表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/127

第13話 ふかふかの聖域と、森の盟約


 完成したばかりの傾斜屋根の下。まだ壁もないその場所を、僕たちは今夜の「寝室」に決めた。

 泥だらけの地面をそのままにするわけにはいかない。

 僕は、午後の残りの時間を使って、近くの茂みから乾いた冬草や、弾力のある細い枝を大量にかき集めてきた。


「ゆう様、それをこちらに。……層を作るようにして、空気を含ませながら敷き詰めてください」


 リアの指示に従い、僕は屋根の下の地面に、厚さ二十センチほどもあろうかという草の層を作っていく。


 狭い骨組みの下での作業だ。僕が草を広げていると、隣でリアがそれを平らにならしていく。膝と膝がぶつかり、彼女の長い髪が僕の肩をかすめる。


「……こんな感じかな。結構、弾力があるね」


「はい。ですが、これではまだ『寝床』ではありません。……さあ、これの出番ですわ」


 リアが、拾った南京袋の中から、大切に守られていた「大きな二枚の袋」を取り出した。外側の南京袋は泥を被っているが、その中に収められていたこの袋は、驚くほど清潔な状態を保っている。


 リアは一枚の袋の端を器用に裂き、大きな一枚の布へと姿を変えた。彼女はそれを、僕たちが作った草の山の上に、ピンと端を引っ張って被せた。


「……あっ、これ、ハイジのベッドみたいだ」


「ハイジ……? どこの国の検索データか分かりませんが、素敵な表現ですわね。ほら、ゆう様。反対側の端を持ってください」


 二人で布の端を握り、呼吸を合わせて一気に広げる。

 草のチクチクした感触が布の下に隠れ、清潔な布の肌触りが姿を現した。リアはこだわりの強い手付きで、シーツの皺を丁寧に伸ばしていく。


「これで、下の湿気と冷気は遮断できます。……そして、もう一枚の袋が、私たちの『掛け布団』ですわ」


 リアは、もう一枚の袋も同様に広げ、二人の身体を覆えるほどの大きさを確保して、シーツの上にふわりと重ねた。


 まだ壁のない開放的な小屋だが、その中心に設えられた「ベッド」だけは、そこだけが別世界のように柔らかで、温かな光を放っているように見えた。


「……座ってみてもいい?」


「ええ。……どうぞ」


 僕がおそるおそる腰を下ろすと、草の層がギシッと心地よい音を立てて身体を沈み込ませた。


 固い地面の感触はどこにもない。


「……すごい。本当にふかふかだ。リア、君も座りなよ」


「失礼します……。……あら、これは……想定以上の快適さですわ」


 リアも隣に腰を下ろした。

 狭い空間。肩が触れ合い、布越しに伝わってくるお互いの体温。

 先ほどまでの泥まみれの重労働が、遠い昔のことのように感じられるほど、その場所は平穏に満ちていた。


「明日は魚を捕りに行って、夜はここで、お腹いっぱいで眠れたら最高だね」


「……ええ。私たちの、最初の『家』。……少しずつ、形になっていきますわね、ゆう様」


 リアの瞳が、沈みゆく夕陽を反射して、昨日の夜よりもずっと力強く輝いていた。

 僕たちは、完成したばかりの「聖域」の感触を確かめ合いながら、しばしの間、並んで暮れゆく森を眺めていた。

 ふかふかの草と清潔な布に包まれ、僕たちはようやく人心地ついた。

 だが、屋根の下で肩を並べて座り、自分たちが作り上げた華奢な「家」を見上げたとき、ふとした不安が頭をよぎった。


「……ねえ、リア。もし今夜、またあの鹿たちが来て、この屋根に寄りかかったら……」


「……物理的に全壊しますわね。私たちの生存確率は、彼らの巨大な親愛の情によって、瞬時にゼロへと叩き落とされますわ」


 リアは真顔で、細い枝を組み合わせただけの柱を見つめた。

 鹿たちの体温は命綱だが、その巨体はこの壊れやすいシェルターにとって、あまりにも強大すぎる「壁」なのだ。


 サ、サッ……。


 予感に応えるように、夕闇の向こうからあの足音が聞こえてきた。

 月明かりを浴びて現れたのは、銀色の角を持つあの雄鹿だ。続いて、仲間たちも音もなく姿を見せる。彼らは昨夜と同じように、僕たちの「家」のすぐそばで腰を下ろそうとした。

 

「あ、待って……! 鹿さん、お願いだ」

 

 僕は思わずベッドから立ち上がり、雄鹿の前に歩み出た。

 リアが後ろで息を呑むのがわかる。僕は、自分たちの頭上にある、今にも壊れそうな屋根を指差した。


「こんばんは。……せっかく来てくれたのにごめん。でも、この場所はすごく壊れやすいんだ。君たちが寄りかかると、僕たちの『家』が潰れてしまう。……だからお願いだ。今夜は、少しだけ、この小屋から離れて座ってくれないかな」


 自分でも無茶を言っている自覚はあった。相手は言葉を持たない野生動物だ。

 雄鹿は、僕の必死な訴えをじっと聞いていた。その大きな黒い瞳が、月明かりを反射して深く、神秘的に揺れる。


「……ゆう様、やはり無茶ですわ。言葉で伝えるには、あまりに……」


 リアが言いかけたその時だった。

 雄鹿が、短く、そして力強く鼻を鳴らした。


 ブフゥッ!


 すると、どうだろう。


 小屋に寄りかかろうとしていた他の鹿たちが、まるで号令を受けたかのようにピタリと動きを止めた。そして、互いに顔を見合わせるような仕草を見せた後、一歩、また一歩と、僕たちの小屋から数メートルほど距離を置いて、静かに地面に伏せ始めたのだ。


 雄鹿自身も、僕の目を見つめた後、屋根に触れない絶妙な距離を保って、悠然と腰を下ろした。


「……通じたの、かな」


「……信じられません。単なる威嚇ではなく、明確な『指示』として彼らは受け入れました。……ゆう様、彼らには言葉が、いえ、あなたの『意思』が、そのまま届いているようですわ」


 リアの驚愕に満ちた声が、夜の静寂に溶けていく。

 言葉が通じる。それはこの未知の森で生きていく上で、何よりも心強い発見だった。


「……ありがとう、鹿さん」


 僕はもう一度お礼を言い、ふかふかのベッドへと戻った。

 外には、僕たちを守るように円陣を組んでくつろぐ、巨大な命の壁がある。

 屋根は壊れることなく、けれど鹿たちの体温は、冷たい夜風を遮るように僕たちを包み込んでいた。


「おやすみなさい。……本当に、不思議な夜だね」


「ええ。……おやすみなさい、ゆう様。……今夜は、これまでで一番、安らかに眠れそうですわ」


 意識が遠のく中、僕は確かに、彼らと「隣人」になれたような気がして、深く、深い眠りへと落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