狂い病 前篇
比較的穏やかに営まれているカルデア王国民の生活だが、一部刺激を求める者がいないではない。
彼らは"冒険者"あるいは"開拓者"と呼ばれ、未開の地を探索することを生業とし、新しい発見をもちかえることを至上の喜びとする。もちろん、冒険にはつきものの危険は当然のように存在するので、毎年死者も出る。
『生死不確定者』というのがその正式名称で、1月の間連絡が取れない者はそのように呼ばれ、家族にも通達される。時たま、その後に戻ってくるような猛者や幸運の持ち主がいるが、そういった者からは冒険者資格が剥奪され、冒険者ギルドの提示する仕事を行うことが定められていた。
むやみに悲しみを増やすのは、政府の是とするところではないからだ。
ただ、彼らが持ち帰るモノには、有用な薬草や希少な生物がいるので禁止はできない。
冒険は手の届く範囲で楽しみましょう、と言うのが、ギルドのひいては政府の本音であったりする。
だからこそ、こういう案件は非常に困るのだ。
「どうしようか……」
「しかし、困ったものだな」
「ええ、狂い病は原因が未だに判っていませんからね……未開拓地に踏み込んだ者であること以外に共通点が見当たりません」
シシリアは手元に舞い込んできた書類を見ながら、ため息をついた。
秋を感じつつまったりとくつろいでいた彼女のもとに、王国南の未開拓地・ワルメールのギルドから報告書が届いたのは今朝のことである。
『狂い病の者が帰ってきたが、昨日の朝に息を引き取った』というがその内容だった。
『狂い病』というのは、未開拓地に踏み込んだ者が、錯乱状態で帰ってくることを指す。帰ってきた者がそうだと判定されれば、すぐに隔離施設に入れられ、家族でさえも会うことはできない。
そうして施設に入れられた者たちは、見えもしないものを目で追い、聞こえもしないものに耳を澄ませ、ありもしない恐怖に身を竦ませる。最後には、100%死んでしまう恐ろしい病だ。治療どころか意思の疎通も測れないため、何もできないというのが現状だった。
未開拓地には想像を絶する「何か」があって、病にかかるのだろうというのが、ギルドと政府の共通の見解であった。過去何度か調査隊が赴いたが、「何か」に出会うことも、狂い病の発症もなかったため、失敗に終わっている。
「やはり、もう一度、調査することが必要でしょうか?」
「そうだな、ひとまずは南のワルメールも、北のアーデルハイトも、立ち入り禁止にするべきだろう……貴方はどう思う、レライ」
約1年の謹慎処分を経て、今年の夏から王位補佐に就任したレライに声をかける。
女王の机と向かい合うようにして仕事をこなしていたレライは、メガネを外しながら考え込むような仕草を見せた。
「……そもそも、病の原因が解明されないことが問題でしょう。それなくしては、"いつ"解除になるかも分からない、ということになります。そのうちに、『あって無きが如し』の通達になるでしょうな」
現実的な指摘に、シシリアもまた、そうか、と深々とため息をつく。
未開拓地に行くような物好きは、自分の命を使って楽しんでいる。死を覚悟して入っているのだからとやかく言うな、というのが彼らの主張だ。ただ政府としても、"絶対に"死ぬような状況を放置することもできないのだ。
「やはり、原因の解明が急務か……」
原因さえ分かれば、例えば『春の月は流行る』とか『この薬を飲めば』等が分かるのだが、いかんせん、帰ってきてから1月保った症例はない。短い期間では解明できるはずもなく、ただ臨床例が山のように増えていくだけだ。
「どうにか、原因が見つかればなぁ」
「そうですね」
フォンビレートも同意する。
未開拓地の中は、全くの未知数だ。
冒険者というのはカルデア王国建国時から居たと言われる。つまり、1500年もの間、冒険者はそこに挑み続けてきたのだ。それにも関らず、これまでに解明され地図を作られた範囲は10分の1程度だろうと言われている。ワルメールはその開拓地の向こう側がロンドニト大統一帝国につながっていることがほぼ確実だが、アーデルハイトに至っては、海であろうと推察されるにとどまっている。方位磁石が効かなくなる場所があり、思うようにいっていない。そのあたりも、冒険者を惹きつけている要因でもあった。
