は狂ってしまう。それは国を守っている。だが、それは民を脅かしている、か」
「……」
「ねえ、レライ。私は正しいことがしたい」
「存じております」
「でも、正しいことが分からないときはどうしたらいい?」
「……」
答えを求めているような求めていないような、微妙なトーンで淡々と語るシシリアにレライは何も言えなくなった。
「ねえ?」
「はい」
「私は今初めて、フォンビレートが恐ろしい」
「……」
「どうしようかしらね?」
子供のように、途方に暮れた表情をする女王。
彼女は今、フォンビレートにも、そして自らがこれから行うことに対しても恐怖を抱いていた。過去に行ったことを取り消せないことにも。
その表情に、言うべきかそうでないか迷った末にレライは口を開いた。
「すべては陛下が決められることです。……フォンビレートもきっとそう言うことでしょう」
「分ってるわよ! でも!……間違ってたらどうする?」
「陛下。二度は申しませんので、お聞きください」
「……」
「陛下が正しいのです。他の何者もそれを阻害することはできません。ですが、その判断に命を預けるものもいるということを努々お忘れなきように」
私が申し上げられるのはそれくらいです、と話を締めくくったレライをシシリアは涙目で睨みつけた。
―― やっぱり、貴方も嫌いだわ ――