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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅱ 辺境の多幸
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狂い病 後篇

「……エメリカ……」

 シシリアとレライとが揃って間抜けな顔をしているが、それも無理はない。エメリカと言えば、史上最強の剣士とも言われる人物だ。女性でありながら、そのずば抜けた腕力を駆使して敵をなぎ払っていた、と伝えられている。1300年ほど前に滅び去った『ジ・アンク皇国』の姫であったとか、初代皇帝の愛人であったとか、とにかく逸話が多い。その中には、クメール帝国の冒険者上がりであったというものもある。


「しかし……」

 1500年以上前の人物を引っ張り出されて、反応に困ったレライは何とか言葉をつなごうとするが、結局、黙り込んだ。

 確かに、彼女が赤髪であったこと、近衛隊長になれるほどにずば抜けて強かったこと、クメール帝国への反乱に参加していたことは全て事実であるが、だからと言ってにわかには信じがたい。

「この赤髪の女戦士の伝説が載っている前の頁は、クメール暦889年の大飢饉に関する報告が記載されています。一方、次の頁は、クメール暦897年に『畜生共』の間で内紛が起きたと記されています。おそらくこれはコルベール暦3年に起きた、ルツヤン暗殺未遂事件のことでしょう。したがって、年代的には」

「綺麗に合致するわね……」

「はい」

「それに、それらしき症状の記述もあるな……」

「はい、見る限りでは『狂い病』に必ずつきものの、幻覚症状を指していると言ってよいでしょう」


 唐突に出てきた、信頼できるか信頼できないのか微妙なラインの話に3人とも黙り込んだ。

 実際、この話が本当だとしても処理の仕方が無限にあるわけではない。クメール年代記はそれが『イシュタル』によって治ったと言っているのであって、具体的な解決策を明示してはいない。

 そして、エメリカは既に亡くなっている。

 彼女の症状が本物かどうかわかったところで、流用できる情報は実に少ない。


「……分からない部分も多々あるな」

「はい」

 整理するために口を開いたレライの言葉に、フォンビレートも同意する。

「特に、度重なる不幸が多幸感を増し加えた。なんて、全く意味が分からないわよ」

 彼らの言うとおり、エメリカを指すと思われる文章の中に理解の至らない点が多すぎて、どこをとっかかりにしてよいのかがさっぱり分からなかった。特に『三日三晩で』治った、というのが実際の期間なのか、誇張法なのか、まずそこからして分からない。彼らが知る限りの症状でいえば、そんな軽いものではないような気がする。

 つまるところ、決定的な解決策への道はないということだ。



 どうするかと2人が黙り込む中、再びフォンビレートが口を開いた。

「ひとまず、現地視察というのはどうでしょうか?」

 唐突な提案に、シシリアが首をかしげる。

「それ有効な手立てになるかしら? 今まで成功していないのでしょう?」

 記録されている限り、それぞれの季節ごとに2回以上の探索が行われている。これ以上やったところで、なにかが変わるとは考えにくい。

 シシリアはそう考えて、反対をしようとした。レライも同じような表情をしている。

 だが、フォンビレートは別の考えがあるようだった。

「ええ、その通りです。ただし、これまでとは状況が違います。先ほどの文書を肯定すれば、『森の中を彷徨いて』となっていますから、確実に未開拓地の中で起こったということです。そうなると随分と範囲は狭くなります」

 年代記の話を持ち出した時よりも幾分、確信がこもるフォンビレートの言葉にレライも思考を中断し、注意を向ける。

「どういうことだ?」

「もし、エメリカが森の中に踏み入れるとすれば、北のアーデルハイトではなく、南のワルメールということになります」

「……そうか、当時はアーデルハイトまで到達していなかった……」

 レライは素早く頭の中に地図を描きだす。

 エメリカの出身地である神聖クメール帝国とカルデア王国、それにロンドニト大統一帝国に面する形でワルメールは広がっている。一方、アーデルハイトはカルデア王国建国後に発見された『不可侵の森』だ。最北に位置するため、南側に位置するクメールとは真反対になる。

 よって、エメリカがクメールに居ながらにして踏み込むとすれば、ワルメールである確率が高い。

「そうであれば、ワルメールの開拓を行っている土地が探索対象地ということになります」

 そうであれば、最初に比べて、随分と狭い範囲での捜索を行える。

「それも、1500年前の時点ですでに開拓が終わっていた地点となると……」

「かなり範囲が絞れるわね……」

「はい、その通りです」

 かなり具体的な提案に場が瞬間明るくなるが、すぐにレライのまったが掛った。

「それは、確かに有効だろうが……それを調べる手立てはない」

 苦々しげに吐き出されたそれは、妥当な意見である。

 地図というものがカルデアで正式に作られたのは、冒険者ギルド設立より十数年前からだ。もともと、地図を作っていた組織がギルドの元となっているから、ギルドがない年代には地図は存在しない。もちろん、各個人でつくっていたものはあるだろうが、それが原型を残している可能性は極めて低い。

「せいぜい……70年、80年といったところだろう……」

「王宮に残っているものでも、……100年より前のものはないでしょうね」

レライの意見にシシリアも同意した。

 100年ほど前に、王家に献上されたものが残っていたような気がするが、そもそも地図に価値が付されたのはそのあたりの年代だ。それより前は、案内人の方が重要な役割を担っていた。

