68 残された課題
リーゼが魔王と結婚してから、7日が経過した。
リーゼは、エリザの手を借りて着替え、シャギィが運んできた朝食を摂っていた。
「リーゼ奥様」
カップにお茶を注ぎながら話すエリザの声に、リーゼは微笑んだ。
「奥様と呼ばれる日が来るとは思わなかったわね」
「何をおっしゃいます。リーゼ様が幸せになれないはずがございません」
エリザが言うと、隣でリーゼが食べられるサイズに魔獣の肉を刻んでいたシャギィも頷いた。
「ヌレミアさんも、マーベラさんも、死んだのよ。私だけが幸せになれるはずがないわ」
リーゼは、数十日前に見た夢を思い出していた。
リーゼが悪役令嬢になることで、人間は滅びの運命から免れるかもしれない。
だが、それはリーゼが幸せになることを約束するものではない。
白い世界の女は、はっきりとそう言ったのだ。
「そんなこと仰らずに」
「いいのよ、それは。魔王陛下のことを何も知らずに、嫁いでしまったのだもの。貴族世界では当然のことでしょうけど、種族がこれほど違うのよ。ただ幸せになれるはずがないわ。それより、私にそんなことを言いたかったわけではないでしょう? エリザ、何が言いたかったの?」
「そうでした。魔王城の宴が終わったそうです」
「そうなの?」
リーゼが問い返すと、リーゼの皿に魔獣の肉を取り分けながら、シャギィが言い添える。
「はい。通常100日続く宴が、7日で終わったのです。これは、魔王様のご指示によるとか。これも、リーゼ様のお力ですね」
「そんなはずはないでしょう。私は、この部屋から出ていないのだし」
7日の間、魔王が夜に訪ねてきた。
魔王自身の部屋だが、日中はずっと宴に出ていたらしい。
朝までリーゼを愛で、再び宴に戻って行くのだ。
「いえ。魔王様は、リーゼ様とできるだけ長く一緒にいたいから、リーゼ様が参加しない宴を終わらせたのだと噂になっています。正に、リーゼ奥様のお力です」
シャギィは素直に褒め称えている。
全身が緑色の侍女は、数日前より大きくなっていた。回復しつつあるのだろう。
「宴が終わると……次に何が始まるの?」
「平和になるのでは?」
エリザが楽観的に答え、シャギィは平然と裏切った。
「延期されていた計画を実行するのではないでしょうか」
「『延期されていた計画』って何?」
聞かなくともわかった。だが、あえて尋ねた。
「人間の街を完全に滅ぼします」
無邪気にシャギィは答えた。
リーゼがカップをテーブルに置いた。
叩きつけたつもりはなかったが、器がぶつかる激しい音が響いた。
「リーゼ奥様、どうなさいました?」
「魔王陛下と話をしなければいけないわ。シャギィ、陛下のいる場所はわかる?」
リーゼが問うと、シャギィは小さく頷いた。
「現在は、カレンと呼ばれる人間の部屋です。もう一人の私が近くにいますから、見えています」
「案内して」
「はい。でも……陛下は移動していますね。これは、地下でしょうか」
「奥様、危険ではありませんか?」
エリザが心配して尋ねた。
だが、リーゼは首を振る。
「シャギィ、地下に向かった陛下と、カレンは一緒にいるのね?」
「はい。間違いありません。魔族の女でしたら、荷物のように軽々と持ち運ばれはしないはずです」
魔族特有の感想を口にする。つまり、カレンは荷物のように運ばれている。
リーゼは立ち上がった。
「カレンを連れて地下に行ったのなら、目的は一つでしょう。カレンはきっと、陛下を怒らせたのよ。カレンが元の肉体に戻るかどうか、陛下は強制的に試すつもりなのだわ」
「……『試す』ですか?」
疑問を口にしたエリザに、リーゼは頷く。
「カレンの肉体から、魂を絞り出すのよ。シャギィ、私を連れて行って。もしくは、私が一緒に行きたいと言っていると、陛下に告げて。シャギィの分身が、陛下のそばにいるのでしょう」
「承知しました」
シャギィは言いながら、まだ食べかけの魔獣の肉をリーゼに勧めた。
さすがに、魔王に止められたら、行くことはできないだろう。
シャギィが大きな黄色い目を閉ざした。
集中しているのだ。
しばらくして、目をあけた。
魔王城の料理人の腕は、リーゼが来てから飛躍的に向上していた。
