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PRAYER 02 Desire&Inspire

受け取った衣装を袋に詰めてテルールの店を後にした。

 どんよりとした霧の街路を歩いていた時だった。

角を曲がった拍子に、リシェルは男と肩をぶつけた。


「おっと。すまないね。……あまりに芳醇な『好奇心的思考』に、つい足元が疎かになっていたようだ。」

男は謝罪を口にしながら、目はリシェルを凝視している。


整えられた口髭。仕立ての良い、インク汚れが染み付いたコート。そして何より、人生を物語として俯瞰して見てるような見透かした瞳と言動。

「そうだ、お嬢さん。少し時間を頂けないかい? 最近ここいらで噂されている『Ms.リッパー』について、何か知らないかい?」


リシェルは久々に動揺が過った、心の中で息を整え「抜けたパン屋の娘」を演じ、首を傾げる。

「ミス・リッパー?あぁ…噂になってるよね。でも私は知らないな。」


男は顎を少し触った。

「……なるほど。知らないか……。ふむ…庶民としては合格点だが、瞳の奥に潜む『退屈』が隠しきれていないな」


男は独り言を呟くと、手帳を取り出し、メモを見ながら言った。

「自分もザックリと聞いただけで、まだ大した情報は持っていない。だが、私は今、猛烈に飢えている。読者に戦慄を叩き込む事のできる、リアリティという……最高の素材をね。 私の名前は、アーサー・コナン・ドイル。しがない小説家だ。面白い小説を書くためなら、私は排泄物を食らうことさえ厭わない。……だから、私はリアリティを探求し続けるのだが……」


ドイルと名乗った男は、リシェルのパーソナルスペースを無視して一歩踏み込んできた。

「君は……いい。非常にいい匂いがする。『秘密』という名の極上のスパイスとパンの香りに紛れ込ませた、鉄の匂いがするね。」


リシェルは足を一歩後ろに引く。ドイルの眼差しが鋭く刺さり狂喜しながら手帳に猛烈な勢いで何かを書き込む。

「だが…知らないと言うなら……今は君に構っても意味ないな。また『演者』として相応しくなった時に声を掛けるよ。じゃあね。……ワンダーラビット」

男は謎の言葉を言い放ち、霧の向こうへと消えていった。


リシェルは男が去った方向を睨みつけ、小さく毒づいた。

「……やだなぁ。ああいう、理屈っぽい鼻の利く奴。ただの変態じゃん。」

 

――7時10頃/【アークリット】――

「ねぇ聞いてよ。モス。……かくかくしかじかで……

 変態がいたわけ!」


「……小説家のアーサー・コナン・ドイルですか……。一応警戒した方が良いかもですね。」


モスの言葉を聞き、リシェルは鼻を鳴らし、赤いリボンをきつく結び直した。

「よし!銀行へ行くよ。モス。」


「了解です。」


 ――8時頃/【銀行】――

二人はイーストエンドの喧騒を抜け、シティの入り口に建つ、重厚な石造りの大銀行へと向かった。霧に濡れた黒い鉄柵が、まるで犯罪者を拒む要塞としてそびえ立つ。

「アーク・リット」の店長としての顔を張り付け、二人は銀行のロビーへと足を踏み入れた。

高い天井と煌びやかなシャンデリア、磨き上げられた大理石の床。

そこには貧民街の泥臭さは微塵もなく、ただ「数字」と「信用」という名の冷たい空気が支配している。


「……いたいた。あいつが、ハリソン課長かぁ。」


リシェルの視線の先、一段高い位置にある「融資担当」のブース。

そこに座る男は、腹の出た銀行員。脚も腕も少しパツパツのスーツ。整えた金髪の髪は清潔感がある。

だが、リシェルの目は誤魔化せない。

男が顧客の書類に判を押す際、指先がわずかに震え、歪んだ悦びに肥えている。奴は「他人の運命」をペン一本で左右することにさえ病的な快感を覚えている。


「ねえ、モス。見て」

リシェルは、ハリソンの胸ポケットに視線を固定した。

白いシルクのハンカチーフが、丁寧に――あまりに丁寧に――差し込まれている。


その時、一人の老紳士が血相を変えて楚々くさとハリソンのもとへ駆け寄る。。

「ハリソン君! ……どうか…先日の融資の話、再考してくれないか! このままだと私の工場は……!」


ハリソンは、絶望に震える老紳士を冷ややかな、それでいてどこか楽しげな瞳で見上げた。

「……残念ながら、規定ですので。お引き取りを」


老紳士が警備員に連れ出されるのを見届けると、ハリソンは満足げに鼻を鳴らした。

そして、恭しく、狂おしいほど愛おしそうに――胸ポケットのハンカチーフを指先でなぞった。

その布の端に、鮮明に赤い糸で刺繍された**『A.S』**の文字がある。


「あぁーあ、黒焦げだね。あのハンカチを撫でる時きすごい楽しそうじゃん。」

 ロビーに響く時計の刻み音が、カチカチと規則正しく時を刻んでいた。


「次の方。どうぞー。」

 銀行員の言葉と共にリシェルの番が回ってきた。

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