1
午後の街路は、昼間の光で白く照らされていた。
子どもたちの声や市場の喧騒が遠くに響き、路地裏の魔道具店ルアは、静かに佇む影のようだった。
店内の魔道具を眺め、観察しながら店奥の小さな水鏡の前で、ルアの指先が止まった。
水鏡は、普段は所有者の思いを映し出す魔道具。
しかし今、その表面はどこか濁り、微かに揺れるだけで声を失っていた。
(……君もか)
ルアは小さく溜息をつく。
沈黙する魔道具は、単なる“故障”ではない。
人と精霊の間に小さなすれ違いが生じることで、力を閉じてしまうのだ。
そのとき、扉の鈴が鳴った。
「……いらっしゃいませ」
声の主は、年の頃なら十七、八ほどの少年だった。
肩に背負ったリュックには、少し重そうな布箱が収められている。
「あの、こんにちは……これを……見てもらえますか?」
少年の手元には、古びた水鏡。
縁には小さな装飾が彫られ、表面はかすかに光を反射する。だがその光は弱く、まるで眠っているかのように静かだった。
「名前は?」
「レンです。……家に伝わるものなんですけど……最近、声を聞かせてくれなくなって」
「声?」
「はい。いつもは、水鏡に話しかけると答えてくれるんです。未来や、困ったことを映してくれるんですけど……。最近、黙ったままで」
ルアはそっと水鏡に触れる。
表面はひんやりとしており、内部から微かな波紋が揺れているだけ。
(……人の心が、届いていない)
ルアは少年に優しく微笑む。
「レンくん、この水鏡は君の心の奥を、まだ理解できていないようだ」
「え……?」
「魔道具の精霊は、人の表面だけを見てはいない。心の奥底を感じて、答えを返すんだ」
レンは少し戸惑ったように水鏡を見つめる。
「僕の心の奥……?」
「君が何を思っているのか、ちゃんと映せば、水鏡もまた答えてくれるよ」
レンはそっと唇を噛む。
手元の水鏡が、まるで息を潜めているように静かだ。
「……僕は……本当のことを、あまり家族に話せなくて……。だから、水鏡に聞いてほしかったのに……」
ルアは頷く。
「分かるよ。君の心の中で、伝えたいことと、恐れが混ざっているんだね」
水鏡がかすかに揺れる。
微かな波紋は、まるで「うん」と答えるように震えた。
ルアは指先でそっと水面をなぞる。
「心の奥を映すには、勇気が必要。でも、怖がらなくていいよ。少しずつ、精霊は応えてくれる」
レンは息を整え、ゆっくりと水鏡に向き直った。
「……じゃあ……話してみます」
その瞬間、店内の空気が一瞬、静かに張りつめる。
水鏡の表面が、波紋を描き始めた。
――ルアは目を細める。
(……これは、少し強い感情だな)
レンの心の中の葛藤が、水鏡の精霊に伝わり、表面に微細な震えを生じさせている。
しかし、それは暴力的な感情ではない。
むしろ――真剣な願いが混ざった、強い焦燥だった。
「……父さん、母さん……。僕、最近ちゃんと勉強してないし……友達とも……」
レンの声は震え、息が詰まりそうになる。
しかし、水鏡は少しずつ答えを返そうとしている。
微かに、表面に光が灯った。
「……! 水鏡さん……!」
ルアは静かに笑む。
「少しずつだ。焦らなくていい。君の気持ちを、ひとつひとつ伝えていけば、必ず応えてくれる」
レンは深く息を吸い込み、もう一度心の奥を整理する。
「……僕、本当は……父さんと母さんに、認めてもらいたいんです。勉強できなくても、ダメでも、ちゃんと自分を見てほしいんです」
その言葉が、水鏡の表面を揺らす。
波紋が小さく、しかし力強く広がっていく。
ルアはそっと手を添え、精霊に話しかける。
「ねえ、水鏡よ。レンくんの気持ちは、本当に真っ直ぐだよ。どうか答えてあげて」
水鏡の表面に、一瞬、レンの家族の姿のような光景が映し出された。
レンは驚きと喜びで目を見開く。
「……見えた……! 家族が……」
ルアは微笑んだ。
「まだ全部ではない。でも、少しずつ君の本心を映すことができるようになったね」
レンは水鏡を胸に抱きしめ、少し涙を浮かべた。
「ありがとうございます、ルアさん……!」
ルアは優しく頷く。
「さて……問題はこれからだね。街の奥で微かに揺れていたあの感情……まだ放置できそうにない」
ルアは店の奥に目を向けた。
土の精霊の小さな波動と、水鏡の精霊の反応が、遠くで微妙に絡み合っている。
(……やはり、街全体の精霊が、何かを求めている)
扉の向こうには、まだ見ぬ依頼者がいる予感。
ルアは微かに息をつき、覚悟を決める。
「よし……次の奇跡を、始めようか」




