74 勇者、死す
魔王と将軍たちに遅れて、魔族率いる魔物の群れが王城に到達した。
リーゼは、王城の前庭に急遽造られた四阿で、お茶をいただいていた。
他の人間は侍女だけだ。王と取り巻きの人間たちは、勇者を引き渡すための準備をするという名目で、姿を消している。
魔王は周囲を警戒し、途中で撃ち落とされた6人の将軍たちを除く6人の将軍は、従えるドラゴンたちの世話をしている。
あり合わせの材料だったが、魔王の怪力を披露することで、頑丈な四阿とテーブルが用意され、人間の王の命令で侍女が震えながら給仕をした。
かつて、魔法学園にいたときは、必ず取り巻きの女生徒たちがいた。
リーゼにお茶を淹れた侍女は、できるだけ声をかけられない位置を選ぶように、やや遠くに立った。
「始まったな」
リーゼの直ぐそばで、背を向けて魔王が言った。
「魔王軍が到着しましたか?」
リーゼは、カップを持ち上げ、お茶の表面が波打っているのに気づく。
すぐにカップを置いた。
震えているは、リーゼの手だ。魔王に気づかれてはならない。
「ああ。人間たちの悲鳴が聞こえる」
魔王は、魔王城がある方向を向いてほくそ笑んだ。
魔王は人間たちの決断を待ったが、その間、魔王軍の進軍を止めるとは言っていない。
「王都を滅ぼすのに、いかほどかかりましょうか?」
「そうさな。一昼夜かかるまい。それまでに人間どもが決断しなければ、リーゼの楽しみが減ってしまうな」
「お優しいですのね、陛下」
リーゼは再びカップを持ち上げる。
今度は震えていない。口に運んだ。
味がしない。おそらく、緊張して味がわからないのだ。
「余は王であり、夫である。何より、妻の希望を優先するものだ」
その優しさが、リーゼ以外の人間には決して向けられることはないのだろう。
侍女が下がろうとした。
「どうしたの? どこに行くつもりなの? 私は、何も命じていないわよ」
「ひっ。あの、王がこちらに」
侍女はリーゼを恐れて悲鳴を漏らしてから、王城をふり仰いだ。
一度は下がった国王が、再び配下を連れて王城の前庭を歩いてくる。
リーゼはカップを置いた。
「陛下、結論が出たようですわ。人間の決断次第では……」
周囲を警戒していたはずの魔王は、リーゼに呼ばれることが解っていたようにすぐ後ろにいた。
「うむ。一斉攻撃するよう、将軍たちには命じてある。それと、リーゼは我が懐におるがいい。もし、人間たちが徹底抗戦を選ぶなら、まずリーゼを殺そうとするであろうからな。それに、勇者は成人のまま異世界から呼び出されることもあるという。その場合、戦闘になるやもしれん」
「その場合は、私を守ってくださいますのね?」
「当然だ。もっとも、余がリーゼを守らねばならん事態となれば、人間は1人も生かしてはおかんがな」
「お願いいたします」
魔王は人間を皆殺しにすると宣言したが、リーゼはそれ以上を言えなかった。
リーゼは立ち上がる。
魔王がリーゼを背後から抱いた。
魔王とともに四阿から出る。
王は戻った。だが、連れている人間たちが違った。
「パパ、ママ」
リーゼは呟いていた。
見知っていた。当然だ。
リーゼを産み、育ててくれたエクステシア公爵家の当主と夫人だ。
「リーゼ……」
口を開いた公爵夫人を、王が止めた。
「余が話す。黙っておれ」
「失礼致しました」
王が一歩前に出ると、公爵夫人が腰を折った。
手に何かを抱いている。リーゼの位置からは見えなかった。
「リーゼ、そなたの親か?」
魔王がリーゼの耳元で囁く。
「はい」
「リーゼを苦しめるために連れてきたのであれば、一瞬で殺してやる」
「陛下、少しお待ちください。こうしている間も、人間たちは死に続けております。下手な真似はしないでしょう」
「ああ。そうだな」
魔王がリーゼの髪を撫でた。
リーゼが魔王の腕の中から出る。
危害を加えるつもりはないのだと、リーゼだけでなく魔王も判断したのだ。
「お答えが出ましたか?」
「ああ。リーゼ殿下、もし我らが勇者を引き渡せば、その勇者は真っ先に殺すのだろうな?」
「はい。勇者を殺さないかぎり、魔王軍は止まりません。最後まで戦って死にたいというのなら、それも選択でしょう」
リーゼは言いながら、手を動かした。
『10日間だけ、生き延びる準備をさせてください』
国王も手話で返す。
『準備している』
手話の後、王は口で語った。
「勇者は引き渡す」
「陛下!」
「黙りなさい」
「でも!」
大声を上げたのは、公爵夫人だった。まるで半狂乱の夫人を、公爵本人が宥めている。
2人とも、リーゼの親だ。
リーゼは、眉を寄せた。両親の態度が、理解できなかった。
王が腕を水平に上げた。
体をひらき、横に伸ばした腕で、リーゼの母親である公爵夫人を指した。
公爵夫人が、震えながら首を振る。
リーゼの父である公爵が、妻の背を押した。
