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今日も、精霊と魔法日和  作者: July
第1章 風のペンダントと、嘘をつけない少女
6/16

3

 ミナが学校へ入り別れたあとも、ルアは校庭の片隅でしばらく空気の流れを読んでいた。


 風は穏やか。

 空は澄んでいる。

 外見上の変化は何もない。


 だが――地面の奥で、別の“気配”がわずかに呼吸している。


(……急がないといけないな)


 ルアは念のため、ミナのペンダントの状態をそっと遠隔で確かめる。

 風精霊はまだ完全には戻っていないが、閉ざされていた殻の隙間から、細い風が漏れ始めていた。


 感情の詰まりがほどけ、心が周囲へと開きつつある証拠だ。


「……よし」


 ルアは店へ戻ることに決めた。



 魔道具店へ戻ると、棚に置いていたゴーレムがかすかに震えていた。


「……起きる前兆か」


 ルアはゴーレムの横に手を添え、土の流れを読み取る。


 やはり内部の精霊は、深い眠りから浮上する寸前にいた。

 生命の火は弱いが、確かに息を吹き返しつつある。


「よかった。ミナちゃんの方も問題ない。あとは……」


 ――地の底から聞こえてきた“叫び”。


 あれが気がかりだった。


 その直後、店の扉が荒々しく叩かれた。


「ル、ルアさん! いらっしゃいますか!」


 慌てた声が響く。

 扉を開くと、そこには市場の陶芸職人である中年の男――ギメルが、顔を真っ青にして立っていた。


「どうしたんです? ギメルさん」


「た、助けてくれ……! うちの窯が、急に暴れ始めたんだ……!」


「窯が?」


 ギメルは必死に言葉を重ねた。


「火を使ってるわけでもないのに、勝手に石が崩れて……!

 中に入れていた土も全部落ちて、まるで何かが暴れてるみたいで……!」


(……来た)


 ルアは静かに目を細めた。


 さっき感じた“地の呼び声”。

 その震源が、ついに表面へ噴き出したのだ。


「案内してください。すぐに行きます」



 ギメルの工房は、街の外れにある。

 大きな窯が備えられた古い建物で、奥の作業場に入ると、空気は重苦しく土の匂いに満ちていた。


 ――ごごごごご……


 低い振動音が、床下から響く。


 窯の内部では、誰も火を入れていないはずなのに、赤くもない土が泡のように脈動していた。


「まるで……怒ってるみたいだ……! 土が……何でこんな……」


 ギメルは震えていた。


「ギメルさん。最近、何か“願い事”をしましたか?」


「願い……? いや、そんな――」


 そう言いかけたところで、ギメルの表情が強張った。


「……あ」


「思い当たることがありますね?」


「……女房が、病気で……。どんな薬を使っても良くならなくて……

 昨日の夜、酒に酔ったとき……“あの人の病が治るなら、俺の仕事なんてどうなってもいい”って……窯に向かって言った……」


 その言葉を聞いた瞬間、ルアの胸がざわりと揺れた。


(……強すぎる“願い”は、土精霊にとって呪いと同じだ)


 土の精霊は、守ることに誇りを抱く。

 だからこそ、強い願いを受けると、叶えようと無理をしてしまう。


 だが――。


「ギメルさん、その願いは……精霊には重すぎる」


「重すぎる?」


「“自分の仕事はどうなってもいい”――その言葉が、精霊には“土を壊してもいい”と聞こえてしまうことがあるんです」


 ギメルは息を呑む。


「じゃあ、この暴れ方は……!」


「あなたの願いを叶えようとして、土の精霊が無茶をしているんです」


 窯全体がごう、と揺れる。

 内部の土が波打つように隆起し、ひび割れがさらに広がった。


「ル、ルアさん……どうすれば……!」


「僕が、一度土の声を“鎮め”ます」


 ルアは窯の前に膝をつき、目を閉じた。


 手のひらを土に触れると、深い、深い底へと意識が沈んでいく。



 暗い地の底は、叫びで満ちていた。


 ――守りたい。

 ――守りたい。

 ――病を治したい。

 ――けれど壊さなければ届かない。

 ――もっと力を。もっと。もっと……。


(……無茶しすぎだよ)


 ルアは心の声で語りかけた。


(願いを叶えるために、自分の身体を壊す必要なんてない)


 精霊の声は荒れ狂った土埃のように渦巻く。


 ――壊さなければ守れない。

 ――願いを叶えられない。

 ――叶えられないなら、僕は存在する意味がない。


(違う。精霊は“結果”で価値を決めたりしない)


 ルアは土に深く手を押し当て、静かな力を流し込んだ。


(君は、ギメルさんの願いのすべてを背負い込んでしまった。でもね、人間の願いはね……本当はとても不器用なんだ)


 荒れ狂う土が、わずかに揺れを弱める。


(“治ってほしい”という気持ちと、“どうでもいい”という言葉は、同じ願いの形をしていない。君は後の方だけを受け取ってしまったんだ)


 ――どうすれば……。


(簡単だよ。全部を背負わなくていい。願いの形は、ギメルさん自身に任せればいい)


 ルアは最後にそっと語りかけた。


(君はもう十分頑張った。少し、眠りなさい)


 その瞬間、荒れ狂う土の波がふっと静まった。



 窯の内部の揺れが止まり、工房はようやく静寂を取り戻した。


 ギメルは跪き、両手で顔を覆った。


「……俺が、こんな……女房を助けたい気持ちに、嘘はなかった。でも……仕事なんてどうでもいいは、嘘だった……。こんなふうになって初めて気づくなんて……」


「気持ちは分かります。誰だって、弱る時はある」


 ルアは静かに窯のひびを撫でた。


「でも、精霊は人よりずっと素直です。言葉をそのまま受け取る。だからこそ……本音を伝えることが大事なんです」


 ギメルは震える声で呟いた。


「……ありがとう、ルアさん。本当に……ありがとう……」



 工房を出て、戻る道すがら、ルアはふと空を見上げた。


 ミナのペンダントは、もう心配いらないだろう。

 友達との絆が、風精霊の殻を開いた。


 だが――。


(……今日はまだ終わらない気がするな)


 空気は穏やかに見えるのに、どこか深く沈んだ揺らぎがある。

 それは、まるで誰かの心が遠くで泣いているような気配。


 精霊たちの囁きは、いつもよりざわついていた。


「やれやれ……静かな日々は、もう少し先のようだ」


 ルアはため息をつきながら歩き出した。


 その背に、風のペンダントが遠くからかすかに鳴った。


 ――物語の幕は、ゆっくりと次の章へと進んでいく。


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