不穏な気配 後篇
これから罰を受けるというような覚悟の表情でもなく、恐れの表情でもなく、決意で固められたテリスの表情は、3人に警戒を抱かせるのに十分であった。それに、フォンビレートが入ってきた時に見せた、僅かな表情の揺らぎと相まって、違和感を増幅させる。
「報告したいことがあると聞いておる。話せ」
シシリアが口火を切ると、「はっ」と騎士らしい返事を返してテリスの弁明は常套句から始まった。
「先日、亡くなりました我が愚弟・メイゼル=イージス=ダ・コモロについての申し開きに参りました。本来であれば、我が父がこの場に参上せねばならないのですが、何分高齢ゆえ、また今回の事に関する心痛により動くことが出来なくなり、こうして私目が代理として報告に参っていますことをお詫び申し上げます。陛下におかれましては、なにとぞ寛大な処置を頂けますように」
「心おきなく話せ」
「ありがたきお言葉。我が愚弟メイゼルは、一昨日の未明までコモロ家御用達の酒屋にて飲んでおりました。1樽は呑んでいたそうでございます」
1樽で、だいたい4,5人は満足に飲むことができる。大酒のみの人間といえど、その量はきつい。酔っぱらったとしても無理のないことであった。
「それから、その酒屋からコモロ家の屋敷に戻りました。その際、屋敷の正門ではなく自室に最も近い御用聞門を目指したようで、屋敷の壁に沿って歩いていて道を誤り崖の方に行ってしまったものと推測されます」
「推測でしかないのだな?」
「はっ。誠に遺憾でありますが、酒屋で最後に見られたのが22時のこと。既に、屋敷の者は寝静まっておりまして、目撃できておりません」
「発見したのは誰なのだ?」
「地元の猟師にございます。崖の下は、竹やぶになっているのですが、そこを歩いているときに見つけ慌てて屋敷に報告に参った次第で」
シシリアとテリスの問答を聞きながらフォンビレートは引っかかりを覚えていた。レライに視線を向けると、彼もまたこちらを見返してきており、この感覚が決して気のせいでないことを確信する。だが、シシリアに進言するような程の大きな事ではないため、口を出すことが出来ない。
仕方なく、何も漏らすことがないように観察することに専念する。
レライも同じ考えのようで、終わりへ向かう弁明を聞きながらもテリスの方を油断なく凝視していた。
「他に弁明することはあるか?」
「いえ、此度の事は全て、メイゼルの愚かしい行為と我々コモロ家、またコールファレス団長たる私が責を負うべき事柄でございます。如何様にでも」
殊勝な態度で頭を下げ、処罰をまつテリスの態度は、合格点をつけれるほどに完璧だった。テリスを咎めるような場の空気も霧散していく様である。
これは一旦、時間を置かなければ正当な裁きを行えなくなると判断したシシリアは、一度フォンビレートの方に確認をとり、テリスに向き直った。
「そなたの弁明、しかと聞かせてもらった。しかし、事はかなり重大である。よって、1週間後に、改めて沙汰を申し渡すこととする……よいな?」
「はっ」
「では、この場は一度散会とする。1週間後にもう一度、顔をだすように。以上!」
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「どう思う?」
執務室に戻ったシシリアは、フォンビレートにすぐさま問い尋ねた。
「おかしいですね」
「間違いありません。あの曖昧さは、意図的なものでしょう」
フォンビレートの答えに、レライも同調する。
非公式での弁明とは言え、あれだけ力のある伯爵家が、あんなにも曖昧な答えしか用意してないとは考えにくい。
テリスの言葉には何一つ決定的なものがなく、あれでは、再調査が命じられてもおかしくはない出来である。確かに彼は、伯爵家に戻る余裕がなかったかもしれないが、それにしても穴がありすぎる。
「先ほどの話の中では、酒を飲んでいた店名を出していない」
「ええ、『御用達』で飲んでいる事がはっきりしているのであれば、直接、名を出した方が良い」
例え、隠したい事情があったとしても、そこまではっきりと言明してしまえば、後々でも分かってしまう。それに、店名などそう重要な情報ではないので、隠してもあまり意味はなく、意味がないので言わなかったのだとすれば、あまりに無能だと言わざるを得ない。
「何かあるのではないかと勘繰りたくなる。かといって、それを問うことも出来ない」
あまり重要でないそれを問うと、シシリアの能力にケチをつけられる可能性がある。
「何のために隠したんでしょうな……」
