やる気のない奴お断り
婚約破棄は添えるだけ。
とある二つの王国で、とある契約が結ばれました。
その契約は平たく言ってしまえば政略結婚です。
家同士での契約よりももっと大きな国と国を結びつける契約という事もあって、それはもう入念な準備の元契約は行われたのです。
時として、恋愛娯楽小説にありがちな身分差のある恋に感化され、小説のシーンを真似るかのように婚約破棄をやらかす貴族が困った事にそれなりにいたのもあって、万が一を考えて契約を破棄した場合の賠償についてもその契約には盛り込まれておりました。
もしそちらに非があった場合、という状況を想定されてそれはもうあれこれと。
家同士での契約ですら反故にされたらそりゃもう慰謝料なんて洒落にならないので、国同士ともなれば賠償請求はとんでもない事になるのが目に見えていました。
結果として、もし契約を反故にしようものなら……と決められた賠償は、本来ならば有り得ないようなものになってしまったのです。
とはいえ、契約をきちんと守れば慰謝料も賠償も何も必要がありません。
契約を結んだ時にいたのは、将来結婚することが決められた当事者と、その親、それから国のお偉いさんも複数名。
何故って王族同士の婚姻なので、それら契約を結んだ際の立会人は普通の貴族の政略結婚を決めた時以上に大勢の人がいたのです。
だからこそ、もし、契約を破ったら……という項目部分は結婚する当事者よりも、国の思惑が大きく絡んでいたのは言うまでもありません。
何事もなく結婚するならそれもよし。
けれど、そうでないのなら……
むしろ相手が契約を破るように仕向けたのであれば、我が国に賠償として支払われる利益について考えれば。結婚してもしなくてもどっちにしても利はある。
そう、支払う側にさえならなければ。
結婚が決められた二人は、本人たちの意思など関係なく国のパワーゲームに巻き込まれる事となったのです。
――というのが、数年前の出来事。
レヌーン国とザヴィアス国、二つの国で結ばれた婚約は、レヌーン国にとって最悪の形で終着しようとしていた。
「はい、そういうわけでそちら、契約を果たせなかったのでかつて結んだ契約通りに本日よりレヌーン国は我が国のものとなりました。つきましては、レヌーン国はレヌーン領となります」
語尾にハートマークがつきそうなくらい甘ったるい声で言ったのは、ザヴィアス国の女王である。
その隣には女王の娘である王女の姿が。
ウッキウキな女王と異なり、王女の表情はどこまでも冷めている。
対するレヌーン国の王は、顔にびっしり脂汗をかいていて、なおかつ真っ青という、誰が見てもヤバイとしか言えない状態であった。
そしてそのすぐ近くには、何かを諦めたような表情の第一王子。さらに隣にだから言ったのに、とでも言いたげな第二王子。そして、今更になってどれだけヤバイ状況なのかを察したらしき第三王子。
その他に存在していた国の重鎮たちや護衛として控えている騎士たちも、ザヴィアス国側はその表情にとくにこれといった感情は浮かんでいないが、レヌーン国側はわかりやすいくらいですらあった。
レヌーン国側は誰もがこんな結末を迎える事になるとは思っていなかったのだろう。
「さて、この契約は神の名のもとに行われた神聖契約。女神や精霊たちの名において行われたもの。故に、契約書を破いてなかった事にしようとしたところでそれを実行しようとした者に神の罰が下り、精霊たちに呪われるという最悪な事になるわけです。
さて、一つの国に王は二人も三人も必要ありません。一応貴方たちには爵位を与えて差し上げますけど、もう王族として振舞う事は許されません」
やっぱり語尾にハートマークがつきそうなくらい甘ったるい声で、女王は笑う。
無理もない。労せずしてレヌーン国がまるごと手に入ったのだから。
そして早々に国としてではなくザヴィアス国の領土となり、レヌーン国は今この時をもってレヌーン領へと名を変えた。
レヌーン国の王も、王子も、この瞬間から王族とは名乗れなくなってしまったのである。
あっという間にレヌーン国がザヴィアス国の領地へと変わった、という情報は旧レヌーン国内に広がって、国はさぞ混乱を――と思われたが。
