生きづらいJK【彼女】のマスクはブルーグレー。
この作品と出会っていただきありがとうございます。
「マスクの色」を通して一人の女子高校生の繊細な感情の揺れ動きを丁寧に描写することを意識しました。
最後までお楽しみください。
私はここの校長から金を貰っている。私が脅して巻き上げているわけではない。向こうから提案してきたことだ。もちろんお金を受け取ることに対しての罪悪感は大いにあるのだが、受け取りを何度拒んでも私の銀行口座にはお金が振り込まれてくる。
日給の1万円が振り込まれる条件は一つだけ。朝の8時から夕方の4時まで2年4組の教室にいること。要するに他の生徒と同じように学校生活を送っていればそれだけでお金になるということだ。要求されているのはたったのこれだけ。17年しか生きていない子どもに「学校に通う」という甘すぎる条件だけでこんな多額のお金をホイホイまき散らすなんてあの人もどうかしている。どうして私になんか。
何かきっかけになることがあれば。いや、こんなことは今すぐにでもやめるべきだ。けれど両親がいない私にはこのお金がなければ生活がままならないのも事実で。学校ではアルバイトは禁止されているけれど、去年まで隠れて働いていた。校長先生のおかげで働かずに済むようになって、正直かなり楽になったのも事実。
なんだかんだと葛藤しているうちに梅雨が明け、夏休みまで明ける始末となった。
「秋元さん、今月の分、振り込んでおきましたからね。2学期になってもこうやって顔を見せてくれて嬉しいですよ」
「ありがとうございます。・・・あの、一ついいですか?」
「なんです?」
「永岡先生はこのこと知ってるんですか?」
先生は私に背を向けて、ブラインドの向こうのグラウンドを眺めている。短く揃えられた髪の隙間からはパールのイヤリングが見え隠れしていた。
「まさか。知らないですよ、彼女は。知っていたら私を直接責めにくるでしょうね。なんといっても正義感が強いから。まあそれもあって彼女をあなたのクラス担任にしたのだけれど」
コレが正しい行いじゃないって自覚してるんじゃん。期待を裏切らない答えが返ってきて、それでも冷静さを保っている自分の神経がただただ不快だった。
その日の放課後は、ランニングしているテニス部員たちを横目に見ながら小雨にも関わらず折り畳み傘をさして帰路についた。僅かな水たまりを見つけてはピチャピチャと足音をならし、高校生とは思えない子どもじみた真似をしながら帰った。
「なあ、あの人こんなあっちいのに毎日マスクしてね?」
「ほんとだよな」
「顔面にデカいニキビでもあるんじゃね?」
「あー、そっち系?どうでもいいけどウケるわー」
朝のHRに間に合うギリギリの時間に起きて身支度を済ませると、毎日使っているマスクのストックが切れていることに気が付いた。仕方がないので予備用に買っておいた1枚1円の白いマスクを着けて学校へ向かう。
いつも着けているのはブルーグレーのマスク。以前は黒色のマスクを使いたいと思っていた。でも、陰キャのくせして何をイキっているのかとかえって悪目立ちするのが容易に想像できたので、私なりの妥協案としてこのブルーグレーのマスクを使い始めた。この色なら少しは落ち着いた印象にみえるだろうと。
それでも、毎日身に着けているうちにこの変わった色のマスクのおかげで自分にほんの少しの武器が装備されているかのような安心感を持つようになっていた。
「なあー。箸忘れた、最悪。誰か割り箸とか持ってね?」
「昨日の配信観た?ヒロトくんのビジュやばかったよね!」
「うわー、この後古典かよ。絶対寝るわー」
一日の中で教室内がいちばん騒がしくなるこの時間は強制的にマスクを外さねばならないから気が重い。ただ先生の話を聞いていればそれで済む授業中のほうがよっぽど楽だ。
「わっ!秋元さん、ごめん!」
ぼんやり弁当袋を開けていると、クラスで目立つタイプの牧野さんが私の机にぶつかり形だけの謝罪をする。こんな狭い教室に40個も机が並んでいるのだから、誰かの机やイスにぶつかるなんてことはしょっちゅうあるし仕方がない。
「ううん。全然」
「あれ?秋元さん今日いつもと違うマスクだね。白いやつじゃん」
「・・・えっと、あ、うん」
「前から思ってたんだけど、秋元さんって大人しいイメージじゃん?だからいつもネイビーっぽい?色のマスクつけててなんか意外だなーって」
「え、・・・そうかな。あはは」
「あ、別に似合ってないとか変っていう意味じゃないからね?」
「わかってるよ、だいじょうぶ。・・・ありがとう」
「あはは、ごめんね、変なこと言ってー」
牧野さんは隣のクラスへと行ってしまった。彼女にとってそれは「ただの会話」だった。
深い意味はないことくらいわかっている。でも、当分この白いマスクを使い続けることになるだろう。
午後の授業は逆流することなく流れていった。
帰りのHRが終わり靴箱へ向かっていると、校長先生が数人の女子生徒たちに挨拶をしているのが目に入る。
「さようなら、気を付けて帰ってくださいね」
「ありがとうございます。さようなら」
案の定視線が合う。