「これまでに、狂い病が治った者はいないのですか?」
「難しいだろうなあ」
レライの質問に、シシリアは軽く首を振りながら返事をした。
狂い病、と名付けられたのだって、ここ4、50年のことだ。
その頃はまだ、冒険者ギルドが設立されていなかったので、民の間で風聞としてささやかれていただけであり、「病」ではなく、「呪い」と捉えられていた。
曰く、神物に触って罰が当たった。曰く、天女に手を出した。
未開拓地を舞台に書かれた御伽噺も手伝って、それを面白おかしく話すだけだったのだ。
ギルド設立後、同じような症例だということで、解明が行われるようになったのであり、現在に至るまで回復に至った者は報告されていない。
執務室には早くも手詰まり感が漂い始めている。
出来るだけシシリアが快適に仕事ができるように、と動いていたフォンビレートは、その様子にしぶしぶ切り出した。
「……1人だけ、それらしき人物を知っております」
「えっ?」
「確証はありません。もしかしたら、という程度のものです。そもそも、その話は昔話にも相当するような話です」
フォンビレートのモットーは「不確定な話は主人にしない」というもので、彼にすれば相当不本意なことなのだろう。他に、もっと有用な情報があればそれだけ告げたに違いない。だが、あまりにも手持ちの情報が少ない中では、背に腹は代えられぬ、というか、息詰まるよりはましだということで話すことにした。彼にしてはとても珍しく口ごもるようにして話しだした。
「伝承か何かか?」
「いえ、神聖クメール帝国の正式な文書の中に記述があるので、全くの英雄譚というわけではないかと」
「……正式な……?」
「はい」
「いや……はいって」
正式な文書です、とうなずくフォンビレートに、レライとシシリアは複雑な胸中を隠せない。
この執事がいろいろと規格外なのは思い知っているが、それでも、いがみ合っているはずの神聖クメール帝国の正式文書を見ることが出来る環境って、という気持ちが湧き上がる。
「まあ……一応、言うけれど……」
「どうして、貴様はそれを見たことがあるのだ?」
カルデア王国とクメール帝国との間は、出入国が厳しく禁じられている。
カルデア王国側は、クメール帝国からの亡命者を受け入れることは稀にあるが、それも厳しい審査を通過しなければならない。
一方、クメール帝国側はカルデア王国を憎んでいるので、国境にかなりの兵を配置しており、亡命者であろうとなんであろうと、即殺される。
「見ることのできる環境に居たことがあるので」
胡乱な眼で見られても、フォンビレートは平然としていた。
「どうやって?」
「ジャッコバ盗賊団に、よってです」
「……はぁ!?」
「それは……16年前の誘拐事件を起こしたまま逃亡した、ジャッコバ一味のことか?」
驚愕のままにレライが問えば、フォンビレートはごく普通に肯定した。
「ええ、そのジャッコバと一味の者です」
ジャッコバ盗賊団とは、16年前に多数の貴族の子供を誘拐していたことで知られる名うての盗賊団だ。捕まらないまま逃亡に成功したと言われていて、未だ一部では人気がある。
「あれって確か貴族の子供ばかり狙っていたんじゃなかったかしら?」
「身代わりです」
間髪入れずに返ってくる答えに、シシリアもそういえば……と思い出す。
「……そう言えば、身代りにされたことがあるとか何とか聞いたことがあったわね……まさか、ジャッコバ盗賊団とは思わなかったけれど……」
拾った次の日に言われたような気がする。確か、『買った奴を殺して、逃げた』とも『追ってきた奴も全滅させた』とも言っていたような気がする。
………… うん、この際、無視だ。
シシリアは心中さわやかに決意すると、フォンビレートに問いかける。
