67 結婚式の後で
リーゼは、大きなベッドの上で目覚めた。
ベッドには、見覚えがあった。
寝たことはなかった。
魔王の寝室だ。
魔王城に初めて訪れたとき、通された場所だ。
魔王と語り、結果的に求婚されることになった場所だ。
リーゼは、室内に充満する血の匂いに鼻を塞いだ。
「お嬢様、起きられましたか?」
聞き知った声だった。
専属の侍女、エリザだ。
人間最後の国ゴルシカ王国から、ずっと一緒だった最後の存在だ。
部屋は暗い。
窓から微かに光が漏れ入ってくるため、かろうじて物は見えた。
自分が、魔王の寝台の上にいることはわかっていた。
「ええ。エリザ、あなたは結婚式の様子を見ていたの? 結婚式と呼ぶのも悍ましい……ごめんなさい。聞かれているかもしれないわね」
「ご安心ください。リーゼ様、今日は魔王もそのような余裕はないはずです。リーゼ様のお力で、魔王は若返りました。魔族すべてが盛り上がり、大宴会となっています」
エリザの言い方に、リーゼは自嘲気味に笑った。
「私の力、ではないわ。私は何もできなかった。目の前で……マーベラさんが魔王に食べられても、何もできなかった」
言いながら、思い出した。
絶命するマーベラの肉を、生きたまま貪り食う魔王の愉悦の表情が脳裏に浮かぶ。
リーゼは顔を伏せた。
血の匂いがした。
リーゼは、全身にねっとりとした血をまとわりつかせていることを理解した。
考えるまでもない。マーベラの血だ。
「私は、あの広間には入れませんでしたが、リーゼ様が入ってから、扉が開いたままだったので、遠くから見ていました。リーゼ様のお力です。魔王は、いえ、魔族は、年老いた後、極限まで興奮すると脱皮することができると、近くにいた魔族たちが話していました。ほとんどの魔族は、そのような相手に巡り合わず、脱皮できないまま年老いて死ぬそうです。でも、リーゼお嬢様はやり遂げました。魔王を若返らせました。もう、リーゼ様が正妻であることを疑う者はおりません」
リーゼは、まだ乾いていないマーベラの血の状態から、気絶して数時間も経過していないだろうと推測した。
「『極限まで興奮する』ね……私の何に興奮したのかしら?」
「魔族ですから、血まみれのお姿ではないでしょうか?」
リーゼは言われて、自分が魔族の花嫁衣装と教えられた、ごく小さな下着のような服しか身につけていないのに気づいた。
その上から、シーツで巻かれていた。
思い出した。
リーゼは、自ら人間の花嫁衣装を、破り、脱ぎ捨てたのだ。
「けど、魔王を若返らせちゃったらダメじゃない」
リーゼは笑った。笑えたのは、リーゼが正妻として認められたからだ。
もともと、魔王を老衰で殺そうとは思っていない。
「私は、途中で気絶してしまったわ。流石に、耐えられなかったのよ」
「ええ。無理もありません」
言いながら、エリザは手ぬぐいを渡してくれた。
リーゼが自ら、体に纏った血を拭う。
「その後で、どうなったの? 魔王のことだから、気絶した私を見せ物にしたのかしら?」
「いえ。魔王は、魔族全員にリーゼ様を讃えるように命じ、リーゼ様のお体をシーツで隠し、自らこの部屋に運びました。その後で、盛り上がる魔族たちの宴会に合流しました」
「……そう。では、レジィやシャギィも宴会かしら?」
エリザは、扉がある方向に視線を向けた。
「魔将軍レジィさんは、立場がありますから宴会です。ですがシャギィさんは……一人は宴会ですが、一人はリーゼ様に付き添うよう魔王に言われていました。もともと一つの体だったので、しばらくは感覚を共有できるとか」
「便利な体ね。魔族の心配を人間がするものではないわね。なら、シャギィを呼んで。聞きたいことがあるの」
「承知いたしました」
エリザは、体を隠すためのゆったりとしたローブを置いて下がった。
リーゼは、全身にこびりついた血を拭うこともせず、ローブに袖を通す。
シャギィが入ってきた。
「魔王陛下が脱皮に成功し、リーゼ様が正室となったこと、心からお喜び申し上げます」
まだ、以前の半分ぐらいしかない小さなシャギィが、部屋に入るなり膝をついた。
「ありがとう。少し、聞きたいことがあるの。近くに来て。話しづらいわ」
「はい」
シャギィは、膝をついたまま器用に近づいてきた。
リーゼは気にせず問いかける。
「私たちは、これから初夜を迎えるわ」
