結婚後「肩越しの青空」追加バージョン
「はい・・・はい、行きます。楽しみ!お祭り、大好き!」
龍太郎が帰宅すると、食卓の前で美緒が携帯電話に向かって喋っていた。友達とは専らメールでやりとりしているらしいから、相手は龍太郎の姉だと見当がつく。
おやすみなさい、と電話を切った美緒が、おかえりなさいの挨拶をする。居間でハーフパンツに穿き替えた龍太郎は、洗面所で手を洗って、食卓についた。
「今ね、静音さんからなんだけど」
「うん」
「来週末、お祭りに誘われたの。龍君も一緒にって。大丈夫?」
「今のところ、大丈夫だけど。どこのお祭り?」
美緒が答えた沿線下りの駅名は、知っている。結構有名なお祭りで、何が有名かって・・・よさこい鳴子踊り。
ちょっと待て。俺はそれについて、暗黒の記憶が・・・
「良かった!静音さんが踊るって言うから、一人で見なくちゃならないかと」
はしゃいでいる美緒は、龍太郎の顔には気がつかない。
「あたしの実家のほうでも、よさこいってあったんだけど、なんか関東で一番古いよさこい祭だって。静音さんのチームも踊るから、おいでって言うの。お義兄さんが大旗振るんだって」
確かに、静音から「踊り子になる」ってのは、聞いてた。だけど俺はもう、よさこいとは関わりあいたくない。あんなに楽しかったのに、それを全部パアにするような出来事が・・・
「あーいうのって、地元だけじゃなくて他の場所でも踊るんだね。練習、大変だろうな」
「週に何回かね。鳴子の持ち方からはじめるから」
「静音さんは踊り子復活とかって言ってたけど、龍君は踊ってなかったの?」
答えたくない。
龍太郎がすっきりしない返事をするので、美緒は少し不満だ。
「本当は、イヤだとか思ってる?静音さんのチーム、比較的早い時間に終わるって言うから、一緒に夕ご飯の約束したんだけど」
「いや、それはいいんだけどさ。義兄さんにも会いたいし」
「じゃ、何?」
だから、答えたくないんだってば。ついでに言うと、チームに残ってる古いメンバーにも会いたくない。
龍太郎の返事はすっきりしないまま、八月の第一土曜日が来た。
「なんかね、会場が二つあるんだって。ステージ会場と流し会場。えっとね、流しが先だって」
「ああ、静音のチームなら、流しの方が綺麗だと思うよ。今日の祭りはちょっとホームグラウンドと毛色の違う踊りだから、ルーピングしないで一回ごとに休憩が入るみたいだけど」
「ルーピング?」
「高知の祭りは曲をとぎらせないで、連続して踊るんだよ。今日の場所は、札幌と同じ方式」
あれ、と美緒は思う。
こういうことって、よさこい祭のある場所に住んでいる人は普通に知ってることなの?
「同じ家に踊り子さんが住んでると、いろいろ知るものなんだね」
龍太郎の返事は、やっぱりない。
駅から少し歩くと、賑やかな楽曲と威勢の良い掛け声が聞こえてきた。欅並木の広い道を、ペットボトル片手に歩く。
「ここのお祭りって、屋台のある場所と演舞場が離れてるから、腹が減ったら向こうに・・・」
「龍君、来たことあるの?」
駅からの道もキョロキョロせずに歩き、今のセリフだ。美緒じゃなくても気がつく。
なんだかヘンだよ、龍君。何か隠してるの?