「で? クメール帝国に売られたんだ?」
「ええ、男娼を探していた、クメールの神殿に売り払われました」
「ああ……なる、ほど」
フォンビレートの明かす事実に、2人とも大いに納得した。
『男娼』にこれほどぴったりの造形はないだろうなぁ、というのが共通の思いだ。さぞかし美貌の男娼として人気があっただろう。
「……失礼な」
心の内を敏感に感じ取ったフォンビレートは、わずか不満そうに呟く。
「でも……ほら……ねぇ……」
言うべき言葉が分からないシシリアのしどろもどろの言葉に、フォンビレートはますます瞳を剣呑に細めたが、ややあって諦めたように力を抜いた。
「ともかく、そのようなわけで2年ほど神殿にいたことがあります。その時に、暇つぶしに書庫の本を読み漁りました……私を買ったのが、見るだけが好きという変態だったもので、暇で暇で仕方なかったので」
なんでもないことのようにフォンビレートは言うが、実際その場面をちょっと思い描いた2人は吐き気を催した。そんな情報要らなかった、と心底思う。
気持ちが悪さから逃れるために、シシリアは強引に話を元に戻した。
「その時に公式の文書を見たのね?」
「ええ、その通りです」
「狂い病について、クメールの連中は何か知っているのかしら……」
「いえ、それはないかと。説明によれば、そのような病にかかるのは『イシュタルへ反抗の精神を抱いたもの』か『蔑むべき畜生共』だそうですので」
『イシュタル』は、全知全能の創造神と崇められ、クメール人に信奉されている。彼らは、何か不幸が起こると『信仰が足りないからだ』というような人間であるし、医者と神官は同義であった。
そのように『すべては、イシュタルの思し召し』で事足りる彼らは、また、『畜生共』と他種族を蔑む傾向にある。
つまり、その文章を要約すれば、『偉大な神様を信奉しない、クメール人以外の人でなし共とそれに与する者ども』が狂い病になると言っているのであって、全く持って使えない。
「なんというか……どこまでバカなのかしら?……ちょっと心配になるわ」
物憂げに虚空睨むシシリアにレライも首肯した。
迫害されていた者達に反旗を翻されてから幾月経とうとも、腐敗がやむことはないのだ、と思う。
ほんの少しの時間、執務室は沈黙が続いたが、気を取り直してレライは質問を再開した。
「では、どこにそのような記述があったのだ?」
「クメール年代記の7892項に、赤を頂く女戦士の伝説が載っています」
「赤髪」
「はい。黒髪ではなく、赤髪です」
強調されるそれに、レライは再び驚いた。
クメール人の特徴は黒い髪と黒い瞳である。差別を容認する彼らが、クメール人以外の話をすること自体が珍しく、それも正式な文書に載せられているとは、ちょっと信じがたいものがあった。
とにもかくにも、聞いてみなければ始まらない、とシシリアが先を促す。
「それで?」
「はい。その64行目に次のような記述があります。『彼の女人は誠に強し。生涯に敗北なし。友を呪詛によりて失いて。幻に惑わされること数度。森を彷徨いて、喉は渇きを訴える。度重なる不幸は多幸感を増し加えた。温情を与えしはイシュタル。覆いを用いて三日三晩を過ごす。光に出会いしその後を知る者はおらず。』」
無駄に修飾がかっているのは、クメールの特徴である。というか、神官の特徴であり、合理的なシシリアは背中が痒くなるような思いをしたが、それを口に出すことはなかった。フォンビレートに睨まれたくはない。
「この数ページ後で、この女戦士は『畜生共に心を傾けたため』イシュタルの加護を失い、そこで言及は終わります」
「それって……」
「はい、『赤髪』の『誠に強い』『女戦士』で、クメール帝国出身の『クメール人に反旗を翻した』……全ての条件に合うのは、1人しかおりません」
「「エメリカ!?」」
ピタリと重なった叫びに、フォンビレートは頷く。
「はい、近衛隊初代隊長・エメリカ=フォーヘント=ド・コモロのことを指すと思われます」