「はい。おめでとうございます」
「私は初めてを捧げるけど、魔王は違う。それは承知しているわ」
「はい」
「私はどんな態度で魔王を迎えればいいのか知りたいの。たとえば、この血は綺麗に拭いたほうがいいの? ひょっとして、血で汚れたままの方が、魔王は興奮するかしら?」
真面目な問いだった。ロマンス小説の多様な知識が、リーゼに様々な憶測をさせていた。
シャギィは考え込んだ。
「魔王様は前妻を亡くされてから、誰とも共寝はしていないはずです。魔王様より古い魔族でなければ、真相はわかりません。ただ、推測ですが……もし奥様を綺麗にするなら、魔王様がご自身でなさりたいはずです」
「わかったわ。ありがとう」
リーゼは言うと、シャギィに下がるよう命じた。
ベッドに横になる。
あまりにも壮絶な光景を見たばかりであり、自分の夫となる存在のことも知った。
リーゼはもはや迷わず、どうどうと魔王の寝台に横になった。
※
横になり、血にまみれたまま眠った後、リーゼは目覚めた。
シャギィの片割れとエリザの助けで、湯を浴びた。
魔王がいつまでも来なかったからだ。
「花嫁を放置して、魔王は何をしているのかしら?」
「宴です。魔王様の婚礼でしたら、100日続いても不思議はありません。魔族たちは、魔王城に集められてから、何日も待たされていたのです。将軍たちも、満足するまで騒ぎたいのでしょう」
結局自分でマーベラの血を洗い流し、さっぱりとした身なりになったリーゼの問いに、シャギィが答えた。
エリザは、リーゼの髪を整えている。
「……100日ね。それはよかったわ。みんな、楽しんでいることでしょうね」
リーゼは、本心で言った。
本当にそれだけの間宴が続くのであれば、リーゼが宣告された人間の滅亡日を簡単に通り過ぎるだろう。
まだ、20日以上の時間がある。
「はい。ですが、魔王様はそこまで宴に加わらないはずです」
「どうして?」
100日間も宴を続けるということだけで、魔族の体力を知ることができる。
若返った魔王が、それに耐えられないとは思えない。
「魔族は食べ物を奪い取って調達します。魔法でも作れますが、魔族が食欲に任せて宴会を行えば、食べ物はすぐになくなってしまいます。その後のことは……男も女も、薄着ですから」
「……まさか……」
「おそらく、お嬢様のご想像通りなのでしょう」
エリザが、嫌悪感を隠さずに口を挟んだ。
リーゼは立ち上がる。
「お嬢様、どうなさるのですか?」
「私の夫となる者が、そのような汚れた宴に参加しているなんて、不快だわ」
「リーゼ様、落ち着いてください。まだ、宴会の食べ物はあるはずです。3日は大丈夫です」
「残りの97日間、魔族は爛れ続けるの?」
「はい」
リーゼの言い方がおかしかったのか、シャギィは笑いを噛み殺しながら答えた。
「それが始まる前だから行くのよ」
「……なるほど」
納得したシャギィを連れて、リーゼは魔王の寝室を飛び出した。
「リーゼ、目覚めたか。待っていた」
扉を開け、飛び出した直後のことだ。
魔王の胸の中に飛び込んだ。
まるで、扉の前でずっと待っていたかのようだ。
「まさか、扉の前でずっと待っていたの?」
「ああ。当然だ」
「この部屋は、陛下の寝室ですよね」
「これからは、余だけの寝室ではない」
魔王は笑った。
若返りはしても、魔王である。
迫力は衰えず、生気に満ちていた。
「だからって、外で待つことはないわ。二人の寝室なら、私にも遠慮しないで」
「承知した。これからは、そうしよう」
魔王は言うと、リーゼを片手で抱き上げた。
あらためて寝室の扉を開ける。
「陛下、宴はよろしいのですか? 主役でしょう」
「いや。主役はそなただ。宴に残ることは、将軍たちが許さなかったのだ。『とっとと、あの素敵な人間の女を、物にしろ』とな」
「言い方が、最低ですわ」
「ならば、どう言えばいい?」
寝室に入り、リーゼは抱えられたまま移動した。
ベッドに下ろされる。
「人間ならば、こう言いますわね。『女の一人も満足させられない奴は男じゃない。さっさと、男であることを証明してこい』って」
「挑発しているのか?」
「私には、その資格がありませんの?」
「いいや。受けて立つ」
魔王は言うと、リーゼの唇を奪った。
リーゼはこの日、魔王と結ばれた。
人間の滅亡予告日まで21日
魔族が滅びるまで31日