「龍君、ここのお祭りに誘ってから、乗り気じゃなかったよね」
「いや、美緒ちゃんが楽しみにしてたんだから、いいじゃん」
「そういう問題じゃないっ!なんか隠してるでしょう?」
また答えない龍太郎に、美緒は妙な妄想に取り付かれていた。
前の彼女がここに住んでたとか、静音さんのチームに好きな子がいたとか、あたしならそんなこと、気にしないのに。
美緒が複雑な顔で黙ってしまったので、龍太郎は慌てた。
「・・・スミマセン。踊ってました」
「なんでスミマセンなの?やっぱり何かあるんでしょう?」
美緒ちゃん、静音に何か感化されてませんか。
「そこに忘れられない人がいるとか、踊っている時に告白されたとか」
ぜんぜん違います。暗黒すぎて、思い出したくないんです。
「そういうのと、ぜんぜん違うから。とりあえず、踊り見ようよ」
腑に落ちない顔の美緒を促し、通りに顔を向けた。
静音のチームの順が近付いたので、踊り子が集まっている石畳の公園に行くと、龍太郎が恐れていた面子が給水場に集まっていた。こそこそと顔を背けながら、美緒だけ静音の元に行かせようとすると、目の前に筋肉質のデカい男が立ち塞がった。
「お、龍太郎君も見に来てくれたんだ。おい、静音、龍君が来てくれたぞ!」
声が大きいです、義兄さん。
姉が龍太郎の前に来るよりも早く、龍太郎よりも少し上の女の人が集まって来る。
「あ、龍ちゃんだ!久しぶり!」
「龍ちゃん、今どこに住んでるの?え?奥さん?」
「うわ、大きくなったねえ」
大きくなってないです、中二の時から、五センチと変わってません。
「お、龍だ。おまえ、地元に帰って来ないのか?」
男も何人か寄ってくる。町内会で作ったチームだったので、古いメンバーは小さい頃からの顔見知りだったのである。
「龍君、なんか囲まれてますね」
取り残された美緒が、静音に向かって言う。
「うん、あいつはある意味、有名人だったから。本人は知らないだろうけど」
「本人が知らないのに有名って・・・」
「インターネットで、笑夢の美少女って検索してみ?」
美少女・・・って、だって、龍君の性別は。
「あいつの与り知らぬところで、写真が山ほどアップされてるの。本人知らないから、あれくらいで済んでるけど」
静音はニヤッと笑い、続きは後でねと言った。
「集合だぞぉ!整列して、進め!」
義兄は集団の舵取り役らしく、大旗を持ち上げて先頭に立っていた。
「えらい目にあった。美緒ちゃん、場所確保して、見よう」
龍太郎が道路に場所を移動したので、美緒も従った。
本人が知らないところで有名人っていうのは、踊っていたことを隠すことと結びつかないよなあ。
「龍君、踊りは嫌いじゃないんだね。見るのはイヤじゃないんだ」
また、答えがない。
『笑夢』と染め抜いた大旗が、低いところからはためきながらゆっくりと持ち上げられ、曲が始まった。
「わかんないっ!静音さん、どこ?」
華やかな衣装に、綺麗に結い上げた髪、大きな髪飾り。女性は全員そうなので、見分けがつきにくい。
「先頭のグループにいると思うよ。結構良い踊り子だから」
「いたっ!うわ、綺麗!」
鳴子の音が揃って響く。笑みを浮かべた踊り子たちが、優雅な動きで前に進みながら踊る。
「龍君も、あの中にいたの?」
「・・・いたけどね」
けど、何?
到着地点までついて歩いて、静音に声をかける。龍太郎は遠巻きだ。
「すっごく綺麗だった!静音さん、上手!」
「あたしより才能のある踊り子、いたよ?一緒に先頭を踊ったことがあるんだけど、新聞に写真が載ったら消えちゃった」
「写真の写りが気に入らなくて?」
「すっごく美しく撮れてたの。タイトルが、『笑夢の美少女姉妹』でね」
「姉妹?」
「一目で身内だってわかるほど、似てるし」
「・・・姉妹?」
篠田家は、姉弟の筈。新聞に、姉妹?
「え―――――っ!」
龍君、ごめんなさい。来たくなかった理由を、今理解しました。よさこいが、トラウマだったんですね?
静音の元を離れて龍太郎の前に立った美緒は、心底気の毒そうな顔になっていた。
ああ、聞いちゃったのか。暗黒な記憶・・・
「大丈夫龍君っ!ちゃんと成長して、男の人になってるから!」
何の慰めにもなってません。成長する前から、性別は男だったんです。
「子供の頃なら、静音さんと同じ顔が並んでたら、さぞ可愛かっただろうなあって」
静音に最初に会わせた時、俺と同じ顔だと言ってませんでしたか。
更に肩を落とした龍太郎の横を歩きながら、美緒はこっそりと、帰宅したら「笑夢の美少女」で検索してみよう、と思っているのだった。
fin.
もうしませんって、二度と言いません。だから、舌ぬかないでぇぇっ!
そして、龍太郎の「暗黒の記憶」が理解できない方は、「肩越しの青空」の4話目を参照してみてくださいまし・・・ごめんなさい。