「大丈夫、リーゼを信じなさい」
そう囁いたのが聞こえた。
公爵夫人は、何かを抱えている。
意を結したように顔をあげ、リーゼを見る。
母と会ったのは久しぶりだ。
だが、どうしてそんなに必死な顔つきなのだろう。
どうして、リーゼを睨んでいるのだろう。
母は、身重なのではなかっただろうか。
高齢出産となるのを心配していたはずだ。
腕に何かを抱いていた。
「リーゼ……」
母は声を震わせ、腕に抱いたものを見せた。
幼い、まだ目もあかない赤ん坊がいた。
リーゼに見せたのだろう。
リーゼは手を伸ばし、母からその幼い命を受け取った。
「これは……ママの?」
「リーゼ、あなたの弟よ」
「わぁっ……可愛い」
リーゼは赤子を腕に抱いた。
「この子が、勇者だ」
リーゼの隣に立ち、王が言った。
リーゼは凍りついた。
産まれて数日だと思われる赤子は、リーゼの腕の中で安らかな寝息を立てている。
「陛下……どういうことですか?」
予想外のことに、リーゼはただ問い質した。
「召喚の儀式をしたのは、一年前だ。勇者が宿るのに、リーゼの血筋ほど相応しい者はいない。そう判断されたのだ」
リーゼが悪役令嬢を目指す、ずっと前のことだ。勇者は召喚されることが決まっていたのだ。だが、それでは間に合わなかったのだ。
産まれたばかりの弟を抱き、リーゼは国王を睨んだ。
「では! 私に、この子を殺せと?」
「殺したいわけがあるまい! だが、その子を守って、人間が皆殺しにされるのを待つつもりか?」
「でも、私には……」
リーゼの腕の中で、赤子が唇を動かしていた。
乳を飲む夢を見ているのだと、リーゼは感じた。
「リーゼ、勇者がいたのか?」
背後で、がらがらとした声が轟いた。
リーゼは、どうして魔王が、リーゼと人間との接触を嫌がるのか、明確に理解した。
目の前の赤子に比べて、魔族はあまりにも忌まわしく、魔王は穢らわしい。
「リーゼ、辞めて。あなたの弟なのよ」
公爵夫人が必死に訴える。
「余は、リーゼの判断に従う」
王が、全てをリーゼに託した。
「私たちは、リーゼを恨んだりはしない」
公爵が、妻を抱き寄せる。
「リーゼ、どうした?」
再び、魔王が問いかける。
リーゼは赤子を抱いたまま、その場に膝を落とした。
地面に膝をつき、そのままの姿勢で魔王に向き直る。
「陛下、お尋ねいたします」
「申せ」
「勇者はここに。されど、もしこの子を死なせれば、私はもはや、人間とは呼べない畜生となりましょう。それでも、陛下は私を愛してくださいますか?」
リーゼは顔を上げた。
両の眼から涙がこぼれているのを自覚した。
だが、拭わなかった。
視界が霞む。魔王を直視しなくとも済む。
「リーゼ、そこまで余のことを思うか?」
魔王は嬉しそうに笑った。
リーゼは、瞼を閉ざした。
頭の中を駆け巡る。
読み耽ったロマンス小説の悪役令嬢たちに縋る。
「陛下、どうなのですか? 人の皮を被った化物は、魔王の妻としてふさわしいのでしょうか?」
「案ずるな。余に任せるが良い」
魔王の笑み。
公爵夫人の悲鳴。
リーゼの腕の中で、赤子だった存在が、一瞬で肉塊に変わる。
血液が爆散した。
産まれて間もない勇者は、リーゼの弟は、人間の希望は、一瞬で吹き飛び、リーゼに赤い化粧を施し、手の中に肉の切れ端を残した。
リーゼは、背後から首を絞められた。
一瞬で消えた。
リーゼは立ち上がる。
背後に、公爵夫人の死体があった。
リーゼは、肉片を掴んでいた両手をゆっくりと下ろす。
まだだ。
まだ、終わってはいない。
気絶してはいけない。
「陛下、約束です」
「承知しておる。勇者を討ち取った! 殺戮を止めよ!」
魔王の怒号に、ドラゴンを使役していた魔族将軍たちが動きを止める。
飛び立ったのは、魔王軍に戦闘の中止を命じに行ったのだ。
リーゼは魔王の前に立った。
「陛下、現在生き残っている、全ての人間を一箇所に集めてください。私が、全員を殺します」
「よくぞ言った。リーゼ、頼むぞ」
魔王は笑う。
リーゼであれば、魔族の全てが納得するように人間を皆殺しにするのだと、期待しているのだ。
リーゼは頷いた。
国王と父である公爵を振り返る。
2人とも、青い顔をしていた。
公爵は、妻の亡骸を抱いていた。
「魔王に命じられるか、王として責任を果たすか、選びなさい。私の言ったことは、聞いていたわね?」
「リーゼ、本当に、これでいいのか?」
王の問いにリーゼは答えず、背後の魔王に寄りかかる。
魔王のしっかりとした体つきに、この時だけは安心感を覚えた。
意識を失ってはいけない。
リーゼの目覚めを待たず、魔王は人間を殺すかもしれない。
だが、リーゼにとっても限界だった。
魔王の腕の中で、リーゼは視界が暗闇に覆われるのを感じた。
人間の滅亡予告日当日
魔族が滅びるまで10日




