兵士と芸術家 前篇
「お客さん、もうそろそろ最終停留場ですよ」
御者からかけられた声で、フォンビレートは目を覚ました。
馬車の堅い床に寝転がっていたせいか、体中が痛い。幌の間から入ってくる光も眩しすぎた。
「……と……」
「あと、2、3分かなぁ」
時計を確認すると、ほぼ定刻であることが分かる。
フォンビレートは御者に短く礼を言って、残り僅かとなった幌の隙間から見える外の景色を堪能することとする。
現在、馬車が走っている道の両脇は木々が生えていて、もう少し先を見ると、閑散とした停留場があった。申し訳程度に杭が1本刺さっている。
さらにその先を見れば、城壁が聳え立っていて、無駄な威圧感を与えていた。
「しっかし、お客さんも物好きだねぇ。王都からミューズ共和国に行くなんてさ」
御者の言うとおり、王都を出た時は満杯だったこの馬車も、停留場を過ぎるたびに1人また1人と減っていき、トルクメニア公爵領地を過ぎたあたりでフォンビレートただ1人になった。
一般的にいって、王都からミューズまで1度も宿をとらずに乗り続ける人間はほとんどいない。実際、王都とミューズでは3時間ほどのの時差があるので、途中で御者も2度変わる、そんなきつい旅である。
「いや、空の馬車を運転するつもりで交代したらよ、あんたが乗っていたからびっくりしたんだよ。それも暗闇に浮かぶような金髪だからねぇ。一瞬、幽霊か何かだと思ったくらいさ」
どうやら、昨日寝ている間に御者が変わったようで、相当につまらない旅を送ったらしかった。残りの数分を、全力で会話に費やそうとする御者に、若干の面倒くささを感じながらも相手をする。
「しかも名簿を見たら、王都から乗ってるって書いてあるしよ。……何しに行くんだい、一体」
「あぁ、主が急ぎの用らしくてね」
「あぁ、わがままな奴っているもんな。特に、ミューズの商人はそういう奴ばかりでいけねぇ」
『主』という部分も、勝手に補完したらしく、我が意を得たりとばかりに得意げに喋る。わざわざ訂正するほどでもないので、そのまま会話を流した。
「おっ、そろそろだ。降りる準備しな」
停留場が目前に迫ったため、御者も業務に戻る。
カラカラ・・・カラ・・カ・・ラ
徐々に減速し、杭の前でピタリと止まった。
完全に止まったことを確認してから、立ち上がる。馬車の後方に踏み台が既に用意されていて、それを降りつつ御者に乗車賃を差し出した。
「16ペンスだな?……よし、これでちょうどのはずだ」
ちょうどの金額を差し出すと、御者はすぐさま数えだし、確認したのち笑顔を張り付ける。
「毎度。また、乗ってくんなよ」
人の言い笑みを浮かべて、御者台に戻ろうとするその背中に声をかける。
「それは、ないな」
不意に低く響いたそれに、御者が弾かれたように腰元のナイフを抜くのと、フォンビレートが短剣で動脈を掻き切るのはほぼ同時だった。
「な……んで……?」
「4人目の御者などいるはずもないのだよ。密偵殿」
フォンビレートは冷たく言い捨てると、刀身を丁寧に拭ってから御者台のほうに向かう。
案の定、乾ききった血がこびりついていた。
それを静かに見つめ、あえて助けなかった、本当の御者の命に黙祷を捧げる。
1分か2分ほど悼んだ後、馬車を回収させるため木々の方に向かって一際甲高い笛を吹くと、今度こそ、城壁の方に向かって歩み始めた。
背後では再び馬車が動き始めている。
「入国の許可を求める」
身分証を渡しながら、定型文を言うと、門衛はあからさまに面倒くさそうな顔をしながら受け取った。
ミューズ共和国には正式な軍隊は存在しないため、門衛とは名ばかりで、持ち回りで回ってくる単なるボランティア集団だ。襲撃されても反撃することは求められていない。もっとも、これほど人畜無害な国は他になく、それをそのままにしておく―― つまり、緩衝地帯としている ――ことは各国間での暗黙の了解である。
「許可」
ざっと見るだけ見た門衛は、特に問いただすこともなく、城門の開場を許可した。
「良い滞在を」
やけに気障ったらしい門衛の言葉を背に、フォンビレートは入国した。
足を踏み入れると、城壁の外に閑散とした風景が嘘のような喧騒に包まれている。
「いらっしゃい、いらっしゃい」
「安いよ、安いよ。今日は、特別販売の日だよ」
至る所で、競うように張り上げられる声が、耳のいいフォンビレートにはほんの少しきつい。露店がほとんどだが、ときどき立派な構えの店も見受けられた。そのほとんどは、道具店 ――ミューズ共和国内ではもっぱら、芸術道具店を指す―― であって、やはりこの国の主産業が、芸術であることを思い知らされる。
とりあえず、目的の店を探すため、主街道と思われる道を歩くことにした。途中で買った食べ物を持ち、出来るかぎり、風景に溶け込むことを意識する。もっとも、フォンビレートの目立つ風貌も、奇天烈な格好が日常となったミューズ共和国の中では地味な方に入るので、それほど注意を払わずとも良い。
しばらく歩いていると、目当ての店を見つけ、周りを素早く見渡したのち、フォンビレートは店内に体を滑り込ませた。
「……へぇ……珍しいお客さんだねぇ」
暖簾をくぐってすぐの椅子に腰かけた店主は、こちらを胡乱気に一瞥してから開口一番にそう言ってのけた。手に持ったキセルを吹かしつつ勿体をつけて明後日の方を見やる。
