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EVE〜終末世界の整備兵〜  作者: 灰猫J
第二章 神を狩る
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第2話 神を狩る準備

 ミネルヴァの朝は、地上の朝とは少し違う。


 東京湾の上に浮かぶ巨大要塞には、太陽が昇る前から無数の人工光が昼夜の境目を曖昧にしている。夜のあいだ、大都市の夜景のように海上へ広がっていた膨大な常備灯は、朝になったからといって一斉に消えるわけではない。むしろ、薄い朝焼けが東の空へにじみ始める頃になっても、整備区画や搬送路や発着甲板では、夜とほとんど同じ強さで白い灯が点き続けている。戦争は、日の出にあわせて休んでくれない。だからこの基地には、「朝らしさ」というものがあまりない。


 ただ、空気だけが少し違う。

 人が起き始める時間の、わずかな静けさ。夜通し働き続けた機械の疲れが、ほんの少しだけ金属の匂いに混じる時間。眠っていないはずの基地が、それでも朝というものの存在だけは認めているような、そんな静かな時間帯がある。


 イーサン・クロークは、その静けさの中で、工具を握っていた。


 ゼロ大隊専用整備区画の一角。高い天井の下にいくつもの整備ベイが並び、巨大な整備アームと可動式の支持フレームが、まだ完全には目覚めきっていないみたいに静かにぶら下がっている。床面には昨夜の作業で生じた金属片や焼け跡が、完璧に片づけられたはずなのにまだどこか残っているように見えた。整備区画というのはいつだってそうだ。いくら清掃しても、壊れたものの気配までは消えない。


 イーサンの目の前には、ヘルストーム・フレームの補助接続部品と、ロンギヌス・レールキャノンの補助収束ユニットの一部、それにノヴァ・ジャッジメントの補助制御環の設計図が並んでいた。本来なら別系統の兵装を同時に触るような真似はしない。整備というのは、集中と手順と確認の積み重ねだ。だが今は、一つずつ順に見ていくより、頭の中にある「全体」を一度広げてから、そこへ部品や戦闘記録を当てはめていく必要がある気がした。

 そうしなければ、昨夜見せられた映像の気配が、いつまでも頭の中から出ていってくれなかった。


 ウェプワウェト型災骸。

 エジプト第3支部を一夜で壊滅させた、神話の輪郭を持つS級。


 昨夜、ミレイユ・カスティールが直接整備区画へ顔を出し、イーサンにもごく短くその映像を見せたのだ。あの時点では、まだゼロ大隊の全員へ正式共有される前段階だった。ミレイユの意図ははっきりしていた。イーサンの目を、早い段階でその敵へ向けさせたかったのだろう。整備兵として。あるいはそれ以上の何かとして。

 その気遣いが、ありがたいのか酷なのか、イーサンにはまだ判断がつかなかった。


 工具の先でネジ頭を軽く叩きながら、彼はまた映像を思い出す。


 暗い廊下。粗い防犯カメラの画質。視野の奥を切り裂く何か。多重射撃の中を、まるでそこに弾丸など存在しないかのように抜けていく高速立体機動。双剣のような武装。殲滅兵たちが、ほとんど抵抗らしい抵抗もできないまま処理されていく現実。しかも最後には、自分が見られていることを理解し、防犯カメラへ向かって刃を投げて映像を断ち切った。


 まず身体能力が、人類のはるか上を行っている。

 それだけでも最悪なのに、未知の広域破壊能力まであるとラーヴィ・ナルシンハ大将が語ったとミレイユから聞いた。イーサンのような下級将校すら知っているあの知将が、だ。


 イーサンは工具を持つ手を止めた。


 こんなものを相手にするのか、と、また思う。


 あの映像を見た後では、敵というより、一つの完成された災厄に近かった。しかもただ真正面から叩き潰してくるのではなく、相手の射線や視線や空間の穴を理解した上で動いている。つまり人類と同様の「戦い方」が成立している。そういうやっかいすぎる敵だ。


 そこへ、ゼロ大隊をぶつける。


 ロクサーヌ。アストラ。セラフィナ。アイリス。ノクティア。


 イーサンは目を閉じる。

 彼女たちの顔を順に思い浮かべるだけで、胸が重くなる。第13防衛区の戦いで、彼は彼女たちの強さをこの目で見た。同時に、その強さがどれほど危ういものの上に成り立っているかも、嫌というほど見てしまった。


