64 衣装の意味
リーゼは、無断で部屋に入ってきたカレンを睨みつけた。
「明日、嫁ぐ私が『いい身分』なのは当然でしょうね」
「ラテリアは死んだわ」
単刀直入に、カレンは言った。
「ええ。そうでしょうね」
「あんたが殺したのよ!」
カレンが、リーゼを指差した。
「違うわ」
リーゼは、明日の衣装を丁寧にたたんでしまったエリザからお茶を注がれながら返答した。
「私の婚約者を殺しておいて、自分は幸せになるつもり?」
「そう見えるの?」
カレンの髪は乱れ、衣服は魔族たちが好んで着る、肌の露出が多いものだった。
胸や腰回りといった大切な部分は隠れているが、手足の大部分、腹回りは剥き出しだ。
魔族であればこそ、その服が似合うのだとわかる。
魔族は、肌の色は様々で、食べたものはすべて筋肉に変わるようだ。
太った魔族は見たことがない。
リーゼがこれまで紹介された魔族のうち、高位の魔族ほど、肥大した筋肉の塊だった。
カレンの肉体は人間である。
光の聖女と呼ばれ、人間にしては稀有な光と闇の魔法を操る。
だが、腹回りはぽっちゃりとしていた。
「私は……ラテリアが勇者であることを証明して、魔族の危機を救うはずだった。そのラテリアが、簡単に死ぬはずがない。あんたが裏切ったんだ!」
「裏切ったのはラテリアだわ。そして、裏切らせたのはカレン、あなたでしょう。もう昔のことよ。カレン、あなたが言う魔族の危機なんて、本当に訪れるの?」
カレンは髪をかきむしり、悔しげに地団駄を踏んだ。
「なら、どうして私が目覚めたんだよ」
「あなたがいなければ、私は魔王領には来なかったかもしれない。カレン、あなたの魂が目覚めたのは……私を魔王様に嫁がせるためではなくて?」
「そんなはずが……いや、そうか。そうかもしれない。お前こそが、魔族を滅ぼす原因なんだ。お前がいるから、私は目覚めた。正体を見せろ! お前は、魔族を滅ぼすつもりなんだろう!」
カレンが飛びかかる。
「きゃあ! これ以上怪我をしたら、また結婚式が延期になってしまうわ!」
「それは困る」
リーゼに飛びかかったカレンの体が、空中で停止した。
首が伸びて見える。
頭を掴まれている。
「だ、誰? パパなの?」
「私の娘は、まだ地下で眠ったままだ」
カレンの頭部を掴んだ手が実体化し、その背後に魔王の身体が生じた。
若い魔族は肉体を晒すことを望むが、魔王のように古い魔族は、逆に一切肌の露出をしない。
魔王の手が開き、カレンが床に落ちた。
「パパ、私の魂を元の体に戻してくれればわかるわ。私は、魔族を救うために目覚めたのよ。この女は、魔族を滅ぼそうとしているのよ」
床にへたりこんだまま、カレンがリーゼを指差した。
「陛下、魂を肉体に戻す研究はどうなったのですか?」
リーゼはあえて尋ねた。
カレンと口論する意味を感じなかったのだ。
魔王は、懐に入れていた手を服から出した。
そこには、一冊の本が握られていた。
「現在、全力をあげてリーゼがもたらした書物を解析しておる。その解析が終わるまで、博士たちは魂の研究を進められぬ」
「ああ。それでは仕方ありませんね」
リーゼは頷いた。魔王が差し出した書物とは、ロマンス小説である。
魔族は、力のある魔法文字を使いこなす一方、単に意味を記すだけの文字を使用しない。
そのために、小説というものが理解できない。
リーゼは知っていた。知っていながら、あえて尋ねたのだ。
カレンが目を剥いた。
「そ、そんなもの! そんなものを解読するために、博士たちを総動員する必要なんか、あるはずがないじゃないか! 貸してよ、パパ! 読みたいのなら、私が読んであげる!」
カレンが、魔王に飛びつこうとした。
その頭を、魔王が再び掴む。
「ならん。妻となった暁に、リーゼが余のベッドでこの書物を読むのが楽しみなのだ。それまでに可能な限り解読を勧め、リーゼに余の愛を知らしめるのだ。余計なことはするでない」
魔王が言ったことは、全くの無駄である。