 王家にないということは、本当に、ないということだ。

 もしかしたら、冒険者の子孫が持っているかもしれないが、それが読み取れる状態で保存してある可能性は限りなくゼロに近い。


「そこで、提案なのですが……」

 小さく口を挟むフォンビレートに目を向けると、彼らしい不敵な笑みを浮かべている。

「イッサーラ先生を頼るというのはどうでしょうか?」

 完全に思考の外からやってきた提案に、2人はしばし固まった。

「……その手があったか……」

 彼の提案は突拍子がないわけではなく、むしろ、冷静になれば妥当なものである。だが、冷静さを欠き、煮詰まっていた頭には衝撃的な提案だった。


「あの先生ならもしかしたら可能かもしれんな……」

「ええ……」

 目を遠くにやりながら、自分達の師とも言うべき人物を脳裏に描き出す。


 王都中の識者を集めても引けを取らないだろうと言われる頭脳。

 今の年齢を知る者はおらず、100歳とも500歳とも噂される不可思議な存在。歴史の転換点に必ず顔を出すため、世襲制ともささやかれる人物。

 それが、ペンタグ孤児院院長・ イッサーラ=ハズメイド=ダ・ペンタグの良く知られた顔である。

 少々、化け物じみたところがある彼には、その冠する『ペンタグ』という名も、彼が王都の名前から取ったのではなく、彼から王都の名前が取られた、という話があるほどだ。まさに、『妖異幻怪(よういげんかい)』を地で行く人間であった。

「あの方は、一体何者なのだろうな……知らないことなどないかのようだ」

「いつか、御本人にお聞きしましたら『生まれる前のことは知りませんよ?』とごまかされたわよ?」

 イッサーラの意地の悪い誤魔かし方を身をもって知っている2人は、その口調が容易に想像できた。たぶん、煙に巻くように掴みどころのない答え方なのだろう。頭に思い描く、人を食ったような笑みになんだか寒気を覚えて、むりやり思考を戻す。

「開拓地の地図を持っているとは思いませんが、あらゆる文献から範囲を狭めてくださるかと」

 フォンビレートの言葉にシシリアは大いに頷いた。


 彼、つまりイッサラーラが全ての学者から羨望のまなざしを受けるのは、生き証人だからではなく、まして、深い考察を行なうからでもない。


 『イッサーラの真実はイッサーラしか語れない』


 生徒たちの間で語り継がれるこの言は、彼がどれほど荒唐無稽な話をしようと、それは後に必ず証明されることになる、という絶対の信頼を表している。シシリアにしろレライにしろ、あるいはフォンビレートにしろ、そこに一片の疑いも抱いてはいない。

 推測でしかないそれが、彼の手によって、手品のように証明されていく様を一度でも見たことがある者は、そのあまりの美しさに囚われてしまうのだ。3人とも例外ではなかった。

 ひとまず、イッサーラ先生頼みになることに異論はない。


「分かった、イッサーラ先生にご足労いただこう」

 僅かの逡巡もなく、シシリアは決断した。すぐに、指示を飛ばす。

「レライ、手配してくれ」

「御意」

 昨年春の騒動以来となるレライは気まずさを頭の隅に追いやるように、無表情にこらえながら返事をする。それが、シシリアの無言の命令 ―― わだかまりをなくせ ―― であることを理解したので、従順に出ていくため、足を外に向けた。


 それを見届けてから、シシリアはフォンビレートにも指示を出した。

「それから、フォンビレート。騎士団に前もって通達を」

「どちらの騎士団がよろしいでしょうか?」

「……ファーガーソンではだめだろうか?」

 しばし考えた後、団長を認識しているファーガーソンをシシリアは選んだ。だが、フォンビレートがそれを否定する。

「だめ、ということはないかと思いますが、ファーガーソンでなければならない理由もないかと」

 やわらかな言葉ではあるが、団長と顔見知りかどうかで決めるな、とやんわりたしなめていることが分かる。

 顔を見る限り恐らくもっといい方法があるのだろう。

「じゃ、じゃあ……あなたの意見は?」

 考えを早期に放棄して、フォンビレートの意見を逆に聞いてしまう。

 それに対して、フォンビレートは至極当然のように、口を開いた。

「コールファレス王立騎士団というのはどうでしょうか?」

「えっ?……コール……」

 彼が口に出したのは、王立騎士団中最も戦闘に特化しているコールファレスだった。決して探索に飛びぬけた団ではないので、シシリアは驚いているが、それを知り目にフォンビレートは平然と続けた。

「コールファレスの団長は、コモロ辺境伯の嫡男ですので」

「ああ……」

その理由にシシリアはコールファレス騎士団の成り立ちを思い出し、納得した。というより、それぐらいの情報は頭に入れておけ、と自分で自分にがっかりしている。

 コールファレス王立騎士団は、元々エメリカの私兵軍団だった。それが、大戦の時に国に提供され、騎士団になったのだ。当然、団長もコモロ辺境伯の関係者が就くことが長年の慣習である。


「それに、正式な辞令でもなければ、かの辺境伯に話を聞くのも容易ではありません」

 辺境伯という名の通り、コモロ家はミューズ共和国との国境を守る最辺境地に領地を持ち、その武力でもって平和に努めている。もっとも、ミューズ共和国は芸術家が多いだけの変人国家であり(フォンビレートの談)軍事の面でいえば、全くの無害であるので、本当に屈強な兵士が必要かどうかは長いこと宮殿で議論されている。建国時に何らかの密約が交わされたのではないか、というのが大方の見方であり、彼らもそれを分っている。

 さらに、建国時の英雄の子孫でもあるので、王家をどこか対等の意識で見ていることもあり、話を聞くのも一苦労なのだ。


「正式な辞令でしたら、エメリカが残した文書などを聞くことができるかもしれませんし」

「そうね」

 フォンビレートの言うとおり、探索隊ということになれば、エメリカが書き残した地図などを探すことを"公の"命令としてさせることができる。

 それが分かったシシリアは、すぐに命令を下した。



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