思っていたよりは混乱しなかった。
というのも、契約に関してはある程度の貴族が把握していたからだ。
血で血を洗うような戦場にこそならなかったけれど、多くのレヌーン国側の貴族も関係していた。そしてその比較的平和な争いに負けた。ただそれだけの話である。
ザヴィアス国の女王――ネルネフルリは実力主義を掲げていることもあり、レヌーン国側の貴族だった者たちの中でも有能だと判断された者たちには以前と変わらぬ地位を与えた。場合によっては爵位を上げる事もあった。
だが、その立場に甘んじて無能の分際で甘い汁を啜るだけの存在に容赦はしなかった。
爵位が下がるだけで済んだならまだいいが、場合によっては家を取り潰されたところもある。
そういった相手が甘んじてその結果を受け入れるはずもなかったが、ザヴィアスの騎士や兵士たちは優秀で、反乱の芽は芽吹く前に摘み取られていった。
レヌーン国の王はこの瞬間王ではなくなり、王子たちもまた然り。
レヌーン国の王妃はというと、二年ほど前に亡くなったのでこの場にはいない。
王妃がいなくとも、将来国を継ぐ予定だった第一王子並びに、臣籍降下して支えていくつもりであった第二王子がいたために、どうにでもなってしまっていたのだ。
だがしかし、第三王子のしでかしによって、どうにもならなくなったのもまた事実であった。
元国王は一応貴族と名乗ることは許されるだろう。
第一王子はいずれレヌーン国を継ぐ予定であった、という程度には優秀であったので、レヌーン国内の領土の割り振り的にまぁ、それなりのところを与えられるとは思う。第二王子も同様に。
いずれ王妃になるはずだった第一王子の婚約者に関しては、そのまま婚約継続になるのか、それとも白紙になるかは微妙なところだ。とはいえ、ザヴィアス国に敵対するような真似をしないのであれば、悪いようにはならないだろう。馬鹿なことをしなければ。
第二王子の婚約者もまた同様に、現状に下手に抗うよりは受け入れてその上で最善を尽くすタイプだ。問題はない、はずであった。
けれど第三王子は。
こうなってしまった原因を作り出した張本人はどうやら状況を把握していないようだった。
「待ってくれ! 現状に対してこれは明らかにおかしいだろう!? 確かに私はミリスラーラ嬢と親しい関係になってはいたが、それだけでこんな」
「あらぁ? もしかしてそちらの第三王子、文字が読めなかったりするのかしら?」
とてもにこやかに嘲られたという事実に気付くのが遅れた第三王子は「は?」と何を言われたのか理解すらしていなかった。次の瞬間第二王子が第三王子の頭を押さえて机に押し付けるように叩きつける。
ガツン、という音と「ごっ!?」という第三王子の呻き声。実力行使で黙らせた第二王子は「ちょっと黙ってろこの馬鹿」と普段より三割増し低い声で告げていた。
「確かにね、そちらの……ミリスラーラ嬢? えぇ、仲睦まじくしていた、という報告はこちらにも届いているの。でもこれも神に誓っていうけれど、その令嬢、うちが何かしてけしかけたとかではないのよ」
神に誓って、という宣誓はそう気軽に口にしていいものではない。
そんな事を言ってそれが嘘であった場合、割とあっさりと神罰が下るので。
この世界の神様はそういう方面ではやたらとフットワークが軽かった。
そしてザヴィアス国女王がそう口にした上で何も起こらないと言う事は、つまり本当にザヴィアス国の差し金ではなかったという事になる。
それによって、レヌーン国側の第三王子以外の全員が「うわぁ」とでも言いそうな表情になったし、なんだったら一部の者たちは白目をむいていた。まぁ気持ちは女王もわからんでもない。
それなりに前から市井では娯楽小説というものが出回って、昔に比べれば学の無い平民であろうとも文字はかろうじて読める……という者たちが増えてきた。識字率が上がったから娯楽小説が出回ったのか、はたまた娯楽小説が出たから識字率が上がったのかはさておき、そんな娯楽小説の中には身分違いの恋愛話なんていうのも転がっていた。
実際平民が貴族と恋に落ちて周囲から祝福されて結ばれるなんていうのはほぼ無い。
男爵家あたりならギリギリ平民が、という事もあるけれどそれだって無学の者ではなくある程度学と礼儀作法がマトモな者だ。
