69 魔族の証明
魔王城の地下にあるはずの空間は、広く、冷たかった。
魔法の灯りにより、暗くは感じない。
リーゼが中に入ると、周囲で光る殺風景な部屋は、なぜか足元だけが見えなかった。
まるで空中に踏み出そうとしているかのような不安に躊躇していると、レジィがすかさず前に移動した。
レジィに先導され、リーゼが後に続く。
背後にはシャギィが続いた。
レジィが時折振り返る仕草や、シャギィがリーゼの真後ろに位置していることから、本来は歩ける部分がかなり狭いのだろうと感じた。
途中でレジィが止まる。
何事かとリーゼが止まろうとすると、レジィはリーゼの手を肩に乗せさせ、移動を再開する。
道が曲がっていたのだ。
「道を外れると、転落するの?」
「それだけですめばよろしいですが」
レジィの声は真剣だった。
落ちれば命の補償はない。それだけの重要な物が、保管されているのだろう。
しばらく歩き続け、ただの広い空間だというのが、見せかけであることを理解した。
現在位置はわからない。1人では戻れない。
レジィの頭越しに、捻れた角を持つ逞しい魔族が見えた。
魔王だ。
手にぶら下げているのは、見たことのる光の聖女だった。
「おお、リーゼ。来たか」
魔王は実に嬉しそうな声を出し、カレンを掴み上げたまま、腕を広げた。
歓迎のつもりなのだろうが、頭部を掴まれてぶら下げられていたカレンは悲鳴を発した。
魔王の前まで来て、レジィが下がる。
リーゼは魔王の前で優雅に膝を折った。
「リーゼ、あんたからも説得してよ! 私はパパの娘よ。結婚したなら、リーゼの義理の娘になるわ。ちょっとぐらい悪く言ったからって、死罪にするなんてやりすぎよ!」
リーゼは事情を理解した。
魔王の居場所を聞いて、カレンと一緒にいるという情報を得たが、どういう事情でカレンが魂を搾り取られることになったのか、リーゼは知らなかった。
カレンは、魔王の前で魔王の妻となったリーゼを悪く言ったのだろう。
カレンにとっては、魔王は父親だ。
後妻の悪口を言いたくなるのは理解できる。
だが、魔王はカレンが娘の魂を持って人間として生まれたことを信じていない。
リーゼに対する悪口に腹を立て、娘だというのが本当かどうか、肉体から魂を追い出してみることにしたのだ。
魔王城の地下には、本物の魔王の娘が、死亡直後の状態で保存されているのだ。
魔王の背後には、これまでにも何度か会っている、魔族の研究者たちが3人控えていた。
「魔王様、私の悪口を言ったぐらいで……」
殺すのはやりすぎだと言おうとしたリーゼは、言葉を失った。
リーゼが話しだした途端、魔王が眉間に皺を寄せてリーゼを凝視したのだ。
まるで、リーゼが何者なのか分からなくなったかのようだった。
リーゼは思い出した。
魔王が脱皮までして結婚したかったリーゼは、深層の令嬢ではない。
「おーほっほっほっほっ! いい格好ね、カレンさん」
リーゼが高笑いを上げると、魔王はにこりと笑った。
「リーゼ、事情は全部知っているでしょう! 助けてよ!」
「ええ。存じていますわよ! 私が婚約していたラテリア王子を奪いましたわね! しかも、ラテリアが勇者だと言い張って、魔族に歓迎されると息巻いていましたわね」
「……ほう」
リーゼの言葉に、魔王はカレンを持ち上げて眺め回した。
「う、恨んでいるの? だ、だからって、殺すの? 私は、リーゼの義理の娘になるのよ」
「それが本当かどうか、証明しようというのでしょう? 違いまして」
「いや。違わん。リーゼの言う通りだ」
魔王は言うと、カレンを掴んでいないほうの腕を振るった。
闇が祓われ、何もないと思われていた空間に、半透明の水晶体が出現した。
直方体の水晶の中に、茶色い肌をした、魔族の死体が保管されていた。
魔王が手を離す。
