処断と終結
「では、裁きを申し渡す」
一連の流れを微動だにせずに見つめていたシシリアの重苦しい一言に、場が一段と引き締まる。
これからどんな裁きが行われるのか、それはすなわちシシリアの治世の行方を予想する格好の材料となる。今まで表舞台に立つことのなかったシシリアという人間がどういう人間か把握するべく、貴族たちは一心に耳を傾けていた。
一つ呼吸を置いて、それから、あまりに軽い調子でシシリアは切り出した。
「アルイケ侯。選択肢をやろう」
シシリアの言葉に、ジェームズとソーイは顔をあげる。
「本来なら死罪を申し渡すところであるが……幸いにして私も、そして民も無事だった。だが、貴様のせいでわが国庫の予算は無駄に使われた。分かるな?」
ジェームズが些少な犠牲として巻き込むことを厭わなかった民達。だが、フォンビレートの機転により、唯一人の被害者も居なかった。強いて言えば垂れ流された国庫が唯一の被害者だろうか。
「私は貴様に3つの選択肢をやる。どれでも好きなように選べ」
選択肢、という大凡裁きの座に似合わない言葉に、場内に動揺が広がった。
「1つ、定めに従い死罪。2つ、ダ・ジェームズへの降格処分。3つ、幽閉処分。好きにしろ」
その選択肢が明らかになるや、場内に静かなざわめきが満ちた。あまりに寛大で、あまりに傲慢なその選択肢は、彼らが予想するシシリア像とかけ離れている。
死罪になるか、平民になるか、ただ生き続けるかのどれか、それが選択肢として提示されている。
生きるという選択肢があること自体、王位に対して挑戦した者への破格の処分であるが、それは無意味な選択肢のようにも思える。貴族の名誉とは、命の前に重んじられることが常識であるのだから。
大抵の者は当然のように死罪を選ぶだろうと思っており、シシリアの選択肢は甘い餌をちらつかせるという残酷な処分であると考えた。
「……ダ・ジェームズとして生きていきます」
しばし悩んだのち、ジェームズが出した答えは周囲の予想を裏切って平民として生きる道であった。
名誉を重んじる貴族としてはあり得ない選択肢である。当然、周囲は唖然とした。
だが、ジェームズの答えを聞いたシシリアはニンマリと、人の悪い笑みを浮かべた。まるで、こうなることを予想していて、そして其の為に、選択肢を提示したのだと言いたげな顔である。
「ただ生きることも、死ぬこともしたくないと申すか?」
「可能であれば。私は、国を愛していますので」
ジェームズの間髪いれない答えに、さらに笑みが深くなる。
「よし、その答えゆめゆめ忘れるな」
楽しげなその声に大広間は呆気にとられた。
「沙汰を申し渡す。ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ。貴様からアルイケ侯爵位を剥奪する。同時にジェームズ=ダイナン=ダ・レライとして、生涯我が傍にあるよう申しつける。貴様の為に垂れ流された金を取り戻せ。良いな?」
「……陛下……それは」
言葉の意味を理解したジェームズは座っていた椅子から転げ落ちるように跪いた。
つまり、それはシシリア自らが名を授けたということ、それを家名として用いることもできる(貴族の一員のままである)こと、そして「レライ(傍にあれ)」と命じられているということだ。
「何事か成したいのであれば、何事か成せる地位が必要であろう?」
「し、しかし」
温情をかけられているはずのジェームズの方が恐縮している。
「貴様の国を憂える気持ち、しかと理解したつもりである。それほどまでに強い愛国心を持つ貴様の忠誠を買えなかったのはひとえに我の力不足である。……ゆえに、貴様は生涯我が傍にあって、私を見ていろ。必要ならば今一度傷つけるがよい。その権利を貴様にやろうと言っている。……不満か?」
この騒動の発端は、自分の力不足であり、『必要ならば』つまり、国の支配者としてふさわしくないと思うならば、殺すがよい。それを見極める機会をやろう、とシシリアは言っているのだ。裏を返せば、必ず心酔させてみせると言っている。
