76 生き残った令嬢たち
3日後、魔王が死んだ。
魔王が死ぬまでの間、リーゼはあくまでも気丈に、困惑する魔王を励まし、魔族の死体を集めて焼かせた。
リーゼは魔王に愛され、その日目覚めると、吐血したまま硬くなり、動かない魔王が隣に横たわっていた。
人間の国の王城に、もはや味方はいない。
魔王とリーゼの部屋には、人払いするまでもなく誰も来なかった。
魔王が死んで、さらに3日が経過した。
リーゼは、魔王の死体をそのままにして、硬く扉を閉ざして部屋を出た。
王城の上階、見張り台に立つと、街でドラゴンが暴れているのがわかった。
「リーゼが、物見の塔に向かうところを見たという報告があった。リーゼ、これが、お前が望んだことなのか?」
背後に立ったのは王だった。
魔王が死んだことは、まだ人間たちは知らない。知らないために、リーゼも自由に歩き回れている。
リーゼは背後の存在を確認すると、再び視線を街に向けた。
「あの大きなドラゴンたちは、魔族の将軍たちが従えていたのでしょう。主人が死に、どうしていいのかわからないのです」
「死んだのは、将軍たちだけではない。下級の魔族兵たちもだ。病気を知らぬとされていた魔族が、次々に死んでいる。何があったのだ?」
「まずは、野放しになったドラゴンたちの対処ではありませんか?」
「どうにもならぬ。もはや、我が国に軍は存在しない。最後の守りも、宮廷魔術師たちに頼るしかなかった。城壁を守っていたのは、女と子ども、それに年寄りだ。ドラゴンが去らぬのなら、破壊し尽くされるだろう」
王がリーゼに並ぶ。魔族が次々に死んでいることは把握しているのだ。
だが、ドラゴンに滅ぼされては同じことだ。
「ドラゴンたちは、魔族と心を通わせていたのでしょう。ドラゴンたちの中に、会話が可能なものがいます。ドラゴンたちが街を破壊し続けるのは、自分の主人を人間たちに殺されたと思っているのでしょう。あそこにいる、赤い鱗をしたドラゴンは、ギェールという名のはずです。話してみましょう」
「リーゼがか?」
「他に、誰がいるというのですか?」
「わかった。護衛をつけよう」
「誰から、私を守るというのですか? 護衛なら、私が護衛に殺されないように、護衛から身を守ってくれる護衛が必要です」
「だが、1人では行けまい?」
「そうですね。私を見た人間たちは、こぞって私を殺そうとするでしょう」
「ならば、どうする?」
リーゼは、胸元に手を当てて考えた。
街の中を1人で歩くのは自殺行為だ。リーゼがどこまで敵視されているのかわからない。
だが、知り合いは全て死んだ。
考えた後、告げた。
「魔法学園の同級生だった、ミディレアさんを呼んでいただけますか? 嫌がるでしょうけど、私を殺そうとはしないはずです」
「ドラゴンをなんとかできると思っていいのだな?」
「説得します」
「それが、可能ならいいのだがな」
王は言うと、背中を向けた。
リーゼは言い添える。
「私と魔王様の部屋には、誰も入れないでください。魔王様の見境がなくなっています。私以外の人間は、すぐに殺そうとするはずです」
「承知した。魔王とは、恐ろしいものだな」
「はい」
実際は、魔王は動かぬ死体である。
だが、それをまだ、知られたくはなかった。
魔族が1人もいなくなるはずの日まで、2日ある。
それを見届けなければ、リーゼは安心して死ぬこともできない。
王が去る。
リーゼは、自然に腹部に手を伸ばしていた。
まだ、何も感じない。
白い世界の女の話では、この中に魔王の子供がいる。
差し出せば、リーゼの命は助かるという。
リーゼはすでに決めていた。
※
2日後、魔族が一人残らず死亡するはずの日、リーゼは庭園にいた。
本来は美しい花で彩られた植物の園だが、手入れが行き届かずに雑草に覆い尽くされていた。
1人で硬くなったパンを口に入れ、ただの水を口に含む。
庭園の雑草をかき分け、すでに懐かしくなった顔が覗いた。
「ミディレアさん、よかった。無事だったのね」
「リ、リーゼ様ぁぁぁぁっ」
立ち上がるリーゼの足元に、ミディレアはへたりこんだ。
特別な能力は持たず、爵位も高くない令嬢だが、立ち回りが上手く友達が多い。
何より、リーゼの味方でいることがより安全だという、稀な判断力を有している。
「ミディレアさん、街の様子を教えて。私は外には出られないから」
