不穏な気配 前篇
「皆の者、何か意見はあるか?」
重苦しい雰囲気が漂う中、司会進行役となった老人が重々しく問いかけた。円卓を囲むのは、12名の重臣達であって、老人はそれらの主である。
「これを宮殿に申告すべきでないとわしは考える……しかし、それをするのは至難の技だ」
一人が意見を言えば、座が一気に騒がしくなった。
「問題は、どこまで報告すべきか……」
「そうだ、なにも全て虚偽で覆う必要はなかろう」
「しかし!!」
「いや……」
「そうはいっても……」
口々に意見を言うが、まとまる気配はない。
「父上」
紛糾する中、最も若い声が老人に声をかけた。
鎧に身を包み、立派な体格は風格を漂わせている。
「これに関しては、私に一任させては頂けないでしょうか?」
丁寧ながら、有無を言わせぬ口調で若者は伺った。
「なぜだ?」
「はっ。端的に申し上げれば、私は嘘をつく必要がないということです」
きっぱりと言い切ると、周りからは戸惑いの声が上がった。
「なっ!……では、全てを報告してしまうということか!?」
「それでは、我々はどうなってしまうのか!?」
心配が不安を呼び、反対ばかりが並べられてゆく。
「いいえ、そうではありません……私は、王都在住の身です。したがって、詳細など知るはずもありません。それに、失礼は承知の上で申し上げますが、父上も御高齢であり寝込んでいても不思議ではありません」
言葉を遮り説明を行う若者は自信に充ち溢れていた。
「私が、父上の代行として報告を行い、それが例え不完全であったとしても咎めはないのではないかとい事なのです」
「それに、嘘をつくばかりではない、ということか……」
「ええ、嘘をつくのではなく、報告が不完全であるだけなのですから」
提案されたそれは、最良のように思えて、会議はしばし思考の沈黙が落ちた――。
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『狂い病』への当面の対応が決まり、王宮は再びあわただしさに包まれていた。
今朝方、一斉通知が行われ、関係する部署は全てに優先して行うための2,3人の班が組まれている。執務室の方では、それらを集計する作業に追われていた。もちろん、通常の業務も怠ることは出来ないので、分担制をとった他よりも数倍忙しい。
フォンビレートもまた、例にもれず、忙しく動き回っていた。実際には、机にかかりきりなのだが、心情としては動き回っているがごとく慌ただしい。
先年に、フォンビレートの独断で使いきったコモロ辺境伯への予算を再び立てることで、協力を仰ごうとということになっているため、その採算合わせに追われていた。
「財務部へ行って、国庫の今年の余剰金を確認してください。必要なら私が出向きます」
「それから、君は工部へ。現在の工部の予算の詳細を聞いてきてください。合わせて、現在掛っている案件の工程表も」
「君はオランジ伯への根回しを。後で陛下からの挨拶があることを匂わせてください」
「トルクメニア公へも正式な挨拶の予定を突き付けてください。公だからと言って遠慮はいりません」
次から次へと指示を飛ばしながら、手元の書類はシシリアへの書類を確認している。中には「嫁き遅れの女王陛下に、私が素晴らしい伴侶をご用意いたしました。ありがたく受け取ってください」(フォンビレートの意訳による。概ね間違いはない)などという空気を読まない手紙もあり、時折、盛大に舌打ちしながら「丁重に、慇懃無礼を多少つけて突き返しておきなさい」と部下に冷たすぎる笑顔で命令している。
そうかと思えば、彼本来の仕事であるシシリアのサポートも万全であり、お茶の時刻になれば、その時室内にいる人数分がきっちり湯気を立てて用意されているし、部屋の温度は一定に保たれているし、シシリアが物を落とせば拾い上げるしで、一同を驚愕させていた。
その働きっぷりは、影の執政官という呼び名に遜色ないもので、シシリアとレライも完全に呑まれている。
「いつもああなのですか?」
ああ、と目線を向けてレライが尋ねれば、シシリアもひどくまじめな顔で「ああよ」と答えた。
2人の名誉のために言えば、決してサボっているわけではないが、それでもフォンビレートのこなす仕事量にはかなわない。「本気を出しているのは久しぶりに見たけれど」と付け足せば、レライは心底情けない顔をしながら呆れたように笑った。
「あそこまでされては、自己嫌悪も起きなくなりますなあ……」
レライとて、決して無能ではなくむしろ有能だと自覚できる程には有能であったが、フォンビレートの仕事には叶わないと素直に認めさせられるほどに、フォンビレートは捌けていた。
「当然よ。あんなのがもう1人居ては、私が死んでしまう」
切実な響きを持ったそれに、レライはククッと小さく声をあげて笑う。
「そうですな……」
「そうですよ。私たちは出来ることをやれば、それで良いのです。というか、それしか出来ません。後は全部あれがやりますから」