どうやらこちらが下手に出ない限り、話を振るつもりはないらしい。それでもしっかり『わかっている』と釘を指すあたり、商売というものを心底理解している。
フォンビレートとしても、あまり時間のない中、下手な交渉に費やしている暇はない。
すぐに本題に入る。
「これを、探している」
懐から小袋を取り出し、机へ放り投げる。
袋はカサッと間抜けな音を立てて、着地した。縛り口から、白粉がほんの少し飛び出て、空気中を俟う。
「こんなものどこでも売っているだろう? そこらの露店に一声かければたちまち何グラムでも集まるさ」
中身をみないまま返事をするところをみると、既にある程度のことは察しているらしい。
「さすが、『耳早』だな。恐れ入った」
店主の二つ名で呼んでやれば、心底嫌そうに眉をひそめた。
「あたしは、そういうのはあまり好きじゃないんだよ。耳が早いんでなくて、勝手に入ってくるだけだからねえ……」
「しかし、情報とは繋がることに意味がある。そうでなければ、単なる知識に成り果てる。そうではないか?」
はぐらかす様に話し続ける店主に付き合っている暇はないと、フォンビレートは切り込んだ。
鋭く、的確な言葉に、ふうん、と言わんばかりの表情で店主は笑う。
しばらく見つめあって言えば、店主の顔にさらに特大の笑みが浮かんだ。
どうやら気に入ってもらえたらしい。
「その情報を繋げに来たのがお前さんという訳かい?」
「そうだ。できる範囲で、対価を払おう。故に、お願いする。……どうか、教えてはもらえないだろうか?」
店内に沈黙が流れる。
店主が口を開くまでの間、フォンビレートは唯そこに存在するべく、息を殺した。
★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆
タバコが2本と半分、キセルの中で灰となった頃、店主はようやく口を開いた。
「……永久不干渉……それを約束してくれたら話そう。……どうだい?」
「主の名にかけて、ルシェンダ家にはなに一つ害を成すことは行わない、と誓おう」
フォンビレートの返事に、2、3度大きくうなずくと、店主―ルシェンダ家当主・アルマン=ダ・ルシェンダ―は、ボソリと呟いた。
「カンパリの森経由。取引は、タンムズの日の22時から、国境で。それ以上は教えられない」
ミューズ共和国では、12日に1度の周期で日が回る。タンムズの日はその12番目の日だ。店の奥に掛けれたカレンダーをみると、今日は9番目のムスリカの日。つまり、取引が行われるのは明々後日の22時ということだ。
舞台を整えるための時間はあまりない。急がなければ。
「店主、世話になった。……礼は改めて伝える」
最低限言うだけ言ってから、暖簾を再びくぐり表に出る。
その背中に「そのしゃべり方、あんまり似合ってねぇぞ。フォン坊ちゃん」という、完全に馬鹿にした声が掛かるが、フォンビレートに届くことはなかった。
バキッ
手に持ったコップが割れたのは、唯の偶然に違いない。
★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆
後に残ったアルマンは、きちんとそれを把握しつつ、笑いをかみ殺した。
一体どこの貴族さまがくるかと思ったら、ただの愛すべき坊主がやってきたのである。確かに、あれはルシェンダ家の人間――特に今は、イッサーラの兄貴が気に入りそうな奴だ、と、面白さが後から湧いてくる。
「はてさて、あ奴は気づくかの? お前はどう思う?」
「……主、いじわるが度に過ぎますぞ」
店の奥から、小柄な男が姿を現し、アルマンを呆れたようにため息をついた。アルマンからしてみれば、あれでも手ぬるいほうなのだが、フォンビレートの方を調べていた男にとっては不憫ではならなかった。
「王都でもイッサーラ様に、遊ばれているようですし……」
「……それだけ、期待しているのだよ。……多分な。その証拠に帰ってきやしないだろう?」
「それはそうですが……」
先ほどの店での対処の仕方。言葉の選び方。交渉の材料。
どれをとっても、及第点が与えられる出来だった。
多少、身にそぐわない感じ―― 強いて言うなら、服に着られた子供 ――のような面は見受けられたが、まず、合格だろう。
周囲を武器を持った店の者に囲まれていることに気づいていながら、それをおくびにも出さなかった。それに、素性を知っていながら、最後まで『店主』と呼びかけたことも評価は高い。
「別に突っぱねてもよかったが……面白いじゃないか? え?」
アルマンとしては、正直、情報を渡すも渡さないも、どちらでもよかった。だが、話をしていて、これは面白いと思った。だから、渡した。
「そうですねえ……とりあえず、アルマン様。掃除の邪魔ですのでどいてください」
ゴッホゴホ・・・ウオッホ・ゴホ
玩具を自慢するがごとく、話しを続けようとする主を、はたきに追われた埃が包み込む。盛大にせき込みながら、店主は眼光を鋭くした。
「まあ、明々後日はお前達もついてこい。……へたすりゃ、歴史が変わるによってな」
「「「「「「はい、主」」」」」」
幾重もの重厚な返事とともに、店には静寂が戻った。