それほどに力強い宣言を受けたジェームズはただ、言葉にならない言葉に喉を震わすばかりである。
「いえ。……いえ。…………仰せのままに」
それだけ言うと、跪いた姿勢のままうつむいた。
ジェームズが提案を受け入れたことを確認し、広間に視線を見やる。
「アルイケ侯爵位は今回の働きに報い、ソーイ=ダ・ラルフへ授ける。以後、ソーイ=ラルフ=ダ・アルイケとして働け。今回の計画に加担したアルイケ侯爵家配下の者への処分も貴様に一任する。よきにはからえ」
「はっ」
「同時に、正規の手続きを踏んでいない王国法第1条細則4の無効を宣言し、ダン=ウタヤ=ダ・イジュールが王太子であることを確認する。……ダン、良いか?」
「はっ」
ジェームズへのあまりに寛大な処置に、シシリアのあまりに鷹揚な態度に、人々の注意が逸れている間に、シシリアは次々と処分を下した。
鮮やかな手並で、肯定しか許さずに進めていく。
「また、今回のことで秘密主義による弊害も明らかになった。よって、御前会議の撤廃を行う。緊急事態への対処など詰めるべき点は多いが、これまでよりも国民に近い王政には必要不可欠であると考える」
顔の色をなくし、頭を整理しようとしている公侯爵に、ひたと視線を合わせて、シシリアはにっこりと笑って見せた。
「異論はあるまい?」
「「「「「「はっ」」」」」」
ベラキアを筆頭に御前会議のメンバーは全員が反射的に頭を下げる。
その瞬間に、諮問委員のひいてはその一員となる公公爵の権限は無きに等しくなった。もちろん、それぞれの領地の大きさが変わるわけでもなければ、発言力が減るわけでもないが、国王に直接訴えることのできる場が他の貴族と変わらないということは、それだけ大きな変化であった。
「原本を保管する鍵は、1年毎の持ち回りとする。……リシュメ=アイリス=ダ・ブルンジ」
「は、はっ」
「今日より1年は貴様が保管しろ。……期待を裏切るな」
「はっ!!」
「以上だ。その他、細かい処分についてはおって沙汰を申し渡す。……大臣」
今の今まで、事の成り行きに対しなんら口を挟めないでいた法務大臣は我に返ったように、場内を見まわした。自分に注がれる視線に、役割を知る。
「……ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵位の裁判を閉廷する。異議ある者は申し出よ!さもなくば沈黙せよ!」
広間はシンと静まり返り、一切の不平も不満も湧き出なかった。
「沈黙多数により、この裁判の閉廷を宣言する!!」
法務大臣の言葉と同時に、シシリアは席を立った。フォンビレートが素早く従い、共に出ていく。
扉が閉じられた後しばらく、皆放心状態で広間の空気が動くことはなかった―。
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「どうぞ」
フォンビレートから差しだされた紅茶を一口啜ったシシリアは、それをテーブルに置き、体操座りになった。
「どうされたのですか? 陛下?」
「だって……フォンが怒ってるじゃない……」
「は? なぜそのような結論に?」
フォンビレートが首をかしげると、シシリアはガバっと顔をあげ
「だって!!紅茶の味が『よくもやってくれましたね!!』の味なんだもん!!」
とだけ言うと、再び顔を伏せる。
『よくもやってくれましたね!!』というのは、シシリアが用いる独特の表現で、他にも『怒ってますよ、とっても』の味やら『所詮、私の掌の上です』の味やらがある。
「……微妙にあたっているのが不満ですねぇ……」
それが、また良く当たっているというのがフォンビレートにはむかつくのだが。
子供っぽい言動とは裏腹に、紅茶一つでフォンビレートの心の機微を理解するシシリアはやはり優秀な主であった。
「だって、フォンの筋書きから離れてしまったから怒ってるんでしょう?」
「……否定はしませんが。面倒くさいからと言って、アルイケ家の使用人の処断をソーイに任せたことなどは良い例です」
