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魔道具店の奥で、水鏡はまだ弱々しい光を揺らめかせている。
ルアは青年、カイルから預かった木箱をそっと開け、精霊に語りかけた。
「君は長い間、誰かの願いを映してきたね。けれど、最近答えを返せなくなったのは……怖さのせいだろう?」
水鏡の表面に細いひびが入ったかのように光が震える。
その奥には、確かに小さな存在の心が息を潜めていた。
(……んー。やはり、自分が間違った答えを返すことを恐れてる。)
「大丈夫だよ。誰も責めたりしない。君が正直に答えればいいだけだ」
水鏡がゆっくりと応えるように、表面の光が広がり始めた。
「君は鏡でありながら、人の願いを映すだけじゃない。君自身も、願いを持っていい」
カイルは息を飲み、話し出した。
「……僕は……ずっと、父のことを恨んでいました。幼いころに家を出て行った父を、憎んで……でも、本当は会いたくて……」
ルアは優しく頷く。
「本音を打ち明けることは勇気がいる。でも、精霊はその勇気に応えようとする」
水鏡の表面に、かすかな光が渦を描き、微かに声が聞こえた。
「……会いたい……」
カイルの目に涙が浮かぶ。
幼い日のわだかまり、憎しみ、寂しさ――すべてが一気に解けるように、胸の奥から温かさが広がった。
ルアは微笑み、手をカイルの肩に置く。
「精霊は、正直な気持ちに応える。それだけで、道具は生き返るんだ」
水鏡の光が、揺れる波紋の中で輝きを増す。
ついには、はっきりとカイルの願いを映し出した。
「……見える……父さんが、笑ってる……!」
カイルは声を詰まらせ、震える手で水鏡を抱きしめる。
精霊もまた、応えたのだ。長く封じ込められた感情を、やっと表に出すことができた。
◆
その時、店の床が微かに震えた。
(……やはり)
ルアは静かに目を細める。
街の地下深くで、土精霊の力が未だ収まっていない。
ギメルの工房で鎮めたはずの波動が、まだ小さく揺れている。
「カイルくん、少しだけ待っていて。土精霊の方も確認しないと」
「……はい」
ルアは店を出ると、路地を抜け、工房のあった街外れの方向へ向かう。
地面の奥に潜む揺らぎは、微かにうなり声のように響く。
深い土の中から、力強い存在の感情が渦巻いている。
(……来るな、暴走するな……)
ルアは意識を沈め、土の精霊と呼応する。
(落ち着け、無理をするな。君の力は十分に強い。でも、壊れてしまう必要はない)
土精霊は微かに震え、揺れを抑えるように身を縮める。
荒れ狂う波は徐々に静まり、ゆっくりと呼吸が戻った。
「よし、これでとりあえずは大丈夫かな」
ルアは深く息をつき、肩の力を抜いた。
目の前に広がる静かな街路には、夕陽が淡く染み渡っている。
再び店へ戻ると、カイルが水鏡を抱きしめたまま、目を輝かせていた。
「……ルアさん、ありがとうございました。これで、やっと……本当に、向き合えそうです」
ルアは微笑み、棚の上に置いた精霊たちに目をやる。
「精霊は、君たちの心に応えるために存在している。だから、本音を伝えれば、必ず答えてくれるんだ」
カイルは深く頷き、安心した表情で店をあとにした。
カイルが店の戸を閉めた瞬間、遠くの路地で風がそよぎ、かすかな鈴の音が響いた。
(……まだ、街には多くの精霊たちが待っている)
ルアは肩にかけたマントを直し、静かに笑った。
「さて……次の奇跡は、誰のもとへ」
夕陽に染まる街並みの中、魔道具店ルアの小さな冒険は、まだ始まったばかりだった。




