表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日も、精霊と魔法日和  作者: July
序章 「精霊王、路地裏に降り立つ」
2/16

2

扉がきしりと開き、ひょこりと小柄な少女が顔をのぞかせた。


 年齢は十歳前後だろうか。


 こげ茶色の髪を三つ編みにして、胸の前でぎゅっと握りしめているのは――銀色のペンダント。だがその表面はどこか曇っており、まるで光を拒むように沈んでいる。


「……こ、こんにちは……。ここの、お店の人……ですよね……?」


「うん。魔道具店ルアへようこそ」


 ルアが穏やかに微笑むと、少女の肩がふわりと緩む。

 けれど、不安はまだ完全に消えてはいない。


「その手に持っているのが、今日の相談かな?」


「は、はい……。これ……全然、風が出なくなっちゃって……」


 少女が両手で掲げるペンダント。

 本来ならば、内部の風精霊が持ち主の気持ちに応じてそよ風を起こすはずの〈風呼びの守り〉だ。


 だが、今は沈黙している。

 まるで口を閉ざし、心も閉ざしているかのように。


「お名前は?」


「ミナ……です」


「ミナちゃん。じゃあ、まずは座ろうか」


 ルアは店の隅にある低い丸椅子を指さす。ミナはこくりと頷き、おそるおそる腰を下ろした。


「そのペンダント……いつから風が出なくなったの?」


「き、昨日です……」


「昨日、何かあった?」


 ミナはつい、と視線を伏せた。

 その指がかすかに震えている。

 まるで胸の奥に言いづらい何かを抱えているように。


「……友だちに、嘘を……ついちゃって……」


「嘘、か」


「わたし……本当は行きたくなかったのに……“行くよ!”って……言っちゃって……。そしたら、ペンダントが急に冷たくなって……風が、出なくなって……」


 ぽつぽつと、途切れ途切れの告白。

 ルアはミナの言葉を遮ることなく、ただ耳を傾け続ける。


「それで、どうして嘘を?」


「友だちに嫌われたくなかったの……。わたし、急に行きたくないって言って……嫌われたらどうしようって……」


 ミナの拳がぎゅっと握られる。

 胸の奥の罪悪感と寂しさが、その小さな身体を締めつけているのがわかった。


 ルアは机の上にそっと手を置き、その上へミナのペンダントを誘うように示した。


「ミナちゃん。少しだけ、このペンダントの“声”を聞いてみてもいい?」


「……聞こえるんですか?」


「うん。少しね」


 ミナは目を見開いたまま、そっとペンダントを机へ置いた。



 ペンダントに宿る風精霊は、いま深く殻へ閉じこもっていた。


 人の言葉を拒んでいるわけではない。ただ、拗ねている。少し泣いている。


 “守りたい相手が自分に嘘をついた”という事実に、心が追いついていないのだ。


(……君は、怒っているわけじゃないんだね)


 ルアは意識だけを静かに精霊へ向けて語りかける。

 返事は、かすかな風のざわめき。

 精霊の世界から漏れだした音は、人には聞こえないほど微弱だが、ルアには十分に理解できた。


(傷ついたんだね。ミナちゃんを守れなかった気がして)


 風精霊の気配がひどく揺れた。

 否定でも肯定でもない。ただ、泣きたい気持ちがあふれている。


(でもね、君が沈黙したせいで、ミナちゃんはこうして“本当のこと”を言いに来たんだよ)


 ざわり、と空気がひとつ波打った。

 まるで精霊が驚いたように。


(ミナちゃんは、君に嫌われたと思っている。でも実際は違う。君はただ、彼女の本心をもっと知りたかっただけなんだろう?)


 風精霊の翅の音のような微振動。

 かすかな肯定。


 ルアは静かに目を開いた。


「……ミナちゃん」


「は、はい……!」


「ペンダントの精霊はね、怒ってはいないよ」


「え……?」


「ただ、ミナちゃんが本心と違うことを言ったから……ちょっと悲しくなって、どうしていいか分からなくなっただけ。それで風を眠らせちゃったんだ」


 ミナの瞳が潤んでいく。

「……そんな……わたし、謝りたい……」


「その気持ち、ちゃんと精霊にも伝わってるよ」


 ルアはそっとミナの手のひらを開き、ペンダントを戻した。


「ミナちゃんが“本当の気持ち”を言ってあげれば、きっとまた風が吹くよ」



 ミナは小さく深呼吸をした。

 そしてペンダントを胸元へ抱きしめ、震える声で囁く。


「……ごめんね……。怖かっただけなの……。ほんとは、もっとちゃんと、自分の気持ちを言いたかったの……」


 しん、と空気が静まった。

 ルアは息を殺して見守る。


 やがて――。


 ふわり。


 ミナの髪を優しい風が撫でた。


「……あっ……!」


 風精霊が、そっと返事をしたのだ。


 ミナは顔を輝かせ、涙を目に浮かべた。


「戻った……! ほんとに……!」


「よかったね」


 ルアは柔らかく微笑む。


 だが――その風の中に、ほんのわずかに混ざる違和感を、ルアだけが感じていた。


(……少し、強い?)


 ミナの喜びを受けて、精霊が必要以上に頑張っている。

 まるで不安を振り払うために、羽ばたきを強くしているように――。



 ミナは涙を拭きながら立ち上がった。


「あのっ……ありがとうございました! ほんとに……!」


「気をつけて帰ってね。あまり急がなくても、風は逃げないから」


「うん!」


 ぺこり、と丁寧に頭を下げ、ミナは店を飛び出していった。

 店の外の路地へ小さな足音が遠ざかっていく。


 ルアはしばらく扉の方を見つめていたが、ふと表情を陰らせた。


(……やっぱり、少し気になるな)


 風精霊は回復した。

 しかし、あの翼の震え――不安を押し隠すような揺らぎ――。


 ミナ自身の心がもう少し落ち着かない限り、精霊は完全には安定しない。


(……後で様子を見に行こうかな)


 そう独り言をつぶやいたとき。


 ――コツン。


 また、扉の向こうで小さな音がした。


 先ほどとは違う。

 もっと重い。もっと鈍い。


 まるで、長い間持ち歩かれた疲れた荷物が、力尽きて地面へ落ちたような音。


 ルアの表情がわずかに鋭くなる。


「……今日は、珍しく忙しい日だね」


 そっと扉へ向かうと、手をかけた。


 そして、ゆっくりと扉を開いた――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