「うっ……だって、労力と影響があってないじゃない……」
アルイケ家のたかが一使用人を、どんなに良い判断を働かせて処断したところで、大したことではない。むしろ、処断をソーイに任せてしまうことで、信頼していることを示し、使用人に対しても厳罰を科すこともなくなるという一石二鳥の良い判断ではあるのだ。
「それを見抜けなかった自分の甘さに腹が立つといいますか……」
シシリアの第1の家臣を自認するフォンビレートとしてはそれを読み切れなかったことが悔やまれるのだ。結果、紅茶の味に乱れが生じ、それを見抜かれた。
「でも、フォンのおかげで助かったよ? ありがとう」
主に満面の笑みでお礼を言われれば吹っ飛ぶような些細な後悔ではあるが。
「何はともあれ、見事な判断でございました」
気持ちを切り替え、姿勢を正して頭を下げる。
「あなたもね。……騎士たちの説得が間に合わなかったならどうしていたのか知りたいところだけど」
半分の声で呟かれた後半は、全ての貴族にとっても聞きたいことに違いない。
騎士というものは、爵位を継いでいない貴族がなるものと相場が決まっている。つまり、あの場に出席していた貴族達の子供たちが大半を占めるのだ。その者たちに対して、もしかしたら自分の父親が不利になるかもしれない証言を行ってくれるかどうかは、半々の可能性でしかなかった。計算できない以上手札とすることはできなかったのである。ジェームズが鍵の件だけで認めたなら使うつもりはなかった。だが、ジェームズが最後まで否認しようとしたこと、説得が間に合ったことをソーイが耳打ちしたことにより、そのカードを切ることができたのだ。
仮に、そのカードを切ることが出来なくとも、フォンビレートが何ら手立てを用意していなかったはずはなく、その手段に関しては恐ろしすぎて聞けない。
「ソーイが説得にあたってくれましたので。……騎士たちの説得が間に合わなかった場合を聴くのは御勘弁いただければと思います」
超法規的措置も辞さなかったであることは明白で、それにシシリアはうすら寒いものを覚えた。
そんなことを気にせずに、フォンビレートは話をもとに戻す。
「ですが、シシリア様もこれ以上ない戦略的な処断だったと愚考いたします。どさくさにまぎれて御前会議を廃止したことも、細則を”無効”としたことも、それによって公侯爵たちに釘を刺したことも、ブルンジ伯に罪を濯ぐ機会を与えたことも、あのタイミングの他は行えなかったでしょう。それに、優秀な行政官を手に入れました」
実際、公侯爵はあれ以上の処罰があっても良いのだ。ただ、彼らの罪は「王家の鍵を不正に使用していることを知っていたものの見逃していた」というものであり、直接的に手を下してはいない。ジェームズが複製と使用の罪は被ったので「私は知らなかった」とでも言えば、どうにもならない。ジェームズとは違い、行動を起こしてはいないからだ。また、王政を始めたばかりのシシリアが貴族の歓心を買い、なおかつ優秀な手駒を手に入れた裁きは歴史に残る名裁となるだろう。
そんな、深い裁きに、フォンビレートは最大限の敬意を払って言うが、シシリアはあまり乗らない。
「ん……まぁ、フォンがそんな顔をしてたからねぇ……」
紅茶を飲みながら、自分の成果に対しては生返事よろしく返すシシリアに、フォンビレートは顔を盛大にひきつらせる。
「……差し支えなければ、どんな顔か教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「んー、『いまだ!!やれ!!』顔?」
遠慮会釈ない言葉に、フォンビレートは再び脱力した。
「ところで、陛下」
他愛のない話をある程度したところで、フォンビレートは案件を切り出した。
「例の件については、私へ一任してくださるということでよろしいでしょうか?」
「ん、それこそ、よきにはからえ、よ」
「ありがとうございます」
「まぁ……あなた達にしか分からないこともあるでしょうし。好きにするといいわ」
シシリアに深々と頭を下げ、部屋を出るため踵を返す。