 ロクサーヌは強すぎるがゆえに、壊れながら勝つ。

 アストラは研ぎ澄まされているが、兵装側の再構成余地が少なすぎる。

 セラフィナは天才だが、ノヴァ・ジャッジメントの制御へまだ迷いがある。

 アイリスは圧倒的だが、勝ち方そのものが毎回危うい。

 ノクティアは生き延びる強さを持つが、継戦能力が脆い。


 敵は未知の最悪。

 味方も万全ではない。


 どうしてこれで、勝てると思えるのだろう。


 その疑問は、絶望に近かった。


 イーサンは歯を食いしばる。


 整備台の上に置かれたヘルストーム・フレームの補助接続部は、あの日の夜のまま、まだ微かに焼けた匂いを残している雰囲気すらある。ロクサーヌが第13防衛区で“バシリスク”を止めた時の損傷。あれほど無茶な戦いをして、それでも兵装はまだ直せる形で残っている。ロクサーヌ自身も、医療区画でまだ生きている。

 そこで、イーサンの頭に別の映像が浮かんだ。


 出撃前に、ロクサーヌが「私が逃げたら、後ろの人が死ぬでしょ」と言った時の声。

 “ランページ”へ正面から喰らいつき、最後まで獣みたいに噛み切ったアイリス。

 ほんわかした顔のまま、通信の切れ端だけで答えを解き切ったセラフィナ。

 死ぬはずの一分十秒を、格好悪く、泥だらけになって引き延ばしたノクティア。

 空に横薙ぎの雷光を走らせ、一撃で“シュリーク”を蒸発させたアストラ。


 彼女たちは確かに危うい。

 だが、危ういから弱いわけではない。

 むしろ、その危うさを抱えたまま前へ出られるからこそ、あれほど強い。


 イーサンはゆっくりと息を吐いた。

 自分は戦えない。

 少なくとも、あの人たちみたいには戦えない。

 だがだからこそ、自分にできることは一つしかない。

 彼女たちの生存可能性を、少しでも上げる。

 それだけだ。

 それがどれほど小さな差でも、やる意味はある。


 ウェプワウェトが神なら、なおさら兵装の方は人間が何とかしなければならない。

 そこまで考えた時、イーサンの胸の中で、さっきまで絶望だったものが、ゆっくり別の熱へ変わり始めた。


 怖い。


 それは消えない。

 だが怖いからこそ、見えている問題を放ってはおけなかった。


 彼は改めて、第13防衛区戦のログを頭の中へ広げる。


 ロクサーヌのヘルストーム・フレームは、火力も反応速度も極限だ。だが胸部フレームから肩部火器接続部へかけて、過負荷時の逃がしが少なすぎる。ロクサーヌ自身の身体能力で成立しているだけで、兵装側がその能力へ追いついていない。脚部支持も同じだ。あの人は戦場で立てる。けれど「立てる」ことを兵装の方が当然と思い込みすぎている。あれを少しでも兵装側へ受け渡せれば、ロクサーヌの消耗は何パーセントか減るはずだ。


 アストラのロンギヌスは、収束補助と再照準の一拍が重い。狙撃手本人の観測と判断が優秀すぎるせいで、兵装の一拍遅れが余計に際立つ。変則高速目標に対して、もう一段だけ位相追従を柔らかくできないか。完全な再設計は無理でも、補助収束環の初期値をずらすだけで何か変わるかもしれない。


 セラフィナのノヴァ・ジャッジメントは、相変わらず全ては理解することができなかった。イーサンは整備図面を睨みながら、頭の中で何度も構造を辿る。やはり十箇所以上、理屈の橋がかからないところがある。だが、わからないならわからないなりに、戦闘ログから「ここで彼女は怖がっている」「ここで兵装側が余計な自己防御に入る」という箇所を拾うことはできる。制御系の一部を“怖がらなくて済む”方向へ寄せられれば、セラフィナの頭脳はもっと前へ出る。


 アイリスのティタノマキア・ブレードは、近接戦の初動が美しすぎる反面、慣性補助の反動が運用者へ帰りすぎる。あの人は踏み込みの一拍目で勝ちに行く。だからこそ、その勝ち方に機体側の猶予がほとんどない。軽くするのではなく、「軽く感じるように補正する」方向。あれを詰めれば、アイリスはもっと長く戦場に立てる。


 ノクティアは昼間の継戦能力だ。左脚の熱逃がし、背部姿勢制御、鋼糸の再装填テンポ。あの人は生き延びる才が異常だ。兵装があと少しだけそのしぶとさへ追いつけば、もっと厄介な怪物になれる。


