7 悪役令嬢見習い、ヒロインを虐めたと誤解される
魔法学園の昼休みは、貴族たちの社交場の訓練も兼ねていると言われており、2時間たっぷりと取られる。
朝の出来事以降、リーゼは落ち込んだまま、昼食時間には友達に囲まれていた。
「どうして私、あんなことを言ってしまったのでしょう」
「リーゼ様、たかだか平民の娘に言ったことなど、お忘れになって」
昼時である。
いつも優しく接してくれるミレディアという下級貴族の娘が、リーゼにお茶を勧めた。
暖かい湯気があがったティーカップが、リーゼの心に潤いをもたらした。だからと言って、簡単に割り切ることもできなかった。
「ええ。だけど……」
「ラテリア様もラテリア様です。リーゼ様という立派な婚約者がいながら、あんな平民の娘に気安く声をおかけになって」
「それは仕方ないでしょう。ラテリア王子も男ですもの」
憤慨するミレディアを諌めたのは、大魔導師を母に持つヌレミアだった。
ヌレミアの目が、やや濡れているように見えた。
「そうね」
リーゼはつぶやくように言うと、ティーカップを口に運んだ。お茶以外のものは口にしていなかった。食事が喉を通るような心境ではなかったのだ。
ヌレミアが、訳あり気味にリーゼの隣の席に腰掛けた。
「リーゼ様……昨日のこと、覚えていらっしゃいます? 約束、とまでは申し上げませんけれど」
ヌレミアが、淑女としてはややはしたなく背中を丸め、上目遣いでリーゼを見上げた。
助かるべき人間のリストが作られているのではないかという噂を、昨日はしていた。ヌレミアは強力な魔力の持ち主を母に持ち、爵位も高い令嬢である。
そのヌレミアまでも、助かるために必死にならざるを得ないのだろうかと、リーゼは不安になった。
あえて答えずいたところで、ミディレアが口を挟んだ。
「お二人とも、なんですか? 昨日のことって」
ミレディアに微笑み、リーゼはカップを置きながら答えた。
「いずれわかるわ。それに、ヌレミアさんなら、私なんかに頼らなくても、母上がご立派な方ではありませんか」
「娘に優しい母ではありませんの」
ヌレミアが俯く。
三人がいたテーブルの前を、少女が通り過ぎた。
何気ない足取りだった。
ただ、リーゼを一瞥した。顔色が変わった。
「あなた」
「ご、ごめんなさい」
リーゼが立ち上がると、朝リーゼに罵倒された庶民の娘は、慌ただしく走り去った。
「リーゼ様、相手にする価値のある娘ではないと思います」
「でも、あの態度は生意気ね」
顔を伏せていたヌレミアが吐き捨てる。大魔導師の娘は、テーブルの上で握りこぶしを固めていた。
※
学園の講義が終わり、リーゼは昨日訪れなかった教会の礼拝堂に足を運んでいた。
2日前までは、人間の勝利を祈り続けた。
今日は違う。人間はすでに敗北し、その事実を変えることはできない。
信仰を失ってもおかしくはない。
実際、現在のリーゼに教会で祈るだけの信仰心があるかといわれれば、微妙だった。
ただ、リーゼの目的は特別だったとも言える。
リーゼは、教会の正面に掲げられた女神像に語りかけた。
「私は、どうすればいいのですか? 私が起きている間は、話しかけてはくださらないのですか?」
リーゼが見ている女神像と夢に出てくる女性が、同一だという保証はない。
だが、夢の中で女は言った。『昨日は会いに来なかった』と言ったのだ。
少なくとも、教会に関わりがある存在に違いない。
この時は何も聞こえなかった。
リーゼは無心に祈り続けた。
「やはりここにいたか」
どれほどの時間が経過していたか、リーゼにはわからなかった。無心に祈り続け、礼拝堂の扉が開いたことにも気づかなかった。
リーゼは、無心に祈り続けていた。
祈りは破られた。意識しなくとも、ごく自然に声の主に気がついた。
リーゼの婚約者、ラテリア王子だ。
リーゼは祈りの姿勢を崩さなかった。
朝、ラテリア王子に腹を立て、平民の娘と仲良くしているのを嫉妬した。
今まで、抱いたことのない感情だった。
どんな顔でラテリア王子に会えばいいのかわからなかった。ラテリア王子が、今のリーゼをどう思っているのか、知りたくなかった。
「カレンが怯えていたよ。ちゃんと謝罪するように言ったのに、昼休みにも脅したんだって? リーゼらしくないじゃないか。どうして、そんなことをしたんだい?」
リーゼは、祈りの姿勢を崩さなかった。
「カレンとは、誰のことですか?」
「知っているだろう。いや……知らないのかい? リーゼにとっては、つまらない存在かもしれないな。だが、光の聖女となる資質を見込まれている。リーゼ……彼女は、人間が生き残るのに必要な存在なんだ。わかっているだろう。あるいは……」
ラテリア王子は言葉を切った。リーゼが祈りの姿勢を崩した。立ち上がる。
ラテリアを見つめた。
「『あるいは』どうなされたのですか? どうぞ、続きをおっしゃってくださいな。ラテリア様」
「いや。言いすぎた。とにかくリーゼも、もっとカレンと仲良くしてほしい」
ラテリア王子の表情は、真剣そのものだった。
リーゼは、小さく頷いた。
「平民であることが引け目にならない……いえ、それどころか、貴族であることが関係ない時代が来る。そう思っているのでしょう?」
「……そこまでは言わない。だが……」
「ええ。あの子と仲良くできるよう、頑張ってみるわ」
「ありがとう、リーゼ」
ラテリア王子は、リーゼの肩を叩いて出て行った。
この日は、夢を見なかった。
人間の滅亡予告日まで99日
魔族が滅びるまで109日