水晶に閉じ込められた魔族の上に、人間から光の聖女と讃えられたカレンがへたり込む。
「ま、待って。お願い。パパ、は、博士のたちの話を聞いて。こんな方法で、魂が元の肉体に戻るはずがないでしょう?」
カレンは、魔王に訴えた。
魔王の背後には、博士と呼ばれる年老いた魔族が3人控えていた。
「どうなのだ?」
「研究の結果、実際に試さなければわからないという結論ができました」
「何それ! ちゃ、ちゃんと検証しなさいよ。理論立てて、完璧な方法で、私を戻してよ!」
カレンが絶叫する。リーゼは、大ぶりの剣を手にした魔王に告げた。
「実証と検証の二つが、進歩には必要だと聞いたことがあります」
「……ほう。つまり、どういうことだ?」
「リーゼ、許してくれるの?」
リーゼの言葉には、魔王は冷静に耳を貸した。
カレンは、リーゼの言葉の意味を理解せずに希望を覗かせた。
「実際にやってみて、その結果から原因を探るのです。特定した原因が正しいかどうか、再び実際にやってみることが重要です」
「ふむ。どうだ?」
魔王が博士に尋ねる。
「リーゼ様のお言葉は、至言といえましょう」
「では、やってみるか」
魔王が大剣を振り上げた。
リーゼの言葉の意味を理解したカレンが慌てた。
「ま、待ってよ。ね、ねぇ、リーゼ、私が悪かったわ。全部謝る。ラテリアはもう死んじゃったけど、償いはするわ。私が死んだら、償いはできないでしょう。ねっ、私は役に立つわよ」
カレンが引き攣った笑顔を見せた。
心が壊れかけているように見える。
必死でリーゼに笑いかけ、体を震わせていた。
「カレン、どうしてそこまで抵抗するの? 魔王の娘に戻れるチャンスじゃない。もう、魔族の救世主として崇められる未来はこないのだから、いっそのこと、試してみたら?」
「あの、リーゼさん?」
「なに?」
カレンがひひひっと笑いながら、水晶の箱にへばりついてリーゼを見上げた。
「私に、『死ね』って言っているの?」
「あなたの望みだったはずでしょう?」
「ち、違うわ。私は、こんなこと望んでいない。だって……ま、魔族の姫よ。あの魔族の、高貴な姫よ」
「ええ。それがどうしたの?」
「魔族の宴がどんなものか、リーゼはもう知っているでしょう。私は、生前は姫として、全魔族の戦士たちと、否応もなく関係したのよ。でも、ママは人間だから……私の扱いに反対して、自害したわ。戻れたって、戻りたくないのよ。この、人間の体のまま、パパの娘として迎えられるって思っていたの。リーゼ、リーゼさん、リーゼ様……私は、前世の記憶があるだけの人間よ。リーゼ様も魔法が使えるんだもの。前世のどこかで、魔族だったかもしれないわ。ねっ、仲良くしましょう? 私たち、きっと友達になれるわ」
カレンが手を伸ばした。リーゼが手を差し出すと、カレンはリーゼの手にすがりつき、唇を押し当てた。
「リーゼ、そなたが望むのなら、生かして仕えさせてもよいがな。元々、リーゼに対する不敬のため、殺すことにしたのだ」
リーゼはカレンの手を払い、魔王の前に膝をついた。
「では、侍女としてお与えださい。ただし、元の肉体には戻りたくないそうです。陛下の娘である魔族の姫の亡骸を、処分してください」
「よかろう」
魔王が大剣を振り下ろした。
カレンが上に乗ったままだ。
カレンは動かない。
ただ、下の水晶だけが切り裂かれた。
魔王の剣が鋭すぎ、カレンは一度切られたことに気づかずに癒着し、再生することができない水晶が破壊された。
腰を抜かしたカレンが、崩れる水晶とかつての自分の肉体を掻き分けるようにリーゼに縋り付く。
「陛下、失礼いたします。カレン、立ちなさい。置いていくわよ。レジィ」
「承知しました」
魔族将軍レジィが、リーゼに帰り道を示した。
人間の滅亡予告日まで14日
魔族が滅びるまで24日