 イーサンは気づけば、端末へ次々とメモを書き込んでいた。

 手が動いている間だけ、不思議と心が静かだった。

 恐怖は消えない。

 だが、整備兵として考えている時だけは、その恐怖が全部「どう改善するか」へ変わる。

 それはたぶん、幼い頃からそうだった。

 壊れたものを前にした時、彼はただ怖がるのではなく、どうすればもう少し持つかを考えてしまう。

 人間相手でも、戦場相手でも、きっと根は同じなのだ。


「……やっぱり、そうなるよな」


 小さく呟く。

 絶望して終わる性格なら、たぶん最初からここにはいない。


 工具を置いた時、背後から気配がした。

 足音は重くない。だが、その気配が整備区画へ入った瞬間、空気がわずかに変わる。熱を持った金属の匂いと、鋭い静けさが同時に差し込んでくるような感覚。


 イーサンが振り返ると、そこにロクサーヌ・ヘルストームが立っていた。


 医療区画から出たばかりとは思えない顔をしている。もちろん完全に回復しているはずはない。歩き方にはごく僅かな硬さが残っているし、軍服の下にまだ補助固定が入っている気配もある。だが、それでも彼女は前を向いていた。赤い髪を無造作にまとめ、いつものように余計な感情を見せず、整備台の上を一瞥する。


「朝から全部見る気?」

 それが第一声だった。


 イーサンは慌てて姿勢を正す。

「お、おはようございます」


「おはよう」

 返事は素っ気ない。だが完全に冷たいわけでもない。


 ロクサーヌは整備台へ歩み寄り、イーサンが広げていた設計図やログを見下ろす。ヘルストーム・フレーム、ロンギヌス、ノヴァ・ジャッジメント、ティタノマキア、ノクティアのパワードスーツ。全部ある。


「ずいぶん欲張るのね」


「全部、必要だと思って」


「そう」

 ロクサーヌはそこで少し黙った。


 視線は書き込みの多いログへ落ちている。イーサンが第13区戦で感じた課題を、そのまま戦闘ごとに分けて走り書きしているのが見えるはずだ。


 しばらくして、彼女は淡々と言った。

「あなた、整備が上手いんじゃないわね」


 イーサンは一瞬、意味がわからなかった。

「え……?」


「もっと厄介なものが見えてる」

 ロクサーヌは視線を上げる。その目は、まっすぐだった。


「普通の整備兵は壊れた場所を見る。でもあなたは、壊れ方の奥を見てる。兵装の欠陥だけじゃない。戦い方の癖も、運用者の本質も、まとめて見てる」


 イーサンの胸がどくりと鳴った。

 ロクサーヌは言葉を選ばない。遠回しに褒めたりもしない。その真っ直ぐさが、むしろ息苦しいほどだった。


「そういう目は、器用なだけじゃ持てない」

 彼女はきっぱりと言い切る。


「あなたには、事象の本質を見る目がある」


 整備区画が、急に静かになったように感じた。

 遠くで整備アームの駆動音がしている。どこかで誰かが工具を落とした音もする。基地はいつも通り動いている。なのにイーサンの耳には、その一瞬、ロクサーヌの声しか残っていなかった。


 そんなふうに言われたことは、一度もなかった。


 上官から「真面目だ」とか、「器用だ」とか、「手際がいい」と言われたことはある。だが、それはどれも仕事の評価だった。けれど今ロクサーヌが言ったのは、仕事の上手さではなく、自分の中にあるものの話だ。しかも、あのロクサーヌが、それを見ている。


 胸の奥が熱くなる。

 嬉しい、というより、もっと危うい熱だった。憧れの相手から、自分の一番深いところを見抜かれた時の、逃げたくなるような、それでももっと見てほしいような、そんな熱。


 イーサンはうまく言葉が出てこない。

「俺は、そんな……」


「そんな、何」

 ロクサーヌは首を傾げない。感情を和らげる気配もない。真っ直ぐ見るだけだ。


「見えてるくせに、自分で否定する意味がわからない」


 その言い方が、あまりにも彼女らしくて、イーサンは逆に少しだけ息がしやすくなった。


「でも……」


「勘違いしないで」

 ロクサーヌは言う。


「別に慰めてるわけじゃない。使えるものは使う。それだけよ。あなたの目が使えるから、使う。そういう話」

 ぶっきらぼうな逃がし方だった。

 だが完全には突き放していない。そこが、むしろ余計に胸へ刺さった。


 イーサンは頷くことしかできなかった。

「はい」


 返事をしながら、自分の声が少し震えているのがわかる。情けないと思う。だが止められなかった。

 ロクサーヌはそれ以上、その話を掘り下げない。彼女自身、こういう種類の会話を長く続けるのは得意ではないのだろう。代わりに整備台の上へ置かれたヘルストーム・フレームの補助部品を指で軽く叩き、それから短く言った。