「お戻りになるとは思いませんでした。いつ、魔族の軍が押し寄せてくるかと……街はずっと混乱していました。まさか、魔族が次々に倒れるのに、ドラゴンが暴れ回るだなんて、誰も思いませんでした。弱った魔族を、みんなで追い立てました。それを見たドラゴンが怒ったんです」
リーゼはミディレアを立たせ、椅子に座らせた。
硬くなったパンを差し出すと、よほど腹を空かせていたのか、作法すら忘れてパンにかぶりついた。
ミディレアは硬いパンを食べ、生温い水を飲んでから、話し出した。
リーゼは、死んだものと思われていた。
魔王領に向かった馬車がドラゴンに襲われ、警備の老兵たちが全て逃げ帰った。
その段階で、魔族は人間と交渉するつもりはなく、全権大使として送り込んだリーゼと、補佐役のマーベラ、ヌレミア共に殺されてしまったのだと噂された。
その直後、民衆は兵力を失った王族や貴族に向かって反旗を翻した。
貴族は平民から搾取する。それは、外敵から民衆を守る責務を伴っているからである。
魔族に全ての兵力を奪われ、攻められればただ滅亡するしかない人間たちに、もはや階級の意味はなかった。
貴族の使用人たちもほとんどが敵にまわり、貴族は貴族であることを隠して逃げ回った。
門を硬く閉ざし、広い屋敷の中に隠れ潜んだのだ。
魔法学園とて例外ではない。
ほとんどが貴族の子弟である学園は、略奪の格好の標的となった。
ミディレアは、身分の高い貴族ではなかった。
それでも、貴族社会の中で自分の地位を作ろうともがいてきた。
同じような境遇の仲間達と逃げ回り、王城で魔王と一緒にリーゼがいたという噂を聞いた。
門を閉ざしたままの王城にどうやって入るか思案していた時、まだかろうじて信用を失わなかった王の家臣により、発見されたのだ。
「ミディレアさん、一緒に逃げていたというお友達はどこにいるの?」
「……外にいます」
「中に入れて。頼みたいことがあるの」
リーゼの言葉に、ミディレアは返事をしなかった。
リーゼは、テーブルの上にある硬いパンを、全てミディレアに持たせた。
「お任せください」
ミディレアがパンの入ったカゴを抱えて出ていくと、すぐに2人の友人を連れて戻ってきた。
再び、リーゼは貴族令嬢が、粗末なパンを食べる様を見つめることになった。
さっき食べたばかりのミディレアも、懸命にパンを齧っている。
連れてきた2人にも、リーゼは見覚えがあった。
硬くなったパンに、涙を流しながら歯を立てている。
歯が痛むのではない。
それほど、空腹だったのだ。
3人が食べ続け、カゴに入ったパンが空になったのを見計らい、リーゼは尋ねた。
「街ではドラゴンが暴れていると聞いたのだけれど、どうなっているの?」
ミディレアが、指を舐めながら答える。
「はい。魔族がどこに行ったのかわかりませんが、街ではドラゴンが暴れています。人を見つけて、弄んで殺すのが好きみたいです」
「そう。飼い主に似たのでしょうね。人間なんて、敵とは認識できないのだわ。街のひとは、ただ逃げ回っているの?」
「はい。でも、大丈夫です。勇者様が生まれたから、魔王だって倒せるし、魔王が死ねば、ドラゴンもいなくなるって、噂していますから」
ミディレアの友人である貴族令嬢が言った。
「産まれたばかりで、どうやって魔王を倒せるの?」
「わかりませんけど、勇者様なら、魔王を倒せるのでしょう?」
もう1人の友人が、根拠なく言った。
リーゼは答えた。
「産まれたばかりの赤ん坊が、どうやって魔王に勝てるというの?」
「えっ……でも、リーゼ様がいて、魔王が勇者様を……えっ? どういうことなんですか?」
混乱する貴族令嬢を含め、リーゼは3人を見回した。
3人とも、勇者のことを疑っていない。
勇者がいれば、魔王を倒せると思っている。
「私は、魔王の妻よ」
「ひっ!」
3人が一斉に立ち上がった。
背中を向けた。
リーゼは追い討ちをかけた。
「勇者は死んだ。赤ん坊だった勇者は、私の弟だった。私が魔王に差し出し、魔王が勇者を殺したわ」
「ひいゃあぃぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
3人が逃げ惑う。
だが、転んだ。
足元に、芝生がまとわりついていた。
リーゼは、地面に手を触れていた。数少ない、リーゼの魔法だ。
「勇者はいない。でも、魔族もすぐにいなくなる。だけど、ドラゴンを野放しにしたら、結局人間は全滅してしまう。協力して。ドラゴンを止めたいの」
リーゼは、転んだミディレアの耳元に囁いた。