結局は、リーゼに読んでもらうつもりなのだ。
だが、魔族の研究が遅れることに、リーゼが邪魔をする必要はない。
リーゼがもたらしたロマンス小説の解読が魔王の愛情表現なら、あえて拒否する理由は何もない。
「パパ、こんな女……」
「貴様は、余の娘だと名乗っているからこそ生かしておる。なんの証明もない。肉体はただの人間だ。余の花嫁を愚弄するのであれば、この肉体は破壊する。魂が地下の肉体に戻れるかどうか、試してみるか?」
「……ごめんなさい」
魔王の怒りを感じたのか、カレンが小さくなった。
魔王は言った。
「余が来たのは、リーゼの部屋で声が聞こえたからだが……本来の目的はそうではない。明日の衣装についてだ」
「……はい」
リーゼは神妙に頷く。明日、全裸に近い姿になれと言われないようにと、リーゼは祈っていた。
「衣装なら、人間の娘が着るものがございます。人間の娘である私が嫁ぐのです。是非、人間の衣装で嫁がせてください」
リーゼは、カレンの前であるのにも関わらず、魔王に膝をついて懇願した。
カレンが睨んでいるが、気にならなかった。
もはや、カレンを気にしてすらいなかった。
魔王は重々しく口を開く。
「リーゼがそこまでこだわるのには、人間としての理由があるのだろう。だが、余にも魔族としての事情がある。特に、余のように年老い、枯れ果てた魔族が嫁をもらうという場合、嫁を得るのに相応しい力を持っていることの証明が必要になるのだ」
「魔王様は、すでに誰よりも力を得ているのでは?」
「その力とは、戦闘のための力でも、魔力でもない。娶る相手を満足させる。そういう力のことだ」
リーゼは理解した。
貴族令嬢の嗜みとして、知識として持っていた。
「まさか、大勢の前で……子どもを……」
リーゼは、公開処刑にも近しい光景を想像し、青ざめた。
カレンが舌打ちする。カレンは、まさにそのような結婚式を望んでいたのだろう。
「いや。そうではない。リーゼのような若い者には、証明の必要はない。証明しなければならないのは、余だけである」
「その……そのような力がなくとも、互いが尊重しあっていれば、結婚すべきではありませんか?」
「魔族の古いしきたりなのだ。余がリーゼを娶ると宣言した以上、避けては通れん」
「でも……そのしきたりと私の衣装と、どんな関係があるのですか?」
リーゼは言いながら、気絶しそうになっているのに気づいていた。懸命にこらえる。魔王はリーゼの気持ちを知らずに言った。
「年老いた魔族は、異性に興奮することもない。だが、もし興奮することがあれば、肉体は若返る。余は……相手がリーゼであれば、それは可能だと考えておる」
つまり、魔王の肉体を若返らせるために、リーゼが魔王を興奮させなければならないのだ。
「パパ、無理だよ。この子、貴族令嬢の鏡とか呼ばれているんだもん。男性経験なんかない。ただ裸にしたって、パパは興奮しないでしょう? 私にしない? 娘なのは魂だけで、この体は血縁でもなんでもないんだし」
カレンが笑いながら言った。
魔王の目がカレンを射抜く。
カレンが気絶し、床に倒れた。
「二度までも、我が妻を愚弄するとは。まあいい。リーゼ、明日、本当に結婚できるのか、そなたにかかっている」
「魔王様、明日でなければならないのですか?」
「そうだ」
「でも、私があの衣装を着たからといって、魔王様が興奮するかどうか……私にはわかりません」
「それは、余も同じだ」
「……考えさせてください」
「期待している」
魔王はリーゼの肩を抱き、崩れ落ちたカレンをまるで手荷物のように持ち上げて出ていった。
「お嬢様、どうしましょう」
魔王が出ていくと、明らかに見計らったタイミングで、侍女のエリザが顔を出した。
「……聖典に頼るしかないわ」
「……畏まりました」
リーゼは、自分の部屋に積み上げたロマンス小説の中に答えを求めた。
人間の滅亡予告日まで23日
魔族が滅びるまで33日