「ミーティング、十分後」


「はい」


「遅れないで」

 そう言って去っていく背中を、イーサンはしばらく見送っていた。


 赤い髪。迷いのない足取り。どこまでも炎みたいにまっすぐな人。

 胸の熱は、しばらく収まりそうになかった。


     *

 ミネルヴァ内のゼロ大隊戦術室は、第13防衛区出撃前のブリーフィングルームと似ていて、しかし少し違っていた。

 以前の部屋が「戦闘前提の圧」で満ちていたとすれば、今回はそこへ「準備の熱」が加わっている。壁面の大型モニターにはウェプワウェト型災骸の映像が静止画と動画で交互に流れ、戦術卓の中央にはエジプト第3支部の立体地図と破壊痕解析図が浮かんでいた。テーブル周りには各員の兵装調整ログも表示されており、戦術と整備がほとんど分離されていない。


 ゼロ大隊の全員が揃っている。


 アストラは主卓の正面、説明役らしく立っていた。

 ロクサーヌはその斜め後方、腕を組んで壁にもたれ、いつものように感情をあまり表へ出していない。

 アイリスは椅子に深めに座り、机の端へ片足を引っかけている。

 セラフィナは端末を抱えて、いつもの柔らかな顔のまま資料を覗き込んでいた。

 ノクティアは照明の切れ目に近い席に座り、静かに映像を見ている。


 イーサンは以前より少しだけ卓に近い席へ座っていた。誰もそれを説明しなかったし、彼も自分から聞かなかった。だが、第13区戦のあとで、彼が「ただの補助整備兵」ではなくなりつつあることは、この配置だけでもなんとなくわかった。


「始める」

 アストラが言う。


 映像が切り替わり、防犯カメラ映像の一場面が止まる。ウェプワウェト型災骸が殲滅兵の射線を立体的に抜けている瞬間だ。


「対象は近接高機動型。既知のB級・A級と同列に置かない方がいい。速いだけじゃない。見て、考えて、殺してる」

 その言葉には感情がない。だからこそ怖い。


「多重射撃下でも軌道に無駄がない。射線の“穴”を読んでいるか、少なくとも結果として同等の動きをしてる。さらに観測されていることを理解し、防犯カメラへ対処した。つまり、単なる反応速度の怪物じゃない」


 アストラはそこから複数の分析を重ねる。双剣の可動範囲。廊下の壁面利用から推測できる脚力。体幹の捻り。視線誘導の癖。どこまでが映像から言えるかを正確に見積もりながら、仮説だけを過不足なく積んでいく。


「ロクサーヌが正面対応しても勝機があるかわからない。アイリス単独でも同じ。近接で速い相手へ、こっちの近接だけをぶつけるのは悪手。だから逆に相手の土俵に乗る。」


 アイリスが鼻で笑う。

「悪手かどうか、やってみなきゃわかんねえだろ」


「あなたはそう言うと思った」

 アストラは淡々と返す。


「でも今回は模擬戦じゃない。神話型S級の調査と撃滅。賭け方を間違えると、誰か一人が死ぬ」


 アイリスは肩をすくめたが、それ以上は言わない。

 ロクサーヌも黙ったまま映像を見ている。その沈黙は無関心ではない。必要な時だけ口を開くために、まず全部を飲み込んでいる沈黙だ。


 セラフィナが手元の端末から顔を上げる。

「近接が強いなら、逆に行動の選択肢を狭めるしかないのかな。熱とか、地形とか」


「熱は有効」

 アストラが頷く。


「少なくとも不快にはできる。ただし仕留めきる火力を正面から当てる前に、逃げられる可能性が高い」


 ノクティアが短く言う。

「……私なら視界を奪える」


 アストラが視線だけ向ける。

「どの程度」


「完全には無理。……でも、意識外は作れる」

 ノクティアらしい言い方だった。少ない言葉の中に、やれることとやれないことが両方入っている。


「意識外を作れれば十分」

 アストラはそう言って、戦術卓上へ新しい配置図を投影した。


「結論から言う。前衛と中衛を分ける」

 赤いマーカーが二本、ウェプワウェトへ向かって走る。


「前衛はロクサーヌとアイリス。目的は撃破じゃない。止めること。ロクサーヌは火力で空間を制御、アイリスは近接で軌道を乱す。相手の自由を削る」


 次に別色のラインが出る。

「中衛はセラフィナとノクティア。セラフィナは熱と砲撃で行動選択肢を限定。ノクティアは影から攪乱、意識外を作る。殺しに行くんじゃなく、前衛が“神”をまともに見なくて済む時間を作る」