「秋元さん、少しいいかしら」
「はい」
冷たい返事になってしまったことをすぐに後悔した。イライラしているのをわかりやすく態度に出してしまって申し訳なくなった。もう高校生なのに。
※※※
昼休み、階段を降りている彼女の顔を見たときいつもより伏し目がちだったことが気になっていた。
※※※
例のごとく今月の振り込みの確認だろう、そう思って軽い気持ちで校長室のソファに腰かけたのに。
※※※
なぜ綾音にお金を与えるのかって?それは簡単よ。あの子に普通の暮らしを諦めてほしくなかったから。アルバイトに時間を奪われてほしくなかったから。まだ高校生なのよ?周りの子たちと同じように友達と遊んだり学びを楽しんだり、そういう今しかできない経験を逃してほしくないの。そのためにいちばん手っ取り早い方法がこれだった。
綾音にお金を渡して、生活費を賄って、あの子がアルバイトに奪われる時間を私が買えばいい。そう思った。
あの子は頑固なところがあるから、何か理由をつけないとお金を受け取らないだろうと思ってね。でもその条件はなるべく単純なものにしたかった。なぜならそれが簡単にクリアできるものではないとしたらお金の振り込みを断る口実になってしまうから。
綾音が罪悪感を感じているのはわかってる。当然よね。私のエゴだもの。それでも私は、あの子に不自由な暮らしをさせたくないの。いつも寂しい眼をしている綾音を見ていたら嫌でもそう思うわ。
※※※
世間話が一区切りついたかと思えば、
「秋元さん、顔色が良くないみたいだけどどこか具合が悪いの?」
「いえ、大丈夫です」
「そう?ならいいんだけど。・・・やっぱり心配だから、マスクを外してみてくれない?」
「ほんとに大丈夫なので」
「でも、」
「余計なことしてもらわなくて大丈夫なので。これ以上私を贔屓するようなことしないでください」
自分の口から出た言葉は案外強くなってしまった。
「・・・綾音。」
先生の口は、そう呟いた。
とたんに先生の瞳は、沈黙した。17の子どもでもそれはわかった。
「え?」
「・・・何でもないわ。もうとっくにチャイムが鳴った、早く帰りなさい」
「でも、」
「いいから」
私と先生のその間の空間が、一瞬の隙もなく揺れるような感覚がした。
その日の夜は大きなクッションを抱いてベットに潜り込んだ。どれだけ白い綿を強く抱いても、頭の中にある粘度の高い物体は私を嘲笑するかのように居座り続けた。
どうして先生があんな眼をして私の名前を呼んだのか、とか、どうして私にお金を渡してまで構うのか、とか。最初はそんなことばかり考えていたけれど、どんどんネガティブがもつれていく。最終的に行き着くのはいつも同じ結論。
なぜ私はこんなに自信がないの?
日付が変わってからどれだけの時間が過ぎただろうか。水でも飲もうとキッチンへ向かうと偶然か必然か、引き出しの中にしまい忘れていたものが視界に入る。昨日までは離れることがなかったブルーグレーのマスク。
たかがマスクの色。でもこのブルーグレーは私の味方であり、アイデンティティを表現できる色。
このマスクは私にとってソードだ。
ソードなのであってシールドではない。
だから出し惜しみする必要もない。
牧野さんとの会話とか、周りからバカにされるのが怖いとか、私のイメージに合うようにしなければとか、先生の哀しい眼とか。
「もう少し、シンプルに考えてもいい・・・?」
キッチンのシンクに置いたままのコップ。その外側についた水滴はひとつ、またひとつとその流れに身をまかせていった。
「おはよー」
「おはよう、牧野さん」
「あれ、秋元さんのマスク、いつものやつに戻ってるー」
「あ、うん。・・・変かな?」
「ううん、全然。なんか韓国アイドルっぽくてカッコいい系だよねー」
「そうかな、ありがとう」
「あはは、褒めてるんだからもうちょっと嬉しそうにしてよー。でもさ、そのマスクって何色っていうのが正解なんだろーね?」
「・・・ブルーグレー、かな」
牧野さんと「ただの会話」を交わしたあと、教室へと続く階段を無視してそこに向かった。
野球部の朝練の掛け声が響く廊下。
大丈夫。しっかりソードを握っている。
目の前にある扉を、3度。
ノックされた扉が開いたとき、そこに立っている綾音に少し驚いたけれど、同時にホッとしたわ。昨日の夜にたくさん泣いたのがわかる眼は決して寂しくなんてなかったもの。
流石に全てを打ち明けられるわけではなかったけれど、ブラインドを開けた校長室の窓から見えた綾音は。
「・・・少しだけ、柔らかい雰囲気になったかな」
姉さん。綾音が言いたいことをちゃんとぶつけてくれるようになった。向こうで娘を心配しているだろうけど、安心していいんじゃないかしら。
もっとも、私が言えたことではないけれど。
その日は雨が降っているにもかかわらず、青空が広がっていた。虹が見えるかも、なんて子どもじみた期待をした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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