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私が悪役令嬢にならないと人間が滅亡するらしいので  作者: 西玉


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60 侍女シャギィの罰

 気が張り詰めていたのだろう。

 リーゼは、丸2日目覚めなかった。

 ようやく目覚めた時、まだ小指を失った右手が酷く痛んだ。

 我慢できず、ベッドから体を起こすと、エリザが抱えていたシーツを落とした。


「リーゼ様!」

「エリザ、大きな声を出さないで。手が痛いの」

「当然です。潔白を証明するために小指を切り落とすだなんて、一体どこの武将ですか。御令嬢のすることではありませんよ」


 リーゼは、痛む右腕を見つめた。実際には、切断された小指も、痛む手も、見ることはできない。

 大きな蚕の繭のように、右手には大量の包帯が巻き付けられているのだ。


「……わかっているわ。私だって、穏便に済ませたかったのよ。でも、エリザはラテリアが去った後、飛び込んできた魔王様の剣幕を知らないから、私を責めるのよ。ラテリアは……魔王様が城での会話を全て見聞きできることを知らずに、私に謝罪し、求愛したの。私の全てを知りたいと思っている魔王様が、聞いていないはずがない。私は……魔王様にどんな疑念も持たれたくない。だから、私の一部を犠牲にするしかないと思ったの。結果は……どうなったの? 魔王様は、私との婚約を破棄したかしら?」


 リーゼの言葉に、エリザはシーツを拾い、埃を払いながら言った。


「まさか。リーゼ様が寝てしまわれた後も、魔王様はずっとこの部屋にいましたよ。将軍たちが押し寄せてリーゼ様がうなされたから、出て行ったんです。でも……結婚式は延期になりました。リーゼ様の傷がきちんと塞がるまで……本当は明日のはずでしたが、お目覚めを待つことになりました」

「私が目覚めたら、怪我も治っているはずだって解釈かしら?」

「魔族の方々はそう考えているみたいですね」


 リーゼは、痛む右手を抱えるようにしながら、左手で額を抑えた。


「じゃあ、明日なの?」

「魔王様の予定では、そうなりますね」

「マーベラさんとヌレミアさんは来たの?」


「まだお越しになっていません。リーゼ様が人間と接触するのは、魔王様が難色を示されているとか。ああ……侍女と奴隷は、数に入らないみたいですよ」

「私、目指しているのは悪役令嬢よ。好色貴族の若旦那じゃないわよ」


 侍女と奴隷は数に入らない。その言葉を、リーゼは色々な物語で読んでいた。ほとんどが、男の貴族が性欲を発散する場面で言われていたはずだ。


「レジィかシャギィはいる?」

「お二人とも、リーゼ様がこの部屋に運び込まれてから、姿が見えませんね。レジィ将軍はお仕事かもしれませんが、シャギィはリーゼ様のお世話をするのが仕事のはずですが……」


「いいえ。レジィ将軍が忙しいはずはないわ。だって、魔族の敵の人間は虫の息だし、魔王様は結婚式のことで忙しいもの。将軍が忙しくなる道理がない。シャギィの姿が見えないのは……多分、責任を取らされているんだわ」


 リーゼはベッドから降りた。

 右手が痛むが、起きた直後より感覚が鈍くなってきた。

 慣れてきたのだろう。


「リーゼ様、部屋の外へ行かれるのですか?」

「行けないの? 私を傷つける人はいないと言われていたけど?」

「いえ……怪我をしているお嬢様を1人でお出しするのは気が引けますが、私は出たくないので」

「そう。なら……仕方ないのね。私も外出は控えるわ。魔王様、リーゼです。私の部屋においで下さい」


 リーゼは、部屋から出る扉に向かって訴えた。


「リーゼ様、いくらなんでも……」

「リーゼ! 起きたか!」


 エリザが呆れるほど、タイミング良く魔王が扉を開けた。

 その姿は恐ろしく、年老いた様子は同時に惨めでもあったが、リーゼはその姿をもう恐ろしいと感じなくなっているのを自覚した。


「はい」


 リーゼは微笑む。


「花嫁衣装は用意してある。明日になれば、着られるぞ」


 魔王は恐ろしげな笑みを見せた。


「魔族の花嫁衣装ですか? 楽しみです」

「うむ。誰にでも着られるというものではない。だが、リーゼであれば大丈夫だ」

「……少しだけ、どのような衣装か教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 『リーゼなら大丈夫』という意味に、リーゼは不安を抱いた。