ヌレミアとマーベラの専属だった侍女たちが、厨房に入っているらしい。
リーゼは魔獣の肉を噛み千切った。リーゼに噛み千切れるほどに、柔らかく調理されているのだ。
シャギィが目を開ける。
「リーゼ様が同席されること、陛下は喜んでいます。すぐにご案内します。ああ……レジィ将軍が迎えに来るそうです」
「わかったわ。ありがとう」
「もったいないお言葉です」
リーゼは立ち上がる。
シャギィが控えた。
同時に、魔族将軍である赤鬼族のレジィが扉を開けた。
立ち上がったリーゼの前に、堂々とした振る舞いで片膝をついた。
「王妃殿下、レジィ将軍、お迎えに参上いたしました」
魔族の中で数少ない友達だったレジィが他人行儀に言ったことで、リーゼは若干の寂しさを噛み締めた。
だが、祭り上げられるのなら、それに相応しく振る舞わなくてはならない。
リーゼはエリザに留守番を命じると、レジィに言った。
「ご苦労様。案内を頼むわ」
「承知いたしました」
人間をただの快楽で殺害し、悲鳴を上げさせるのを無常の喜びとするレジィが、リーゼに深々と頭を下げた。
※
すでに、リーゼは魔王の妻である。
魔王城の中で立ち入れない場所はないはずだ。
魔将軍レジィに先導され、背後に魔族の侍女シャギィを従え、リーゼは今まで踏み入れたことのない地下に、緩やかな螺旋を描いた階段を降り続けた。
「レジィ、宴はどうでしたか?」
リーゼが尋ねると、魔将軍は態度を崩さず、だが少しだけ口の端を吊り上げながら言った。
「リーゼ様のお陰で、盛り上がりました。楽しかったです」
「それはよかったわ。レジィ自身の結婚は?」
案内しながら、レジィが振り返る。
「魔族は普通、しませんよ。だから、好きな相手と好きなだけ子どもをつくるんです」
「教育は? 子どもを女だけで育てるの?」
「いえ。産み落とした子どもは、その変に転がしておけば、勝手に育ちますよ」
「犬や猫だって、お乳をくれるわよ」
「魔族は、犬や猫ほど弱くありません。それに、魔族の女の乳にむしゃぶりつくのは、魔族の女より強い奴の特権です」
リーゼが振り返る。シャギィが首を振る。
レジィの価値観が、全魔族に共通のものではないようだ。
「魔族は結婚しないの?」
レジィに聞かれるとややこしくなると思ったリーゼは、シャギィに囁いた。
「はい。よほど特別な立場の方だけです。魔王様が代表ですが」
「誰とでも、適当に子どもを作って、産み落として放置するの?」
「間違ってはいないかと。あっ……魔王様の奥様は別です。リーゼ様と子どもを作ろうとすれば、魔王様に制裁されることがわかっていますので」
「……ひょっとして、私は魔王様に、かなり特別扱いされているのかしら?」
リーゼは、魔王の妻となった。
魔王の言葉から、いかに大切にされているのかはわかっていた。
どうやら、それは魔族の世界では異常なようだ。
「はい。間違いありません。リーゼ様は、悪役令嬢ですから」
シャギィの言葉に、リーゼは固まった。
「『悪役令嬢』って、どこから聞いたの?」
「えっ? リーゼ様の持ち込んだ人間の聖典を、魔族の博士たちが解読して、解釈が不明な部分を……確かエリザさんに尋ねたのではなかったでしょうか。その結果、リーゼ様こそが、本物の悪役令嬢だという結果になりました」
リーゼは額を押さえた。
「うん。わかった。ありがとう」
エリザは、ほとんど魔王城の中を歩いていない。
リーゼに与えられた部屋から出ないのだ。
だが、そのためにエリザの影響力が大きくなっている。
リーゼのことを知るためにリーゼの部屋に行けば、エリザが必ずいるという環境が出来上がっている。
悩むことではない。
魔族がどう誤解しようと、瑣末なことだ。
リーゼは、後でエリザに何を言ったのかを問いただそうと思いながら、階段を下る。
「リーゼ様、この先に魔王様がいます」
レジィが足を止めた。
階段が終わり、重そうな扉が道を塞いでいる。
「シャギィ、魔王様はお許しになっているのよね?」
「はい。リーゼ様をお待ちです」
今も、シャギィの分体は魔王と共にいるのだろう。
シャギィの答えに、レジィも頷いた。
レジィが扉を押すと、軋みを上げて扉が開いた。
人間の滅亡予告日まで14日
魔族が滅びるまで24日




