77 魔族とドラゴン
貴族を守る兵士はおらず、リーゼが配置したのは、同じ貴族で令嬢の3人の娘だった。
それすらも、正体を明かさないために全身を覆うフード付きのコートを着させた。
全身を隠した3人の娘は、カビが生えたパンで買収された。
自分を囲むように配置し、リーゼ自身もフードコートで姿を隠した。
まるで黒い塊のように、4人は街中を進んだ。
街の様子を見たかったが、自ら目深に被ったフードのため、多くは見ることができなかった。
だが、リーゼは記憶していた。
街中の雑踏は失われ、商店は閉まり、まるで粗大ゴミのように、人体が転がっている。
もはや動かず、五体が揃った死体はまれだった。
街の中では、たびたびドラゴンの姿が確認された。
ドラゴンを使役できるのは高位の魔族であり、魔族として位が高いということは、強いということだ。
強い魔族ほど、先に倒れていることをリーゼは理解した。
それだけ、ドラゴンが多い。
だが、多くのドラゴンは、人間の破壊された住居跡で、何もせずに昼寝していた。
魔族に従えられていたドラゴンは、従えていた魔族が死んだからといって、怒るでも、復讐するでもないのだろう。
放置すれば、そのうちどこかに移動するかもしれない。
問題なのは、ドラゴンにとって、人間がただの餌にすぎないことだ。
ドラゴンが一頭でもいるかぎり、安心はできない。
街の復興は望めない。
リーゼは、魔族の仇討ちをしようとしているドラゴンを探そうとした。
魔族のうち、将軍に従えられていたドラゴンなら、他のドラゴンにも言うことをきかせられるはずだと思ったのだ。
「ミディレアさん、向こうに」
「あっちは、人間の悪党たちが巣を作っていますよ」
「昔のことでしょう。ドラゴンが見えたの。大きいわ」
「なら、行きたくないです」
「仕方ないわね」
リーゼは、抱えていたカゴの中から、パンを出して渡した。
ミディレアと2人の令嬢が受け取り、ミディレアはリーゼが指した方向に進んだ。
「おい、あれっ!」
4人に向かって叫んだ男がいた。
人間は逃げなかった。
人間たちはまだ、街から出れば魔族の軍に囲まれていると思い込んでいる。
魔族がいなくとも、隠れる場所のない荒地に出れば、ドラゴンに狩られるだけだ。
崩れた壁の内側から、リーゼたちを指差す男がいた。
「どうした?」
「女だ」
「年寄りじゃないのか?」
「4人もいれば、若いのもいるだろう」
「そうだな」
リーゼは、3人に急がせた。
だが、ミディレアを含む3人は、突然ばらばらに、違う方向に走り出していた。
声がした。
恐怖に慄いていた。
「あの人、リーゼ・エクステシアよ!」
ミディレアが、走りながらリーゼを指差した。
「勇者様を殺したのよ!」
別の令嬢が、逃げながら叫んだ。
「全部、リーゼの仕業よ!」
逃げ去る令嬢たちに、男たちは目を向けなかった。
リーゼは、フードを脱いだ。
男たちが怒声を上げた。
「殺せ!」
「子供が死んだんだ!」
「魔族に取り入った女だ!」
男たちは拳を突き上げ、リーゼを取り巻いた。
人間の輪が小さくなる。
リーゼは、コートを脱ぎ去った。
「おーほっほっほっほっほっ! このリーゼ・エクステシアに触れてごらんなさい。生まれてきたことを、後悔させて差し上げますわ!」
「やっちまえ!」
リーゼの精一杯の虚勢も、ロマンス小説の悪役令嬢たちの教訓も、死を覚悟した人間たちには通じなかった。
リーゼに向かって伸ばされた手が、リーゼに届く。
その瞬間、リーゼは目を閉ざした。
人間の男たちに蹂躙される。
唇を噛み、それに耐えるしかないと覚悟した。
硬く目を閉ざした。
その直後だった。
リーゼの頬が熱く火照った。
目を開ける。
男たちは消えていた。
地面に、黒く焦げた塊が転がっていた。
「……えっ?」
振り返る。
リーゼの背後に迫っていた人間たちは、尻餅をついて後ずさった。
「誰?」
「レジィの友人か」
恐れて腰砕けになった人間たちの視線の先には、人家の四階建てに相当する肉体を持った、赤いドラゴンがいた。
近づいていたことに気づかなかった。
それだけ、リーゼも人間を恐れていたのだ。
「ギェールね。レジィは死んだわ」
赤黒い鱗を持ったドラゴンは、リーゼの頭部ほどもある鼻の穴から炎を燻らせながら言った。
「わかっている。レジィとは契約していたのだ。生死はわかる。だからこそ、復讐している」
「ギェール、レジィはそれを望んではいないわ。魔族は、突然死を迎えた。病気なのよ。人間にはかからない、魔族だけの病気なの。レジィも同じよ」
赤いドラゴン、ギェールの瞳が赤く輝く。
「本当か?」
「ええ。私は、死んでいく将軍たちの様子をそばで見たわ。ギェールは見ていないでしょう」
「魔王はどうした?」
「死んだわ。でも、秘密よ」
