1
街の喧騒から離れた裏路地は、朝も夜も静けさをまとっている。大通りを歩く人々は、いつだって目の前の賑わいだけを追い、ほんの数歩先に続く影の道へ気づくことはない。
その影の道をさらに進むと、ぽつりと一軒、木の温もりをそのまま閉じ込めたような小さな店が現れる。
――《魔道具店ルア》。
華美な装飾も、煌びやかな看板もない。扉に吊された鈴も、誰かが触れない限りは風に揺れて音を立てることもない。それでも、この場所には不思議と人の気配が漂っていた。
まるで、誰かが訪れるのを静かに待っているかのように。
◆
店の奥では、静かな気配がひとつ、木漏れ日のように揺れていた。
店主――ルア。
柔らかい金髪は肩口でふわりと揺れ、薄い緑色の瞳はどこか遠くを眺めるように穏やかだ。年齢は若く見えるが、落ち着いた佇まいは年輪のような静かな深さをまとっている。
細い指先が、小さなガラス瓶を撫でた。
中には、かすかな風のさざめきのような光が宿っている。
「……もう少し、かな。焦らなくていいよ」
語りかけるような囁き。
ルアの声に応じるように、瓶の中の光がわずかに瞬いた。
その光の正体は――精霊。
この世界の魔道具のほとんどには、精霊が宿っている。火、水、風、土。それに加え、光や影、音、植物――もっと繊細で小さな属性を持つものもいる。
彼らは人と契約を結ぶことで、魔道具に力を与える。だが、力が途切れたとき、その原因は「故障」ではない。
――ほとんどの場合、精霊と人との間の“心のすれ違い”だった。
「君も、持ち主と喧嘩したの?」
問いかけるルアに、瓶の中の光がちかりと瞬く。まるで「まあ、そんなところ」と言いたげだ。
ルアは微笑むと、その瓶をそっと棚に戻した。まるで幼子を寝かせるような丁寧な所作だった。
◆
静寂に包まれた店内には、さまざまな魔道具が眠っている。
風を吹かせるペンダント。
未来を映す水鏡。
土の精霊が宿る小さな守り手――ゴーレム。
炎を操るランタン。
音を形にする石。
それらは、いずれも「壊れた」と持ち主に言われてここへ運ばれてきた道具たちだ。
だが、ルアに言わせれば――。
「壊れてなんかいない。ただ、疲れただけ」
精霊は繊細だ。
人の言葉ひとつ、人の表情ひとつで喜んだり落ち込んだりする。
そして誤解したまま、道具の奥で沈黙してしまう。
その声に耳を傾け、もう一度人と精霊をつなぎ直すことこそが、ルアの仕事だった。
……しかし。
彼の素性を知る者は、誰ひとりとしていない。
店主ルアは温和な精霊術師――それは表向きの肩書きにすぎない。
本当の名は、かつてすべての精霊を統べる者。
――精霊王ルア。
大地が震え、風が駆け、海と炎が歌い、世界が生まれ変わるたびに精霊王の名は語られた。
その名は、世界の祝福そのものだった。
しかし今、精霊王はこの裏路地で、外からの光さえ遠い小さな店にひっそりと佇んでいる。
「……あの頃とは、世界も僕も変わったからね」
呟きは静かに空気へ溶ける。
誰も知らない過去。
誰にも明かさない理由。
ただひとつ確かなのは――ルアが望んでこの場所にいるということだけだった。
◆
そのとき、コトン、と店の外で小さな音がした。
木箱の角が石畳に触れたような、軽い衝撃音。
ルアはすっと瞳を上げる。
来客の気配。気配は人のものだが、何かに怯えているように揺らいでいる。
扉の前で、しばらく足踏みする気配があった。
――入るべきか迷っている。
この店によくあることだ。
“壊れた魔道具”を持ってくる人々は、たいていの場合、どこか心に迷いを抱えている。
やがて、ためらいがちに扉が叩かれた。
「……あ、あの……すみません……」
不安げな少女の声。
ルアは静かに口元を緩めると、扉へ向かった。
「どうぞ、入っていいよ」
優しい声が路地の影へ溶けた。
そして――小さな奇跡の物語は、また静かに幕を上げる。




