精霊王の帰還と小さな奇跡
街の中心から少し離れた丘。そこは古くから精霊が集う場所だった。
夜空には星ではなく、精霊たちの光が群れを成して浮かび、ゆっくりと渦を巻く。
土、水、風、火――
それだけではない。
音、影、木々、夢、記憶……形を持たない精霊たちまでもが姿を現していた。
ミレイアが静かに呟く。
「精霊たちは……“王”を待っています」
ルアは空を仰ぎ、苦笑した。
「僕を王と呼ぶには……あまりにも平凡な見た目じゃない?」
「平凡な姿でいたいと願ったのは、あなた自身です」
ミレイアの声は優しい。
それは責める声ではなく――理解の声だった。
丘の頂に立つと、その中心にひとつの魔道具が置かれているのが見えた。
――古びた笛。
精霊言語で作られた唯一の楽器。
かつてルアが、すべての精霊と意思を交わすために使っていたもの。
(……まだ残っていたのか)
その笛には、ひびが入り、光が漏れ出ている。
まるで――泣いているかのように。
ルアが笛に触れると、笛の奥から声が響いた。
『……どうして……戻らなかったの……』
ルアは優しく答える。
「ごめんね。君を捨てた訳じゃないんだ……ただ……人と精霊の境界を越え続けることに、疲れて、休ませてもらってたんだ」
『……でも……寂しかった……』
「知ってるよ。ごめんね」
笛の声は震え、光が弾ける。
『……帰ってきて……精霊王……』
ルアは眉を下げ、そっと笛に触れた。
「いいよ。
――ただし条件がある」
精霊たちのざわめきが止まる。
「僕はもう、あの頃の“王”じゃない。
命令するためでも、支配するためでもない。
精霊も人も――願いを交わし合えるようにしたい。」
風精霊がさざめき、水精霊が波紋を広げる。
「契りは命令じゃない。
従属でもない。
選び合うものだ。
――それが、僕の答えだよ」
沈黙のあと――
光の渦が揺れ、精霊たちの声が重なった。
『――それでいい』
『共に望む』
『選び合う契りを』
『精霊王ルア』
『わたしたちは――あなたを迎える』
ミレイアが静かに微笑む。
「ルア。
あなたの望んだ世界が――今、始まるのです」
笛が光り、そのひびがゆっくり修復されていく。
それは魔道具ではなく――約束が直っていく音だった。
ルアは笛を静かに胸に抱き、ぽつりと言った。
「でも――明日も店は開けるよ。
魔道具は壊れるし、人の心もまた迷う。
僕はそれを直す――ずっとね。」
風が笑うように吹き抜け、精霊たちが優しく散っていく。
ミレイアは隣で小さく頭を下げた。
「精霊王。……いえ、ルア。
これからも――よろしくお願いします」
ルアは微笑んだ。
「こちらこそ」
翌朝。
路地裏の魔道具店には――。
「すみません! 水鏡がまた黙っちゃって!」
「こちらの杖、火花が止まらなくて!」
「精霊さんが拗ねて出てきません!」
――新しい依頼者が列を作っていた。
ルアは看板をくるりと回し、今日も静かに宣言する。
「――営業中」
*
風が吹く。
魔道具が微笑む。
そして――奇跡は今日も、路地裏で静かに編まれていく。




