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龍太郎にしてみれば、大した提案ではないのだ。合コンの席ですら、隣の女の子は名前で呼ぶのだから。にもかかわらず。
俺、何か慌てさせるようなこと、言った?
「だって篠田さん、歳上じゃないですかっ!」
「二歳くらい、誤差のうちでしょ。見逃してよ」
えーっとあの人、なんて呼んでたっけ。
美緒は記憶の中から引っ張り出す。
「・・・篠ちゃん?」
「却下。そう呼ぶのはフジだけだし」
それってつまり、名前で呼べってこと?
高校卒業以来、合コンの後のお茶程度を抜かすと、プライベートで男と一対一で出歩いたことなどないのだ。名前で呼べなんていうのは、あまりにもハードルが高すぎる。
鈴森のバカっ!こんなこと想定外だよっ!
「松山さん?何か気に障った?」
龍太郎が声をかけた時、美緒はふっと自分なりに正気に戻った(つもり)らしい。
自分のことは名前で呼べって言っといて、あたしは「松山さん」?それって、なんて言うか。
「不公平っ!」
意味の理解できない龍太郎の視線が、美緒の顔の上で止まった。
「あたしに『篠田さん』って呼ぶなって言っといて、あたしを『松山さん』は不公平じゃないですか」
つい何秒か前まで困った顔をしていたくせに、真面目な顔で主張する美緒はやけに堂々としていた。
やっぱりこの子、なんかすっごくヘン!
腹の底から浮いてきた泡が、抑えきれずに笑い声になった。
「あたし、何かおかしなこと言いました?」
「おかしくないです。そっちが正しい」
笑いがおさまらないまま、龍太郎は片手で詫びる。
「龍太郎でも、龍ちゃんでも龍君でもいいです。呼びやすい呼び方で」
そう言いながら、ベンチから立ち上がった。美緒もつられて立ち上がる。
「じゃ、中に入ろうか、美緒ちゃん」
「はい、えーっと・・・龍太郎さん」
美緒にしては精一杯頑張ったつもりだったのだが、すぐに訂正が来た。
「龍太郎さんって呼ばれると、なんかすっごく年寄りになった気がする。せめて、君にして」
「だって、あたし目下だし」
「だから、そこは見逃してよ。頼むから」
融通、皆無?