 最後に、遙か後方から伸びる一本の白線。

「仕留めるのは私」


 アストラの声が少しだけ硬くなる。

「全員で動きを止める。ほんの一瞬でいい。そこへ高出力狙撃を通す」


 戦術としては明快だった。

 ロクサーヌ一人の物語ではない。ゼロ大隊の全員で、神の動きを一瞬だけ縫い止め、その一瞬へアストラの狙撃を通す。まるで織物のように、各員の役割が噛み合っている。

 イーサンは戦術卓を見ながら、心のどこかでぞくりとした。

 勝てるかもしれない、と思う。

 同時に、少しでも噛み合わなければ全部崩れるとも思う。


 ロクサーヌがようやく口を開いた。

「悪くない」


 短い評価だった。

「前で止めるのは私一人でもできるけど、それだと相手の好きにさせる時間が長い。アイリスがいるなら、速い近接の“嫌さ”はだいぶ減る」


 アイリスが冗談を言うように笑う。

「嫌さで済めばいいけどな」


「済ませなさい」

 ロクサーヌは平然と言う。


 その一言で、アイリスはむしろ嬉しそうに口元を歪めた。


 セラフィナが少し考え込む。

「私は、熱で相手の選択肢を減らす方向か……うん、たぶんそっちの方がうまくいく。最初から殺し切ろうとするより、むしろ得意かも」

 天然なようでいて、こういう時の自己分析は速い。


 ノクティアは静かに頷くだけだった。

「……やる」


 それで十分だった。


 アストラが最後に戦術図を閉じる。

「問題は、実際にこれが機能するかどうか」


 そこで彼女の視線がイーサンの方へ寄る。

 「調整が終わっただけでは、まだ机上の案。実地で試す必要があると思うのだけど、どう思う?」


 イーサンは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに頷いた。

「一度、近接型の相手で試した方がいいと思います」

 自分から口を挟むのは初めてに近い。だが不思議と、誰もそれを咎めなかった。


 むしろアストラは当然のように受け取る。

「同意見」


 ロクサーヌも何も言わない。アイリスは「だろうな」といった顔をし、セラフィナは「うん」と素直に頷き、ノクティアだけが一瞬こちらを見た。

 その視線は短い。だが以前より少しだけ、イーサンを“外の人間”として見ていない気がした。


 結論は早かった。

 兵装調整が一通り終わったあと、近接型災骸が発生した場合にはゼロ大隊が出撃し、新戦術を試す。

 その場で本番の答えが出るとは思っていない。だが試さないよりはましだ。神を殺すなら、まず怪物で噛み合わせを測るしかない。

 ミーティングが終わる頃には、戦術室の空気は少し変わっていた。


 不安は残っている。

 恐怖も消えていない。

 ウェプワウェト型災骸がどれほどの存在か、誰も忘れてはいない。


 それでも、ただ「怖い」で終わっていた数時間前とは違う。

 いまこの部屋には、戦う準備の形がある。


 ロクサーヌとアイリスが前衛で止める。

 セラフィナとノクティアが中衛で崩す。

 アストラが最後に仕留める。

 そしてイーサンは、その全員が少しでも長く立っていられるよう、兵装を支える。

 それが、いまの答えだった。


 戦術室を出る時、イーサンはふとロクサーヌの方を見た。

 彼女も同じタイミングでこちらを見ていた。

 一瞬だけ目が合う。

 それだけで、また胸が熱くなる。

 怖さはまだある。

 けれどその怖さの上に、もう別のものがはっきり積み重なっていた。

 憧れ。

 信頼。

 そして、自分もこの戦いの一部でありたいという願い。


 戦術室の外、ミネルヴァの長い通路には、相変わらず人工照明が白く点いている。窓の外には、灰色の海と鈍い空。まだ何も始まっていないように見える風景。だがイーサンには、その静けさの奥で、確かに次の戦いが動き始めているのがわかった。

 神を狩る準備は、始まったのだ。


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