レライが椅子に深く座りなおして、呟く。
それと同時に、フォンビレートも口を開いた。
「それから、もう1点ほど気になることが」
フォンビレートの鋭い相貌がシシリアへ向けられる。
「なに?」
「今でも配置が変わっていなければ、という前提なのですが……」
「何だ?」
レライも怪訝な顔で、フォンビレートを見る。
「私の記憶では、メイゼルの部屋から最も近いのは、南門のはずです」
「南門?」
「ええ。正門と真反対にある、つまり、屋敷の裏手側にある門の事です。屋敷は正門を正面に見て、凹の形をしています。メイゼルの部屋は、3階東側、回廊が交わる角部屋であったはずです。御用聞門は西側にあるはずで、テリスの話では全く反対側の門を使おうとして、崖に落ちたことになります」
「…………俺はもう驚かない、俺はもう驚かない、俺はもう驚かない……」
レライは目頭を押さえつつ、呪文のように呟くが、フォンビレートはそれを意に介さずに話を進める。
「さらに申し上げれば、御用聞門側から入った場合、屋敷内に入るためには使用人用の扉を通らなければなりません。コモロ家ではどうだったかは分かりませんが、通常、主は使用人の生活に関与しないものです。彼が、使用人通用口の扉をあけることが出来た可能性は極めて小さいかと」
「つまり、御用聞門から入ったところで、部屋が近くなることはなく」
「むしろ、遠いはずです」
フォンビレートの説明を聞くにつけ、ますます、陰謀の匂いがする。
「やはり、もう一度問いただしましょう」
「しかし慎重にやらなければ。なにしろ、相手は建国の英雄の子孫ですから」
テリスは王国でも1,2を争うほどに人気がある。下手な尋問でもしようものなら、反発は必至だ。
「こちらから出向くということで、大方の質問を黙認させる方がいいでしょうね」
女王がわざわざ会いに行った、ということで、多少の強引な質問をぶつけることに目をつむらせる。これが、最も安全な方法であることは間違いない。
「そうね。……明後日、調整できる?」
「明後日の午前中は……コールファレスは演習場での訓練だったはずです。追悼も出来ないでしょうから、通常通りの訓練でしょう。……いつも時間割でいくと、正午は休憩の時間帯ですから、その時を狙いましょう」
「時間はどのくらい?」
「そうですね……30分がせいぜいでしょう。実際はもっと短いかもしれません」
「ん、わかった。それから、どちらが私についてくる?」
一通り確認し終わり、あとはどちらかを伴につけるという段階になったところで、フォンビレートが再び、あの、と遮った。
「フォン?」
「そのことですが……少し気になる点がありまして……別行動をお赦し頂けないかと……」
「「別行動?」」
常にシシリアの傍を離れないはずのフォンビレートの口から出た言葉が信じられないとばかりに、目を見開く。
「ええ、ちょっと」
しかも言葉を濁し、言外に、目を離してください。と訴えかけてくる。
彼の常套手段である隠密行動をするつもりであることは明白である。
「そう……いつまで?」
「3日。3日あれば、なんとかします」
目をそらすことなく、明言するフォンビレートにシシリアは深々とため息をついた。3日ということはすなわち、1週間後のコモロ家の処遇決定までに情報を持ち帰るということであり、なおかつ最初の方針 ―― ワルメールの現地調査 ―― をすっ飛ばして行う用意があるという意思表示である。
「あなたのその隠密癖、治らない?」
「申し訳ありません」
シシリアをただ、守るためだけに、独断で行ったと述べるためだけになされる、その優しさは分かる。守られるためだけの人間にはなりたくない、と思わないでもないが、それを思うだけの力を手に入れていないことは自分が一番よく解っていた。
「レライ様もいらっしゃいます。……決して、悪いようには」
「それも分かっているわ。……あなたは、負け戦をするような人間じゃない。きちんと勝算あってのことなのでしょうから」
フォンビレートは突拍子もないことを行い、大胆に勝利をもぎ取ると思われているが、実際は全くの逆だとシシリアは思っていた。大胆な作戦の背後には、献身的な彼自身の働きと、細部まで計算されつくした計画がある。
「だから、決して負けるとは思っていないのだけれど……必ず、勝ちなさい? これは命令よ」
シシリアの精いっぱいの励まし―― ギリギリ白を切ることのできるラインでの言葉 ――を聞いたフォンビレートはただ深くうなずいた。
「明日のイッサーラ先生との会合が終わり次第、出発いたします」