セルビシオ
スペイン語は、ほとんど話せない。
七泊ほどのスペイン旅行に行ったときも、頼りにしたのは「指さし会話」の本だった。
もっとも、私はラテン語なら読める。
スペイン語はラテン語から派生した言葉だから、看板や案内表示を見ていると、なんとなく意味の見当がつくことがある。これは後にイタリアへ行ったときも同じだった。
目は、それほど困らない。
困るのは口である。
旅行はツアーだった。
マドリードで自由時間になったとき、ほかの人たちはガイドさんと一緒に、あちらこちら見て回ったらしい。
私と家内は、バルに入った。
といっても、店の中ではない。
大通りの真ん中、中央分離帯のようになった場所にパラソルが並び、その下にテーブルが出ていた。
車が両側を流れていく。
その真ん中で、私たちはワインを飲んだ。
大きなグラスだった。
家内と二人でピンチョスをつまみながら飲んでいると、なんだか居心地がよかった。
三十分。
四十分。
結局、小一時間そこにいた。
そして、大きなグラスのワインを飲めば、当然のことが起きる。
トイレに行きたくなった。
さて、困った。
そのとき、とっさに出てきたスペイン語が、
「セルビシオ?」
だった。
英語のserviceに似ているから覚えていたのかもしれない。
店の男は、すぐにわかった。
何か言われて、私はさらに、覚えていた言葉を一つ返した。
「Vale」
すると男は、急にうれしそうな顔をした。
「¡Ah, vale, amigo!」
そこから、なんちゃらかんちゃらと続いた。
わからない。
ちょっと待ってくれ。
私のスペイン語は、いま使った二語でほとんど終わっている。
それでも男は楽しそうにしゃべりながら、私を奥のトイレまで案内してくれた。
通じた。
それだけのことで、妙にうれしかった。
七泊のあいだ、「指さし会話」の本を使って、それなりにいろいろな人とやり取りした。
帰国してから、そのスペイン語をろくに覚えていないのは、私が悪い。
けれど、不思議なもので、言葉そのものより、通じたときのことはよく覚えている。
スペインが好きになったのも、そういう小さなやり取りがあったからかもしれない。
バルを出てから、少し後悔した。
ほかのみんなと一緒に回ればよかったかな、と思ったのである。
せっかくマドリードまで来たのに、自由時間のかなりの部分を、道路の真ん中のパラソルの下でワインを飲んで過ごしてしまった。
そのあいだに、ほかの人たちはいくつもの場所を見たらしい。
見損なったものは、たぶんあった。
集合時間が迫っていた。
私たちは急いだ。
その途中、ユダヤ人街らしい一角を通った。
そこだけ、さっきまで見ていたマドリードとは街の表情が違っていた。
建物も、人の気配も、どこか違う。
こんなところもあるのか、と足を止めたくなった。
けれど、今度は本当に時間がない。
私たちは、その街を急ぎ足で通り抜けた。
旅というものは、全部を見ることができない。
一つを選べば、一つを見損なう。
バルに小一時間いたせいで、私たちはいくつかの観光場所を見なかった。
そのかわり、道路の真ん中でワインを飲んだ。
ピンチョスをつまんだ。
店の男に「アミーゴ」と呼ばれた。
そして集合場所へ急ぐ途中で、予定表にはなかった街の顔を見た。
どちらがよかったのかは、いまだによくわからない。
少し残念だった気もする。
それでも、マドリードと聞いて私がまず思い出すのは、有名な建物ではない。
車が流れる大通りの真ん中で、パラソルの下に座っていたこと。
大きなグラスのワイン。
そして、奥を指さしながら笑っていた男の顔である。
「¡Ah, vale, amigo!」
私はあのとき、スペイン語を話していたとは、とても言えない。
それでも、ほんの少しだけ、スペインの中に入れた気がした。
セルビシオ。
たった一語が、ずいぶん長く旅を覚えている。