「若く美しい花嫁を者共に見せるため、位が高い魔族ほど、体は隠さない。余は年老いておるからこのような服を着ているが、リーゼの衣装は、ごく僅かに生殖器を隠すだけのものにしておる」


 ほぼ全裸で魔族たちの前に立つ自分を想像し、リーゼはその場にくずおれた。


「リーゼ、そんなに感激したのか?」

「……陛下」

「どうした?」

「人間は、血を失うだけで、死にいたる生物です」

「……そんなか弱い生物がいるか?」


 魔王は本気で尋ねている。リーゼは続けた。


「残念ですが、私は特に体が弱く……魔族式の結婚衣装は耐えられません。せめて、きちんと体が戻るまで、猶予をお与え下さい」

「……そうか。明日は無理であれば、明後日ではどうだ?」


「魔王様をお待たせすることは残機の念に耐えませんが……人間には、体調を整えるための専門の知識や技術があり、私はそれを持ち合わせません。大丈夫と判断するには、その専門的な知識を持った人の判断が必要です」


「……しかし、そのような人間……」

「レジィ閣下のお屋敷に……」

「ああ。以前にも、そう言っておったな」

「連れて来ていただけないのは、何か問題があるのでしょうか? 陛下のために、私は早く体を治したいと思っているのですが……」


 リーゼは、魔王に体を預けた。

 ごわごわとした硬い体だった。

 服を脱いでも、鱗に覆われているかもしれない。

 リーゼは、毎日傷だらけになることを思いながら、800年前にいたという魔王の妻に、畏敬の念を抱くようになっていた。


 ※


 翌日リーゼは、魔王を呼んで、人間の花嫁衣装について説明した。

 普段より多くの意匠が使われる衣装に、魔王は難色を示した。意味がわからなかったのだ。

 ただ、リーゼは嫁ぐ時はあくまで人間であり、嫁ぐ前は人間式の衣装で、正式な結婚式の場で、人間式から魔族式の姿になることを提案したとき、魔王は快哉をあげて絶賛した。


 人前で下着姿を晒すこと自体、リーゼには本来あり得ない暴挙だったが、最初から終わりまで、下着よりも小さな衣装を着せられる前提だったことを思えば、許容できた。

 許容したというより、それ以外には魔王を納得させられなかったのだ。


 リーゼは、魔王領にはラテリア王子の2番目の妻として入る予定だったのだ。

 その設定は、魔族との争いになった段階で全て意味をなさなくなったが、王子の妻として恥ずかしくない衣装を持ってきている。


「これなんかはいかがでしょう。少し手直しすれば、花嫁衣装としても遜色ないと思いますが」


 侍女のエリザが、リーゼの荷物の中から服を引っ張り出して見せた。

 リーゼは公爵令嬢であり、持ってきているのはほぼドレスなので、どれを着たところで恥ずかしいものはない。

 だが、自分の結婚式となれば話は別だ。

 リーゼにも拘りがある。エリザが見せた鮮やかな黄色い服は、幼く見えるのではないだろうか。


「エリザ、私は魔王に嫁ぐのよ。色は黒がいいわ」

「……一着だけ、喪服用のドレスがありますが」

「では、それにしましょう」

「いいのですか? 魔王様がお怒りになりませんか?」


「裸同然で私を魔族たちの前に出そうとしていたお方なのよ。人間とは、お祝いに関する感性も違う。どの色がいいかなんて、考えるだけ無駄だわ。ただ……最後に下着同然の姿になるなら、それが際立つ色がいい」


