be happy,Lovers! 3
確かに、それは美緒の不注意だった。営業から指示された見積の掛率が低い、と思ってはいた。確認する前に営業は外出してしまったので、とりあえず見積書を作って、後でもう一度確認しようと思い、そのまま忘れた。
その見積書を至急FAXして、と電話で指示された時に「チェックしなくても良いですか」と一度聞きなおした。
「松山さんのこと信頼してるからさ、よろしく」
もういちど、見直せば良かったのだ。普段の掛率よりも5%も低い、その数字を。
いつも通り課長の席から判を持ち出し、承認者のメクラ判をついた。そして取引先にFAXを流して、そのまま営業の席に置いた。普段の一連の流れだ。
「なんだ、この数字」
その営業の席にある見積書を目に留めた課長が、それを持ち上げた。
「あ、今FAXしたところです。出先から指示があって」
「原価で卸すって?メーカーから特価出てるのか、これ?」
「えっと、伊東さんがそうやってメモくれたんですけど」
営業から預かったメモを渡す。@マーク付きの数字の横に、小さく×3、と書いてある。見積書を作っているときには、気がつかなかった、つまり、見落としたのだ。
「3パー乗せろって書いてあるじゃないか」
美緒の顔から、血の気が引いた。
電話に向かってペコペコ頭を下げて、ついでに担当営業と課長からも侘びを入れてもらい、取引先からはぎゃあぎゃあ文句を言われてコトは収まった。そのまま通してしまっても、被害総額は十万程度だった筈だが、前例を作ると次の交渉が煩い会社だった。だから、課長の怒りは尤もでもあった。
ただセクシュアル・ハラスメントに近かったことは、よくあることと言えばよくあることでもある。
「松山さん、最近浮かれてるんじゃないの?彼氏と一緒に出勤なんかしちゃってるっていうし、頭が花盛りなんじゃない?早くお嫁に行けば?」
美緒の会社は、今時珍しい結婚退職推奨の会社だ。嫁に行け、即ち辞めてもらっても構わない。
課長も腹立ち紛れに口にしただけで、本気でそう言ったわけでもない。それはわかっている。わかってはいても、自分のミスでいらないトラブルを作った美緒には、痛かった。
定時はとっくに過ぎていた。ロッカールームに女子社員の姿はない。気が抜けたところで半ベソになった。
あたしがミスしたから、みんなに迷惑掛けた。
会社組織の中で部下の失敗を上司がフォローするのは当り前なのだが、他人よりも自分を動かした方が早い性質の美緒は、他人に頼るのに慣れていない。着替えながら、自信がどんどん萎んでいく。
やだ、こんなのあたしじゃない。
龍君の声が聞きたい。きっと、それで元気になる。
携帯電話を呼び出すと、すぐに龍太郎の声の応答があった。
「まだ仕事中だよ、今日は遅くなりそう。どうしたの?声に元気がないね」
声が聞きたかっただけ、と明るく言うつもりだった。それで元気になると思っていたのに、声を聞いたら泣きたくなった。この声は、少なくともあたしを責めたりしてない。だから、もうちょっと。
「頭、撫でて。それで元気になって帰るから」