文字も読めず礼儀作法もわからず、教えたことをすんなり覚える事もできない、頭の回転も鈍いというような者ならば貴族の仲間入り以前に使用人として勤める事も不可能である。
だが娯楽小説ではそういった絶対に結ばれないであろう相手であってもハッピーエンドを迎える事もある。
あくまでも創作で、ちょっとした夢を見せてくれる代物。娯楽小説なんていうのはそういうものだった。
ある程度の者たちはそういうものだと理解しているけれど、しかし年若い者たちの中には本当にこういった事があるかもしれない、と思う者もいる。まぁ、とはいえ、そもそもの出会いがないのだが。
貴族と平民の出会いは滅多になくとも貴族と王族の出会いならば有り得なくもない。
王族の近くに存在することが許されているのは高位貴族と呼ばれる身分の高い者たちが常ではあるけれど、身分が下の貴族と絶対に出会わないというわけでもない。
だからこそ、平民の娘と王子が恋に落ちるような出会いがなくとも、たとえば男爵令嬢や子爵令嬢が王子と出会う可能性は有り得てしまった。
そして第三王子は愚かにも出会ってしまった令嬢――ミリスラーラと恋に落ち、婚約者がいるというのにそちらを蔑ろにしミリスラーラとの恋をせっせと育んでいた。
恐らくあともう少し放置していたのであれば、大勢の前でやれミリスラーラを虐めた罪だとかでザヴィアス国王女プリムヴェーラに婚約破棄を突きつけていたに違いない。
ところがそんな茶番が実行されるよりも先に、ザヴィアス国側から婚約破棄が突きつけられた。
契約に則った上で、という宣言と共に。
「そもそも、我が娘プリムヴェーラはいずれザヴィアスの女王となる存在です。ここまではおわかりかしら?」
未だ第二王子に頭を押さえつけられたままの第三王子は顔を上げる事もままならないが、女王の声はきちんと聞こえていた。
「つまりは、本来ならばプリムと結婚するそちらの第三王子は王配となるはずでした。ですが」
女王はそこで一度言葉を区切る。
「馬鹿は必要ないのです」
そして改めて告げられた言葉は、どこまでも淡々として冷え切っていた。
「どうせなら第二王子の方がまだマシだと思っていたのですが、年齢が少々離れておりますからね。だからこそ、そちらは年齢が釣り合うと言ってそこの馬鹿――失礼、第三王子をプリムの婿に推薦した」
女王は扇を開いて口元を隠したものの、しかし露骨な溜息は隠さなかった。
「ですが、馬鹿は必要ないのです」
淡々と先程と同じセリフを繰り返す。
「それに、ほら、昔もあったでしょう。真実の愛がー、なんてのたまって折角派閥の関係だとか家柄だとかいろいろ考慮した上で王命で結んだ婚約を台無しにした挙句、使えもしない娘を王妃に無理矢理仕立て上げたもののそんな考えなしな事をした馬鹿が王になったところでどうしようもなさすぎて、結局周囲が大変苦労した挙句反乱起こされて滅んだ国とか。あぁ、そういえばその国の領土を奪ったのってレヌーン国でしたわね。かつてはもっと小国だったレヌーン国がそれなりに領土を拡大できたのは既に滅んだその国が愚かであった事が原因でしたが、まさか同じような理由でレヌーン国がなくなるなんて……歴史は繰り返すって本当ですのね」
ほほ、と軽やかな笑い声は、しかし寒々しい雰囲気を漂わせている。
「王族と、自国の貴族との婚約が破棄された、程度であれば国内の話ですし内々で済ませる事もできたでしょうけれど、今回の婚約は国同士の結びつきを考えての事です。
それを軽率に台無しにされるような事をされては困りますから、勿論この婚約を結んだ時にお互いにこれでもかと色々練り込みましたわね。まさか忘れたとは言わせませんよ」
パチン、とあえて音をたて開いていた扇子を閉じる。
「重要な契約ですもの。えぇ、契約の何たるかを理解していない者が結ぶなどあるはずがないと思っておりましたの。えぇ、えぇ。子育てを失敗した挙句図体がでかいだけの幼児をまさか、ねぇ?」
明らかな侮蔑であるけれど、レヌーン国側の人間は誰も何も言えなかった。
王配としての教育をするならともかく、それ以外の――そもそもその年齢に至るまでの間にするべき教育までする気はない。子育てまで任される謂れはどこにもなかった。