「なるほど。さすがお嬢様です。黒い服の中から、お嬢様の白いお体が現れれば、さぞかし綺麗でしょうね」

「辞めて。自分で提案したことだけど、想像したくないわ」

「申し訳ございません」


 エリザが黄色いドレスをたたみながら、深く頭を下げた。


「黒いドレスに、簡単に破れるよう、切り込みを入れておいて。準備はそれだけでいいわ」

「承知いたしました」


 エリザが下がろうとする。

 リーゼの部屋の扉が叩かれた。


「あたしだ」


 声は外からだった。誰の声か、リーゼはすぐに察した。


「レジィ、入って」

「ああ。失礼する」


 入ってきた魔族将軍レジィは、頭部を大きな布で覆っていた。


「レジィ、いつもみたいに、勝手に入ってくればいいのに……どうしたの? 怪我をしたの?」


 リーゼに黙るよう、レジィが手のひらで合図した。

 怯えるように部屋を見回す。レジィは言った。


「この部屋は見張られている。あたしが普段勝手に入っているなんて、言わないでくれ。この部屋で起きていることは、魔王様に筒抜けなんだ」

「……知っているわ。私のことを疑っているのかしら。心外ね」


「そ、そんなはずがないだろう。魔王様は、リーゼのことが大事だから、害されないように最新の注意を払っているんだ」

「レジィの怪我は?」

「これまでにあたしがリーゼにしたことで、魔王様が腹を立てた。詳しく聞きたいか?」

「いい。わかったわ」


 これまで、リーゼはレジィと親しくしていた。レジィとは気さくにつきあってきたが、魔族将軍であるレジィは度々リーゼを恫喝してきたし、怪我をざたこともある。

 魔王は、それに怒ったのだろう。

 リーゼは続けた。


「シャギィはどうしたの?」

「八つ裂きにされた」

「えっ?」


 リーゼは耳を疑った。レジィなら、冗談を言いかねない。だが、レジィの表情は真剣だった。


「当然だろう。あたしでさえ、こうなんだ。シャギィの奴が、リーゼの指を落とした。そのために、リーゼは血を失ってしばらく意識が戻らなかったし、結婚が伸びて魔族たちが苛立っている。責任を取るのは当然だ」

「わ、私が命じたのよ。ラテリアが、おかしなことを私に言ったから、誤解を解くために……」

「どんな理由があっても、人間のか弱いリーゼを、傷つけちゃいけなかったんだ」


 レジィは断言した。リーゼは、シャギィの身に起こったことを恐れた。シャギィは魔族だが、侍女としてリーゼに尽くしてくれた。


「……私のせいで、シャギィが死んだのね……」

「いや。シャギィは死んでいないぞ」

「えっ? でも、八つ裂きって……」


 リーゼが首を傾げる。レジィは告げた。


「植物系の魔族は、そんなことでは死なない。だけど、今回のことで、シャギィが2人になった」

「……どういうこと?」


 リーゼには全く理解できない。レジィは当然のことのように説明した。


「体を引き裂かれて、いくつかに分断されたから、増えたのさ。他の体は小さくて腐ったらしいけど、二つ生き残った。ある程度新しい体に慣れたら、またリーゼに仕えたいって言っている」

「それは……ありがたいわね」


 魔族の常識には、まだリーゼは慣れていないのだと、自分に言い聞かせた。

 そうでなければ、とても受けいれられないのだ。


「それから、言われていた人間を連れてきた。どれかわからないから、全部だ」


 レジィが言ったのは、マーベラとヌレミアだろう。

 リーゼは頷いた。


「どこにいるの?」

「入れ」


 レジィが背後に向かって声をかける。

 エリザが扉を開けると、明らかに血だとわかるシミだらけの服を着た人間たちが、幽鬼のようにゆらめきながら入ってきた。

 リーゼは、しばらく目を凝らした。

 目の前にいるのが、かつての友人たちだとは、理解できなかった。


「リーゼ様のお友達は、暇つぶしに人間狩りをやっていた。一緒の部屋に入れたから、どれがリーゼ様の知り合いか、わからなくなったんだよ」


 声を発したのは、先頭にいた人物だ。リーゼは、背の高い、頬のこけた傷だらけの女が、マーベラだと気づいた。


 人間の滅亡予告日まで24日

 魔族が滅びるまで34日

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