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翌朝、魔道具店の扉を開けると、路地の空気は静かに息をしていた。
昨日まで街を覆っていた微かなざわつきが消え、まるで休息に入ったような静寂があたりを包んでいる。
(……土の精霊が落ち着いたおかげだな)
ルアは棚を確認しながらひとつひとつ精霊の状態を見ていく。
風、火、水――どれも穏やかだ。
だが――土だけが、少しだけ違う呼吸をしていた。
店奥の机の上には、先日眠らせた小さなゴーレムが横たわっている。
その土色の身体には、細かなひびが入り、胸元には小さく象眼細工のような紋が刻まれていた。
ルアは静かにゴーレムの額へ手を当てた。
「……そろそろ、目を覚ます頃だね」
その言葉に応えるように、土の中から小さな鼓動が伝わってくる。
石と土でできた身体とは思えないほど柔らかく、暖かい感触。
そして――。
――ぱちり。
ゴーレムの目に宿る光が、ゆっくりと灯った。
◆
「……う……?」
小さな声が、土の中から零れ落ちた。
精霊の声は耳ではなく、心に響く。
ゴーレムは上体を起こし、周囲を見回す。
視線がルアにとまると、わずかに身体が震えた。
「……ここは……? 主人は……?」
ルアはゆっくり首を振った。
「君の契約者は、もうこの世界にはいないよ」
その瞬間、ゴーレムの目の光が揺れた。
深い悲しみとも、理解ともつかぬ波紋。
「……そう、か。では……私は……守れなかったのか」
「違うよ。最後まで守った。彼は、君が側にいてくれて安心して眠ったんだ」
ゴーレムの小さな肩が震える。
「……私は……まだ……守るべき者がいるのか?」
「契約者の息子さん……リメルさんは君に謝りたいと言っていた。君が壊れそうになるほど願いを背負ったこと、感謝していたよ」
その言葉が届いたとき、ゴーレムの身体に微かな変化が生まれた。
――胸元の紋様が、かすかに光る。
(……あれは……“契約の継承”)
古い契約魔術では、契約者の願いが正しく引き継がれたとき、精霊は新たな契約対象を選ぶ――もしくは自ら定める。
ゴーレムは小さく息を吸うように胸を膨らませた。
「……私は……まだ守りたい。あの子を……リメルを」
「そう言うと思ったよ」
ルアは優しく笑った。
ゴーレムは立ち上がり、ぎゅ、と拳を握る。
その姿は、小さくても――たしかに誇りある守護者だった。
◆
その時だった。
――コン、コン。
扉を叩く音。
だが、いつもの遠慮がちな来客の音とは違う。
重い。
迷いと、恐れと――覚悟の響き。
ルアが扉を開くと、そこにはひとりの老人が立っていた。
背筋は曲がり、歩みは遅い。
しかしその瞳だけが、鋼のように澄んでいた。
「ここが……“精霊の声を聞く者”の店か?」
「ようこそ、魔道具店ルアへ。どうぞ、お入りください」
老人はゆっくりと中へ入り、懐から古い包みを取り出した。
布包みを開くと――古びた土色の石板が現れた。
そこには、見覚えのある紋様……。
目の前のゴーレムと同じ契約印。
ルアの呼吸がわずかに止まる。
(……これは――)
老人の声は震えていたが、その言葉には確信があった。
「……私は、この石板に宿る精霊に……どうしても伝えたいことがある」
ルアは静かに老人を見つめた。
「誰かを――許せないのですか。それとも、謝りたいのですか?」
老人の拳が震えた。
そして唇が、絞り出すように動いた。
「……“ありがとう”と、伝えたいのだ」
その瞬間――。
店の精霊たちがざわり、と小さく揺れた。
水鏡が震え、風精霊が羽音を立て、小さな炎が灯ったランタンが光を増す。
言葉ではない。
祈りでもない。
これは――“届き損ねた想い”。
ルアはゆっくりと老人の手に触れた。
「……なら、精霊は必ず応えます。あなたの言葉が本物なら」
老人の手が震えながら、石板の上に置かれる。
その瞬間――。
石板が淡く光り、店中の魔道具が微かに息を吸うように震えた。
そして――。
眠っていた精霊が、静かに目覚めた。