同じ年齢であるはずのプリムヴェーラはきちんと学ぶべきものは学んでいた。将来女王になるのだからそれは当然であるのだ。
では、将来王配として女王を支えるべき相手だってそう在るべきであろう。
そうでなくとも王族として生まれているのだから、最低限そういった心構えはあって然るべきであったのだ。
ところが蓋を開けてみればただひたすらに甘やかされた僕ちゃんである。
王族だから大抵の我儘は叶うと思っているし、将来ザヴィアスに婿入りするというのに未だに自国で好き勝手やってるような相手だ。そりゃあ結婚するとなれば国を離れ家族と離れ、となるのでそれまではせめて少しでも一緒に……と考える気持ちはネルネフルリだって理解できなくもないけれど。
だが、いずれ来るべき日のための準備はしておくべきだった。
毎日遊び惚けて浮気してる場合などではないと、それこそ叱咤するべきだった。
それともなんだ。
結婚するのにうちの国に来てしまえばこっちでやらかしてた事など誤魔化せるとでも思っていたのだろうか。そんなはずはないのに。
自国内の貴族同士の婚約ならば、それぞれが交流を重ねるのに休日に会って茶会のような事をしたり、ともに出かけたりするのもそう難しい話ではない、が第三王子の婚約者は隣国の王女である。
会うにしても気軽に行き来するのは難しく、そうなると交流を重ねるだけでも時間と労力がかかりすぎる。
だからこそ、結婚したら王子が故郷を出るのだから、ということでレヌーン国にプリムヴェーラは留学という形で滞在していたのだ。
それを何を勘違いしたのか、王女が自分に惚れてこっちの国に押しかけてきたとか思い込んでた第三王子の頭の中身はどうなっているのだろうとしか思わないが。
一応第一王子や第二王子あたりはきちんと諫めたっぽいが、国王と王妃が今まで散々甘やかしたせいで兄二人の言葉を思い切り軽んじたのだろう。
人は軽んじている相手の言葉など、それがいくら正しく真実であっても聞くことはない。王侯貴族だけではない、平民だってそうだ。勿論、きちんと話を聞く者もいるかもしれないが、そういった相手はそもそもその相手を軽んじたりはしていない。
「王配教育ならともかく、まさか子育てまでこちらに丸投げするつもりだった、なんて事はないでしょう?
まさかですよね?」
えっ、そっちの国って子育てもロクにできないんですかぁ? と言わんばかりの女王の態度に、しかしレヌーン国側の誰も何も言えなかった。ただ悔しそうにギリギリと奥歯をかみしめたりしている者はいたけれど。
バカにされたくないのであれば、そもそもバカにされるような事をやるなというだけの話である。
「期日までに、そちらの王子は一定の成績を修める、という事すらできなかった。
先程も言いましたけど、馬鹿は必要ないのです。それでえぇと、こちらの学園での王子の成績、なんでしたっけ? 五番目でしたか? 下から数えて。
上から数えて五番目ならともかく下から数えてとかそれもうほとんど最下位ですよね。王配になるはずの人間の教育どうなってるんです? 契約時点で馬鹿はいらんとこちらも言いましたしだからこそそれを契約に含めてあったのですけれど?」
――そう、第三王子は確かにちょっと浮気まがいの事をしていたし、なんだったら婚約破棄を突きつけて王女有責をごり押ししようと目論んだりもしていた。
していたけれど、まだ実行はされていなかった。
何故ってあまりにも馬鹿だったから。
計画は筒抜け。証拠もバッチリ。わざわざバカみたいな茶番をやらかす前に叩き潰せるだけの材料がそろってしまったのだ。
レヌーン国側もさっさとそれ踏まえた上で対策をとっておけばよかったのに、若気の至りだのなんだのと甘やかすような事を言って、なぁなぁにしようとしていた部分も見受けられた。
……いや、国王夫妻はただの馬鹿親なのでそういう考えだったかもしれない。
王子二人はまだマシだったからどうにか弟の馬鹿さ加減を矯正しようと奔走していた。ただ、親から一番愛されてるのは僕ちん! とばかりに第三王子が上の兄二人を軽んじていたので、二人の王子の言葉はほとんどスルーされていた。