「ですな」
「陛下」
突然、フォンビレートから声が掛った。
話がてら休憩しているのが見つかったかと慌てて、ペンを手に取るが、いつまでたっても二言目が聞こえてこない。聞き間違いかと思ってフォンビレートの方を見れば、怪訝な顔をして1枚の書類を見つめたまま固まっている。
それが、先ほど文係の持ってきた手紙だと気付いたシシリアは不思議に思って、その姿を見つめた。机の上に無造作に捨て置かれた封筒には、獅子の紋様が描かれており、記憶に間違いなければコールファレス王立騎士団からのものであるはずだ。
大方、先日の応援要請への返事だろうとあたりをつけていたシシリアは、それとは別の案件の報告だったのだろうかと目まぐるしく頭を巡らせた。
何もなかったはずだが、と、そこまで思考が廻って視線を戻すと、フォンビレートが机の前に来ていて何やら、難しい顔をしている。
「コールファレス王立騎士団からの手紙が届いております」
やはり記憶には間違いなく、応援要請への正式な回答文章だったようだ。
「仰せのままに、との事ですから、応援要請は受諾されたようですね」
当たり前ですが、と付け足しながらフォンビレートは手紙を読み上げた。
王から下手に出る必要などなく、『要請』の形をとったのはシシリアの配慮である。とは言え、命令には変わりないので否やがあろうはずもなく、それは当然の結果と言えた。
「既に指示を出した、地図探しやエメリカの残した文章探しなどはやっているようです……打ち合わせ通りに進めてよろしいでしょうか?」
「ええ、そうして頂戴」
コールファレスを数か月の間、『狂い病』の専任とすることを確認する。
シシリアの了解の言葉を聞いて、手元に書きつけていたフォンビレートは、それから、と軽い調子で続きを切り出した。
「もう一通、コモロ辺境伯からの私信が付け加えられておりました」
「騎士団からの手紙に?」
「コモロ辺境伯の二男、つまりコールファレス王立騎士団員・メイゼル=イージス=ダ・コモロが亡くなられたそうです」
それは随分と失礼な話ね、と付け足そうとしたシシリアの言葉は、フォンビレートによってものの見事に遮られた。
「いつ?」
「昨日のこと……要請を出した翌日、ということになります」
「死因は?」
「酩酊して、辺境伯領地内の崖から飛び降りたようです」
あんまりな原因に、思わず天井を仰ぎみる。
精強で鳴らす騎士団の、それも団長の血縁である者が、酩酊が原因で死ぬなど公表できるはずもない。
「どこまで知られているの?」
「恐らく、騎士団の中で留め置かれているかと……あの騎士団はコモロ伯領地の者しか採用していないはずです。主の恥をさらすような真似はしないはずですから」
「他に目撃者は居ないの?」
「いえ、そもそも目撃者はいないようです」
「それならどうして原因を特定出来たのかしら?」
「領民が目撃したのは、既に死んでいるところだったようです。その前日、酒場で目撃されているので、おそらくそういうことではないか、という推測に至ったようですね」
『狂い病』に対して対策を打つどころか、新たに浮上した問題に目の前が曇天に変わってゆく。早急に処置をしなければならないがどうしようかと目頭を押さえたところで、執務室の扉がノックされ、レライが顔を出した。
「陛下、コモロ辺境伯からの使者が参っていますが」
ちょうど良く申し開きを聞く機会が訪れたことに苦笑いしながらも、シシリアは立ち上がる。
「謁見の間に通せ。直接、言い訳を聞こう」
フォンビレートにもついてくるように命じ、謁見の間に向かう。
後ろには当然のように、レライもつき従っており、フォンビレートと何がしかの打ち合わせをしている。
そろそろ、謁見の間に入ろうかというところで、レライが「陛下」と呼びとめた。
「何だ?」
振り向いてみれば、2人そろって真剣な眼差しで見つめている。
「あまり穏やかでない風が吹いております。お気を付けください」
「コールファレス王立騎士団は、精強な軍勢です。疲れ知らずとも言われ、寝ずの戦いにも強い。酩酊で亡くなるなどと言う話は聞いたことがありません」
「くれぐれも……」
「相分かった」
タイミングが良すぎることへの警戒だと理解したシシリアは、続く警告を遮って首肯する。
「肝に銘じておく」
心配するなと言葉と瞳で伝え、扉へと歩を進めた。
揺るぎないその背中に、改めて心を引き締め、2人も後についていく。
「静粛に!陛下がお見えになりました!!」
レライが先触れを行うと、謁見の間の空気が変わった。
続いて姿を現したシシリアとフォンビレートの姿に場は一気に引き締まる。玉座につくまでの間、誰一人動こうとはしない。
「面を上げよ」
良く通るフォンビレートの声に、中央に跪いていた人間は素早い動きで顔をあげた。その顔を確認して、フォンビレートは目を見開き、レライは警戒を強めた。
「コモロ辺境伯が使者、テリス=クトス=ダ・コモロでございます」
コールファレス王立騎士団長が挑むような瞳でこちらを見ていた。