「……そうか。魔王は、ドラゴンでも殺せない。人間にそれができるはずがない。魔王のところに連れて行け。本当に魔王が死んでいたら、リーゼの言うことを信じよう」
「どうして、ギェールはレジィを死んだことを察知できるのに、魔王の暗黒ドラゴンはわからないの?」
「契約の仕方の問題だ。暗黒のあの方は、魔王に契約ではなく服従させられたのだ」
リーゼには理解できなかったが、ドラゴンたちが魔族に従っているのは、魔王の存在が大きいのだと理解できた。
「私を乗せてくれる?」
「よかろう」
ギェールは言うと、瞬く間に逞しい馬の姿に変化した。
※
リーゼを乗せ、ギェールは王城に駆け込んだ。
馬が入ってはいけない場所まで駆け込んでも、誰も止めようとはしなかった。
仮に、リーゼが背に乗っていなかったとしても同じことだろう。
リーゼが寝泊まりしている寝室に、大きなベッドの上に、魔王の死体はそのまま置かれていた。
まだ死亡して数日であり、腐敗はしていない。
また、魔族の肉体は死後も腐らないと言われる。
生物の死体が腐敗するのは、肉体を喰らう微生物がいるからで、魔族の死体を食べるような微生物はいないとされている。
それほどの強靭な体を持つ魔族の王が、病気で死ぬことは通常考えられない。
だが、魔王は死んだ。
他の魔族の多くと同じように、病気で死んだのだ。
ギェールは、リーゼが借りている客用寝室の扉を蹴り開け、踊り込んだ後、真っ直ぐにベッドに向かった。
リーゼが背中から降りる。
ギェールが馬に擬態した鼻先を押し付けた。
布団を口でくわえ、服ごと剥がした。
さらに匂いを嗅いだ後、ギェールは顔を上げた。
「確かに、魔王は死んだ。ドラゴンの一族と魔族をつなぐ協定も、これで効力を失った」
「じゃあ、人間への復讐はどうなるの?」
「意味がないということだ」
リーゼは、それ以上尋ねることができなかった。
ギェールは言いながら、姿が変わっていった。
リーゼが吹き飛ばされる。
壁に背中をうち、床に倒れた。
その壁が、吹き飛んだ。
決して狭くはない室内だが、ギェールは馬型から、本来のドラゴンに戻っていた。
その体は、今までリーゼが見てきたドラゴン形体のギェールより大きく、魔王の従えていた暗黒ドラゴンと比べても遜色ないものだった。
これが、赤色ドラゴンギェールの本当の大きさなのだろう。
ギェールが本来の姿に戻ったことにより、リーゼの部屋と一緒にいくつかの部屋が吹き飛び、リーゼの頭上には天井ではなく空が広がっていた。
ドラゴンの咆哮が、蒼天に放たれる。
リーゼは横になったまま、解放されたドラゴンを見上げていた。
突風が渦巻き、ギェールが飛び上がる。
すぐに小さな点となった。
ギェールに呼応するように、いくつもの点が集まる。
その中に、真っ黒い点もあった。
遠くで、再びドラゴンの咆哮が聞こえた。
リーゼは、ドラゴンたちにお礼を言われているように感じていた。
「何があった? 突然、どうしたのだ?」
部屋が破壊され、王城の一部が瓦礫と化した。
従う兵士はすでに数人しかいないだろう。
王が顔を出した。
「街を襲っていたドラゴンたちが去りました」
「誠か?」
王が声を裏返す。驚いてもあり、興奮してもいるのがわかる。
魔族が次々に死に、ドラゴンが去ったのであれば、人間の脅威が大きく取り除かれたことを意味する。
「はい。私の荷物の中に、ドラゴン探知の杖があります。それで探ってみればわかるでしょう」
「そうか。では、失礼する」
王が、瓦礫を踏み越える。
「失礼……」
再び王が声をかけた。
リーゼは悟った。
王が誰に声をかけようとしたのか。
どうして言いかけて止めたのか。
リーゼは、自らの身の保全のため、魔王自身が死んだことは秘密にしていた。
魔族が次々に原因不明の死を迎えても、魔王は健在だと言い続け、リーゼに手出しできないようにしていたのだ。
王に見られた。
もはや、隠し通す事はできない。
「リーゼ……いつの事だ?」
「申し訳ありません。3日前です」
「……そうか。そなたの立場を考えれば、責めることはできん。だが、事実は変えられん」
「承知しています」
王は、魔王の死体を放置して去った。
リーゼが瓦礫の中から体を起こした時、全員逃げ去ったと思われていた兵士たちが姿を見せた。
兵士たちに守られるように、主席宮廷魔術師ヌーレミディアの姿があった。
魔王の死体が横たわるベッドを、ヌーレミディアが覗き込む。
優しかった宮廷魔術師は、リーゼに見向きもしない。
「間違いない。死んでいるわ。その娘、牢に」
「はっ」
「ヌーレミディア様……」
宮廷魔術師の女性は、最後までリーゼを振り返ることはなかった。
リーゼはドラゴンが去った時の衝撃で全身を強打しており、まだ満足に動くことができなかった。
兵士たちに縛り上げられ、リーゼは牢に入れられた。