これだけなら家庭内の問題なのでそっちでなんとかしなさい、としか思えないが、しかしその愚かさは国の今後に関わるもので。
王子二人は親にも口が酸っぱくなるくらい忠告をしていたし、一応大臣たちだってそうだったのだけれど。
大丈夫よ、あの子はやればできる子だから♪
と、まず王妃が親馬鹿発揮してそんな事をのたまった。
やればできる子以前にやったところが一度もない。
やれば、というがそのやるシーンが一度もないのに何故やればできると言えるのか。根拠を示せ。
せめて一度でも学園で優秀な成績を出していればまだしも、入学してから今の今までずっと下から数えた方が早い成績しか出していない。これでやればできる子とか言われてもじゃあまずやれとしか言いようがない。
それとも、プリムヴェーラが優秀だから別にその夫が無能であっても問題ないとでも思っていたのだろうか。ただの種馬なら別に第三王子じゃなくたっていい。それこそ自国に戻って優秀な貴族令息を婿に迎え入れた方が余程マシである。
まぁ、契約は成らなかった。相手が愚かすぎてやらかした結果レヌーン国はザヴィアスのものとなった。
第三王子だった愚か者とプリムヴェーラが結婚することはもうこの先どのような未来を辿ろうとも有り得ない。
王妃が楽観的な事をのたまったりしなければ、父親である国王はもう少し危機感を持ったかもしれないが……どうだろうな、とネルネフルリは思った。そもそもちょっと尻に敷かれてる感が否めない。ちょっと強くものを言ったところで、王妃が丸め込みそうだなと思い直した。
上二人が優秀だからこそ、第三王子もきっとやればできる子だ、と思いたかっただけかもしれない。
「無駄にハニートラップを仕掛けたりしてきた割りに、意味もなく終わりましたね。ま、あんなお粗末なハニートラップに我が娘プリムヴェーラが引っかかるなどまずあり得ませんでしたけど。ほほほ、残念でしたわね。そちらの負けです」
国同士を結び付けるための婚約、とはいえ、正直ザヴィアス国側は特に望んではいなかった。旨味がそこまでなかった、というのもある。けれどもレヌーン国がどうしてもと言うから。
まぁ、レヌーン国からすればザヴィアスとの繋がりはあった方がいいだろうとは考えなくともわかりきった事だし、甘やかして可愛がってる息子の将来をせめて苦労のなさそうな良い家に、と考えたのもあったのだろう。甘やかすならそれこそ自国の、王家の命を無下にできない家に第三王子を婿入りさせるべきだったとは思うが。
それでなくとも婚約を結んだ時、他の国で一体何がどうなったのか、市井に出回っていた娯楽小説に感化された馬鹿が大量発生したらしく、婚約破棄が流行っていた。他国の出来事だからネルネフルリは「あらまぁおほほ」と笑いごととしていたけれど。
幼い頃から見た目はさておき、あまり頭の中身は賢そうでもない第三王子との縁談を持ちかけられた時点で。なんだかいやぁな予感がしたのだ。
ネルネフルリも親馬鹿の自覚はある。あるけれど、プリムヴェーラは母の期待に応え幼い頃から優秀であった。見て、うちの子がこんなにも優秀。そんな気持ちで鼻高々。可愛いし優秀だし将来は絶対美人になるし、私以上に素敵な女王になるんじゃないかしら~、なんて思っていたし家臣にも惚気る勢いだった。
そんな素敵な女王になるだろう娘には、是非とも最高の相手を用意したかった。
だがしかし、そこに持ち込まれた縁談。
正直とっても断りたかった。
ただ、他にもそれならば是非自分を! と売り込んでくる権力目当てのどうしようもない連中も群がり始めて辟易していたのだ。
バッサリ全部切り捨てられれば良かったけれど、これ婚約相手決めるまで延々続きそうね、とうんざりだった。大体プリムヴェーラの父親以上の年齢の男まで名乗りをあげていたのだ。死ねロリコン野郎、と女王が思うのは当然だったし、なんだったら相手の家の落ち度を探って大分家の力を削いだのは一度や二度ではない。
それならまだ、幼い頃はともかく将来の成長度合いに期待ができる第三王子の方がマシに見えたのだ。
団栗の背比べとしか思えなくとも。
だが、やはりそこで将来は王配だというのに自分が王になると思い込まれても困る。
それに愛人だのなんだのを作られても勿論困る。第三王子が王になって、側室を持つのであればまだしも、婿入りする相手が愛人連れてなど言語道断である。
