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昼に近づくにつれ、魔道具店の空気はすこしずつ温かみを帯びてきた。
窓から差し込む光が、棚に並ぶ道具たちを柔らかく照らし出す。
ミナは緊張した様子のまま椅子に座り、じっと自分のペンダントを見つめていた。
ペンダントの中の風精霊は、依然として閉じこもったまま。
昨日の透き通るさざ波のような羽音は、まるで陽炎のように消えてしまっていた。
「……ミナちゃん、すこし散歩しようか」
「……え?」
「体がこわばったままだと、気持ちも固くなるからね。学校に行く前に、風にあたりに行こう」
ミナは戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。
ルアは店の鍵を掛け、小さな布袋に魔道具を数点入れると、ミナと並んで歩き出した。
◆
街は昼前の柔らかなざわめきに包まれていた。
道端のパン屋からは焼きたての香りが漂い、子どもたちの笑い声が遠くから響いてくる。
「……ねえ、ルアさん」
「ん?」
「ほんとうに……わたし、ちゃんと伝えられるかな」
「伝えようとする気持ちがあれば十分だよ」
「でも……うまく言えなかったら?」
「うまく言えなかった分は、心がちゃんと補ってくれるよ」
ミナはきょとんとする。
「心が……?」
「うん。言葉はときどき嘘をつくけど、心は嘘をつけない。精霊も、人もね」
ミナは自分の胸に手を当てた。
「……心って、そんなに見えるものなの?」
「見えるんじゃなくて、届くんだよ」
ミナはしばらく黙って歩いた。
やがて、学校の角が見えてくる。
その門の近くに、三人の子どもが固まっていた。
一人の赤い帽子の少女が、落ち着きなく地面を蹴っている。
「あ……」
ミナの足が止まる。
「ミナちゃんのお友だち?」
「……うん。……私が怒らせちゃった子……」
ルアは静かに頷いた。
「大丈夫。僕はここにいるから」
「……うん……」
◆
ミナがゆっくり歩み寄ると、赤い帽子の少女――ユイが気まずそうに顔をそらした。
「……ミナ、来たんだ」
「……うん。ユイちゃん……昨日は……その……」
ミナの声は震えている。
でも、逃げようとはしない。
ユイは腕を組んだまま、地面の石をつま先で転がす。
「怒ってるわけじゃ……ないよ。ただ……あたし、分かんないんだよ。ミナがなんで急に泣いたのか……」
「……っ」
ミナの胸がぎゅっと縮んだ。
ルアは遠くから二人を見守り、手の中で小さな風の魔石を握った。
緊張の気配が強すぎる場合、ミナの心が折れ、精霊が暴走する可能性がある。
(……頼む。ミナちゃん、逃げないで)
ミナは深呼吸するように胸元を押さえ、ゆっくり顔を上げた。
「……わたし……本当は……ユイちゃんに嫌われるのが怖かったの」
ユイの目が瞬く。
「……え?」
「行きたくないって言ったら……怒られるかもしれないって思って……。でも嘘ついたらもっと嫌われちゃう気がして……。それで……なんか……涙が出ちゃって……」
ミナの声は震え続けている。
けれど、その心の奥は真っ直ぐだった。
胸元のペンダントが、かすかに光を帯びた。
「……あたし、嫌わないよ」
ユイはぽつりと呟いた。
「ミナが泣いたの、びっくりしたけど……でも……そんなこと考えてたんだって……今聞いて、なんか……」
ユイは耳まで赤くなりながら顔を背けた。
「……あたしも、ちょっと言いすぎた。ごめん」
ミナの目から再び涙がこぼれる。
でも、それは昨日のような“怖い涙”ではなかった。
「……ううん……わたしの方こそ、ごめん……!」
二人がぎゅっと手を握り合うと、ペンダントが温かく震え、透明な風がふわりと舞い上がった。
ルアは胸を撫で下ろす。
(……よかった。ミナちゃんの心が“届いた”)
精霊は完全ではないが、確かに外へ出ようとしている。
閉ざされた殻が、ほんの少し割れたのだ。
◆
だが――。
そのとき、遠くで地面がかすかに揺れた。
ほんの一瞬の振動。
だが、ルアには分かった。
(……まただ。誰かが……強く、強く……精霊を呼んでいる)
その“呼び声”はさっきよりも鮮明だった。
まるで土の底から響いてくるような、深く沈んだ叫び。
ルアはミナに気づかれないように空を見上げる。
(ミナちゃんの心が届いたのはよかった。でも……街のどこかが、別の意味で“壊れかけて”いる)
ミナが友達と笑い合う声が戻り、風が柔らかく吹く。
だが、空気の底には微かなざわめきがあった。
まるで“嵐の前触れ”のように。
ルアは静かに息を吐いた。
(……このままじゃ、誰かの精霊が……暴走する)