その背に、シシリアの声がかかった。
「ねぇ、フォン? 私、あなたを私の執事にしたことを、今まで一度も後悔したことはないの。これからもきっとそう。たとえ、周りの評価がどうであろうと、あなたの全てに関して、私は恥じていないの。……それだけは、覚えておきなさい」
その言葉に返事はせずに、胸に刻んで、フォンビレートは敵と相対するために出て行った。
向かうはアルバ宮殿である。
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「お久しぶりです」
アルバ宮殿の外に2つの人影を認めて、フォンビレートは声をかけた。
「任命式の時以来か」
「ええ、そうなります」
「我々を逮捕しに来たのか?」
「ええ、そうなります」
機械的に応えるフォンビレートに、片方が盛大に舌打ちした。
「そういうところが、俺は嫌いだ!!」
丁寧な言葉遣いをかなぐり捨て、激昂のままに話す。
「ええ、存じております。……これほどまでとは思いませんでしたが」
対して、フォンビレートは常日頃のトーンとほとんど変わりない。
「それほどまでに、孤児である私が憎かったのですか? ダニタ様、パメラ様」
人影は前イジュール家筆頭執事ダニタ――ヘンリルの執事だった――とカイル付きの執事の任についていたパメラだった。
「お前が! お前ごときが筆頭だと!?」
「お前を第3執事として認めたことを私は今でも後悔している」
特にパメラは、孤児であるフォンビレートのことをことのほか嫌っており、イジュール家においてすさまじいいじめを加えた。それを耐えきったフォンビレートはイジュール家では伝説と化している。そのパメラをかわいがっていたのが、ダニタだった。だから、ダニタもフォンビレートを嫌ってはいた。
また、パメラはカイル付きであったこともあり、順調にいけば筆頭執事に就任していたはずだ。目の前で逃したものの大きさが、そのままフォンビレートへの憎しみを増長させた。
「お前のような下賤な者が、王家を我が物顔で歩き回っている。許せるものか! 虫唾が走る」
呪詛のようにして、聞くに堪えない罵詈雑言を並べ立てるパメラとは対照的に、フォンビレートは無表情を崩さなかった。
「だから、シシリア様を狙ったのですか?」
「そうだ! 貴様の無能さをシシリア様に分かっていただこうとしたのだ」
この二人は、シシリアのアルバからの引っ越しの責任者であった。その引っ越しをわざと遅らせることにより、意図的にジェームズの計画が明るみに出るのを遅れさせたのである。
「そんな、くだらないことで、シシリア様を危険にさらしたのですか?」
フォンビレートの気迫のこもった問いかけに、僅かに怯んだが、噛みついてくる。
「お前が、お前が悪いのだ! お前のような無能な男がシシリア様の傍にいるのが悪いのだ!!」
あまりにも理不尽で、あまりに屁理屈な妄言を並べ立てる二人から目をそらすと、フォンビレートは背後に控えていた騎士たちに命令を出して、二人を捕らえさせた。
「ダニタ=イエール=ダ・クレマ。およびパメラ=オージ=ダ・スワル。国家反逆幇助の罪で逮捕する。……言い訳は法廷にて行うがいいでしょう。……連れて行け!!」
恐らくはジェームズとは違い、ひっそりと表舞台に晒されることなく処刑されるであろう二人。そのことが分かっているだろうに、騎士に引きずられるようにして連行されながらも口を止めない。
「みんな言っているぞ! あの、孤児がいるからシシリア様が嫌いだってな!!」
「お前のせいだぞ!……ヘンリル陛下だってお前を嫌っていたのだから!!」
遠ざかる声をその場で受け止めながら、フォンビレートは掌を握りしめた。
下唇をぐっと噛んで耐える。
出発前に聞いたシシリア言葉を思い出して、感情をやり過ごすと、確かな意思を持って闇に歩を進めた――
のちの歴史家によって、シシリアの治世中における10大事件に数えられることになった「茶会事件」はこうして誰の目にもつかないところで、ひっそりと幕を閉じたのであった。