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扉がきしりと開き、ひょこりと小柄な少女が顔をのぞかせた。
年齢は十歳前後だろうか。
こげ茶色の髪を三つ編みにして、胸の前でぎゅっと握りしめているのは――銀色のペンダント。だがその表面はどこか曇っており、まるで光を拒むように沈んでいる。
「……こ、こんにちは……。ここの、お店の人……ですよね……?」
「うん。魔道具店ルアへようこそ」
ルアが穏やかに微笑むと、少女の肩がふわりと緩む。
けれど、不安はまだ完全に消えてはいない。
「その手に持っているのが、今日の相談かな?」
「は、はい……。これ……全然、風が出なくなっちゃって……」
少女が両手で掲げるペンダント。
本来ならば、内部の風精霊が持ち主の気持ちに応じてそよ風を起こすはずの〈風呼びの守り〉だ。
だが、今は沈黙している。
まるで口を閉ざし、心も閉ざしているかのように。
「お名前は?」
「ミナ……です」
「ミナちゃん。じゃあ、まずは座ろうか」
ルアは店の隅にある低い丸椅子を指さす。ミナはこくりと頷き、おそるおそる腰を下ろした。
「そのペンダント……いつから風が出なくなったの?」
「き、昨日です……」
「昨日、何かあった?」
ミナはつい、と視線を伏せた。
その指がかすかに震えている。
まるで胸の奥に言いづらい何かを抱えているように。
「……友だちに、嘘を……ついちゃって……」
「嘘、か」
「わたし……本当は行きたくなかったのに……“行くよ!”って……言っちゃって……。そしたら、ペンダントが急に冷たくなって……風が、出なくなって……」
ぽつぽつと、途切れ途切れの告白。
ルアはミナの言葉を遮ることなく、ただ耳を傾け続ける。
「それで、どうして嘘を?」
「友だちに嫌われたくなかったの……。わたし、急に行きたくないって言って……嫌われたらどうしようって……」
ミナの拳がぎゅっと握られる。
胸の奥の罪悪感と寂しさが、その小さな身体を締めつけているのがわかった。
ルアは机の上にそっと手を置き、その上へミナのペンダントを誘うように示した。
「ミナちゃん。少しだけ、このペンダントの“声”を聞いてみてもいい?」
「……聞こえるんですか?」
「うん。少しね」
ミナは目を見開いたまま、そっとペンダントを机へ置いた。
◆
ペンダントに宿る風精霊は、いま深く殻へ閉じこもっていた。
人の言葉を拒んでいるわけではない。ただ、拗ねている。少し泣いている。
“守りたい相手が自分に嘘をついた”という事実に、心が追いついていないのだ。
(……君は、怒っているわけじゃないんだね)
ルアは意識だけを静かに精霊へ向けて語りかける。
返事は、かすかな風のざわめき。
精霊の世界から漏れだした音は、人には聞こえないほど微弱だが、ルアには十分に理解できた。
(傷ついたんだね。ミナちゃんを守れなかった気がして)
風精霊の気配がひどく揺れた。
否定でも肯定でもない。ただ、泣きたい気持ちがあふれている。
(でもね、君が沈黙したせいで、ミナちゃんはこうして“本当のこと”を言いに来たんだよ)
ざわり、と空気がひとつ波打った。
まるで精霊が驚いたように。
(ミナちゃんは、君に嫌われたと思っている。でも実際は違う。君はただ、彼女の本心をもっと知りたかっただけなんだろう?)
風精霊の翅の音のような微振動。
かすかな肯定。
ルアは静かに目を開いた。
「……ミナちゃん」
「は、はい……!」
「ペンダントの精霊はね、怒ってはいないよ」
「え……?」
「ただ、ミナちゃんが本心と違うことを言ったから……ちょっと悲しくなって、どうしていいか分からなくなっただけ。それで風を眠らせちゃったんだ」
ミナの瞳が潤んでいく。
「……そんな……わたし、謝りたい……」
「その気持ち、ちゃんと精霊にも伝わってるよ」
ルアはそっとミナの手のひらを開き、ペンダントを戻した。
「ミナちゃんが“本当の気持ち”を言ってあげれば、きっとまた風が吹くよ」
◆
ミナは小さく深呼吸をした。
そしてペンダントを胸元へ抱きしめ、震える声で囁く。
「……ごめんね……。怖かっただけなの……。ほんとは、もっとちゃんと、自分の気持ちを言いたかったの……」
しん、と空気が静まった。
ルアは息を殺して見守る。
やがて――。
ふわり。
ミナの髪を優しい風が撫でた。
「……あっ……!」
風精霊が、そっと返事をしたのだ。
ミナは顔を輝かせ、涙を目に浮かべた。
「戻った……! ほんとに……!」
「よかったね」
ルアは柔らかく微笑む。
だが――その風の中に、ほんのわずかに混ざる違和感を、ルアだけが感じていた。
(……少し、強い?)
ミナの喜びを受けて、精霊が必要以上に頑張っている。
まるで不安を振り払うために、羽ばたきを強くしているように――。
◆
ミナは涙を拭きながら立ち上がった。
「あのっ……ありがとうございました! ほんとに……!」
「気をつけて帰ってね。あまり急がなくても、風は逃げないから」
「うん!」
ぺこり、と丁寧に頭を下げ、ミナは店を飛び出していった。
店の外の路地へ小さな足音が遠ざかっていく。
ルアはしばらく扉の方を見つめていたが、ふと表情を陰らせた。
(……やっぱり、少し気になるな)
風精霊は回復した。
しかし、あの翼の震え――不安を押し隠すような揺らぎ――。
ミナ自身の心がもう少し落ち着かない限り、精霊は完全には安定しない。
(……後で様子を見に行こうかな)
そう独り言をつぶやいたとき。
――コツン。
また、扉の向こうで小さな音がした。
先ほどとは違う。
もっと重い。もっと鈍い。
まるで、長い間持ち歩かれた疲れた荷物が、力尽きて地面へ落ちたような音。
ルアの表情がわずかに鋭くなる。
「……今日は、珍しく忙しい日だね」
そっと扉へ向かうと、手をかけた。
そして、ゆっくりと扉を開いた――。