まだ幼いうちからそんな事があるという前提で物事を考えるのはどうかと思ったけれど、当時、それこそ馬鹿みたいに周辺国家で婚約破棄だの真実の愛だのが流行っていたから。
じゃあ折角だし契約に色々盛り込みましょうね、と女王は無理難題――という程でもない――を吹っ掛けたのだ。
王配として相応しい人物に成長すること。
求めていたのは精々それくらいだ。
浮気をしない誠実な青年に育ってくれれば。
王配として不足ない能力を身につけてくれれば。
プリムヴェーラと歩み寄り、愛を育ててくれれば。
普通の、真っ当な王族だったならその程度の条件、条件の内にも入らない。
だが、もし。
甘やかされた馬鹿息子がやらかすようならば。
契約を違反した場合の条項はそれこそ無理難題吹っ掛けた。
本来ならば違反しようがない契約だ。だから、第三王子がきちんと勉強をして、将来ザヴィアスの王配となる自覚を持っていれば。そしていずれ国を離れるからこそ、と留学してまで会う回数を増やそうとしてくれたプリムヴェーラと交流を重ね、愛を育んでくれていたのであれば。
何も問題はないはずだった。
仮に成績が若干低かろうとも、努力し続けていればまだそこは大目に見る事もあったのだ。
ところが遊んでばかりで勉強はしないし他の女と親しくなって婚約者を蔑ろにするし、こんなの王配としてもらっても……というくらいに第三王子は自らの価値をご自分の手でずたぼろに破壊しつくしていったのである。
もし第三王子にもう少し真っ当な王族としての心構えがあったのなら、決してこんなことにはならなかった。
もし契約違反したらそっちの国まるごとうちのものってコトでよろしくね♪
みたいな馬鹿げた条項を盛り込んだのは、まぁないだろうなと思っていたからこそだ。
実際その契約を結んだ時に国王も王妃もまさかそんなあるはずないわあっははー☆ みたいなノリだったのだ。
ちなみに第三王子だけに色々と課せられていたわけではない。
プリムヴェーラがもし心変わりをして第三王子を蔑ろにするような事になった場合、というのも勿論あった。
ネルネフルリからすれば、うちの子に限ってそんな事するわけないでしょ、という思いもあったので、じゃあもしうち有責だったらザヴィアスがレヌーンのものになるという事で。なんて契約違反をした際の条項に盛り込んだ。
マトモに結婚すれば何も問題はない。
仮に、契約を違えたとして、違反した側にならなければいいだけの話。
相手が契約を違反したなら、その時点で相手の国がまるごと手に入るのだ。
バカみたいな契約である。本来ならそんなバカみたいな契約結ぶはずもないが、お互いどちらもうちの子に限って……みたいな部分があったため、そんなバカみたいな契約違反に関してが出来上がってしまったのだ。
この時点では王女も第三王子も、まだ幼かったからそこら辺詳しい事は知らなかった。
けれども契約を結んだ時点で大人たちは。
相手有責に持ち込めば、我が国にとって大きな利となる、となるわけで。
婚約を結んだ当事者そっちのけで、武力を用いない戦争のようなものが密かに開始されることとなったのである。
ネルネフルリは自分の娘を信じていたけれど、それでも相手側が無理矢理既成事実に持ち込んで浮気をしたという風にしてこないとも限らない。
それ故に、プリムヴェーラの周囲には常に護衛が控えていた。男性の護衛という一目見てわかりやすい相手の他、侍女に扮した女性の護衛も。
不用心に一人にならないよう、プリムヴェーラの周囲には常に誰かしら控えていたのである。
故に、露骨に彼女を口説いて落とそう、なんて考えるような男は近づくこともままならなかった。
レヌーン国側で用意された王女用ハニートラップとして集められた令息たちは、ことごとく王女の護衛の眼力に負けた。それを乗り越えても侍女が待ち構えている。さらにそれを潜り抜けたところで、プリムヴェーラも一筋縄ではいかなかった。
留学し、こちらの国でできた友人のご令嬢たちも常に誰かしらいたせいで、王女と男の二人きりという構図に持ち込むことが大層難しかったのである。
友人となった令嬢を買収して、という方法を実行しようとした者もいたけれど。
プリムヴェーラはそれすら察知していたからどれもこれも見事としか言いようがないくらいに躱していた。
もうここまできたらアリバイが完璧すぎて逆に怪しい推理モノの登場人物並みである。
だが、その鉄壁のアリバイは常にプリムヴェーラの身の潔白を証明し続けていたので。
浮気という既成事実どころかいっそ暗殺とかの方が手っ取り早いのではないか? などととても不穏な事を思う者もレヌーン国側にちらほらと出てきていたのである。
暗殺などしようものなら確実に叩き潰されるのが目に見えていたので、流石にそこまではやらなかったが。
学園だけではなく、その外でもハニートラップ要員はいたけれど。
その全てが不発に終わったのだ。
一方ザヴィアス国側も、どうせならと第三王子を堕落させようかと思った事はあったのだ。
真面目に励む相手なら良し、そうでなくとも楽な方に流れた挙句無能のままなら王配の資格なし。
いくつかの誘惑をちらつかせようと思ったのだけれど、そもそも甘やかされた僕ちゃんであった第三王子はザヴィアス国側が何かを仕掛けるまでもなく、お勉強が嫌いで遊んでばかりの駄目王子だった。
駄目王子がせめていざという時頼りになるタイプであれば良かったが、いざという時もダメダメなままだったので。
あ、これ放置でよさそうねとザヴィアス国側は思ってしまったのである。
どうせならこちらも同じようにハニートラップ要員を送り込んでみようかしら、とか考えたけれど。
なんか勝手に自国の身分の低い貴族の娘とくっつきつつあるし、と完全に放置だった。
ネルネフルリからすると、もしかして国を無血開城で譲るつもりでこんな契約結んだのかしらと訝しがる始末。国王や周囲の反応からそうではなかったようだけど。
説得力は皆無である。
「まぁ、貴方は精々好きな方と結婚すればよろしい。もう王族ですらないのだから。政略だのなんだのと面倒なしがらみは全て断ち切られたのだし」
未だに押さえつけられたままの第三王子にそれだけを言えば、女王は席を立った。
今回はあくまでも第三王子にハニートラップを仕掛けたのはザヴィアスではない、と突きつけるくらいしかやることがなかったので。
とっくに契約違反からの国譲渡は終わっているし、改めて現実を突きつけるだけだったので。
もし、今回のこの集まりで元レヌーン国側の誰かが何かを仕掛けてきたのであれば、ついでに処分すればいいだけの話だと思ったのもある。
もっとも、それをやれば自分たちの立場が更に悪くなることを理解する程度の頭はあったようなので、第三王子が悪あがきをしようとしていたくらいしかなかったのだが。
ともあれ最早彼らと言葉を交わす必要はない。
そう判断して。
女王ネルネフルリはプリムヴェーラと護衛たちを引き連れて席を立ったのである。
部屋を出てしばししてから、
「これで偽りのモテ期もようやく終わるんですね」
なんて呟く娘、プリムヴェーラだったけれど。
「王配の座が空いているのだからまだまだ押し寄せてきますよ」
現実を突きつければ途端しゅんとした表情になる。
それを見て、あぁやっぱりうちの娘可愛い、なんて思うのであった。
多分レヌーン国側の王妃が第三王子をビシバシしごいてたら回避できてたかもしれないけど、第一王子と第二王子が優秀だったし同じように育ててたなら第三王子も……って思った部分は仕方ないかもしれない。
家庭教師とか第三王子は上二人の王子と比べてちょっと……って暗に不出来って言ってたとしても常識の範囲内でちょっと出来がよくないとか思い込んでたらもうどうしようもないかもしれませぬ。
国王も多分それとなく言われてたかもしれないけど、上二人と比べてやるなとかで恐らくそこまでヤバイとは捉えてなかった。普通の婚約ならともかくバカみたいな条項盛り込んだことで巻き添え破滅くらってるのでこの場合第一・第二王子とあと他の民とかそこら辺が被害者と言えばそうなのかもしれない。
次回短編予告
望まぬ婚約系の話……?
活動報告にはこれの次の短編から間違いなく貧血状態で意識ふわっふわしてたから把握してないって書いたけどぶっちゃけこれもあんま憶えてない。まぁ多分いつも通りテンプレこねくり回したやつなのは確か。