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私が悪役令嬢にならないと人間が滅亡するらしいので  作者: 西玉


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58 王子ラテリア

 翌日のことだった。

 何度も読み返したロマンス小説に、あらためて没入するリーゼの元に、訪問者が現れた。

 扉を開けたエリザの声が聞こえる。

 最近リーゼの専属になった魔族の侍女シャギィと言い争っているようだ。


 リーゼはロマンス小説に丁寧にシオリを挟み、立ち上がった。

 リーゼは魔王の許嫁として、いまや魔王城の中で魔王に継ぐ重要人物である。

 与えられた部屋は魔王の部屋から近く、リーゼの自室だけで5部屋に分かれている。

 ロマンス小説の読書を邪魔されたくないリーゼは、自室の一番奥の部屋にいた。

 言い争う声を聞いて、玄関に面した部屋に向かった。


「どうしたの? 誰が来たの?」

「リーゼ様、いらしてはいけません」


 リーゼが最奥の自室から出ようとしたところで、シャギィが立ち塞がった。

 リーゼは、シャギィの足元に蔓が伸びているのを見つけた。

 シャギィは植物系の魔族である。

 植物の特性を多く持ち、能力の汎用性においては魔族でも屈指であるという。


 そのため、重要人物であるリーゼの専属メイドを任じられたのだ。

 将軍たちよりも個々の殺傷能力において劣るため、侍女はあまり重用されないが、文字通りなんでもできる。

 蔓を伸ばし、伸ばした蔓の先で実をつけることは、植物系魔族の得意技である。


「どうしたの? シャギィの本体は玄関にいるの?」

「人間の訪問者です。リーゼ様、魔王陛下はリーゼ様が人間と接触するのは望みません」


 エリザとシャギィが言い争っていた理由はわかった。シャギィの言い分は正しいだろう。だが、リーゼは危険を冒しても会いたかった。エリザはリーゼの気持ちを察したのだろう。


「シャギィの言う通りね。でも、魔王領にいる人間が、私に会いにきたのでしょう? マーベラさん! ヌレミアさん! もう体はいいの?」


 リーゼは声を張り上げた。昨日2人を呼び寄せるようにシャギィに頼んでおいた。

 魔族将軍レジィの屋敷にいるはずだった。

 魔王が許可し、レジィが動いたなら、ドラゴンを使役して1日あれば魔王城に来られるはずだった。

 リーゼは声を張り上げた。


 シャギィの分身はリーゼを止めようとして、結局道を譲った。

 シャギィの体に、棘が突き出ているのに気付いたからだ。

 強引にリーゼを止めれば、リーゼが傷ついてしまう。それを魔王は、決して望まないだろう。

 リーゼがシャギィの分身をかわして、玄関に面した部屋の扉にむかうと、エリザの声が聞こえた。


「シャギィ、会わせてあげて。リーゼ様にとって、とても大事なことなのよ」


 エリザは、10年以上リーゼの専属メイドを続けている。

 リーゼのことをよく分かっている。

 リーゼは感動しながら、扉の取手を掴んだ。


「でも、こんな奴はリーゼ様にふさわしくない。後悔するわよ」


 シャギィは大袈裟だ。分身がリーゼを停めていると思っているのかもしれない。

 植物に脳がないように、放った分身の視覚までは共有できないのだと、語ったことがある。


「後悔することになっても、リーゼ様には大切なことなのよ」

「でも……」


 エリザも大袈裟だ。マーベラとヌレミアがリーゼに会いにきてくれたなら、2人に黙っていたこと、魔族将軍レジィを助けたことを、赦してくれたのだ。

 後悔するようなことにはならない。

 リーゼは確信し、扉を開けた。


「リーゼ!」


 リーゼが姿を見せると、玄関の戸口に立っていた、人間の男が両手を広げた。

 背が高く、整った神経質そうな顔立ちをした、かつてのリーゼの婚約者だった男だ。

 ゴルシカ王国第一王子、ラテリアである。


 魔王領に人間の国の代表として送られ、人質に囚われた男だ。

 実際には人質としての価値すらなく、勇者の転生体かもしれないという警戒の下、現在の恋人である聖女にして魔王の娘の魂を持つカレンに騙されて連れてこられた男だ。


「……ラテリア殿下、正装して、どうなされたのですか?」


 ラテリア王子は、最後に見た時には全裸で檻に入れられ、命乞いをしていた。

 昨日カレンに教えられたところでは、本当に勇者として覚醒するのか確認するために、鍛えられているという。

 現在のラテリアは、王子の正式な装束を纏い、手に花束を持っている。


 また花束とは思うが、ラテリア王子が持つと様になった。

 エリザとシャギィの言い争う声が聞こえないように、扉を後ろ手に閉めながら、リーゼは一歩前に出た。その分、ラテリア王子に近づくことになる。


「謝罪に来た。カレンは私を騙していたんだ。もう、全て知っている。カレンのことも、リーゼが私を裏切ったわけではないことも」

「ああ……そうでした……わね」


 昨日、リーゼは正式に魔王の婚礼を承諾した。

 同時に、魔王の意識を全て自分に向けなければならないと自覚した。

 そのことがあまりにも大きく、その前にあったことは忘れていたのだ。


 魔王の前にカレンに会った。

 カレンから、ラテリアがリーゼに詫びたいと言っていることを聞き、正装して謝罪に来るように求めたのだ。

 カレンは応じ、その結果、現在目の前にラテリア王子がいる。


「リーゼ、謝罪して、許されることではないことはわかっている。だが……少し、話さないか?」

「リーゼ様、いけません」


 背後の扉が開き、緑色の肌をしたメイドが口出しした。


「シャギィさん、リーゼ様を信じて」


 エリザがシャギィを押しとどめる。

 リーゼはさらに前に進んだ。


「話だけならいいわ。でも、魔王に誤解されるかもしれない。私の部屋には入れられないわ」

「もちろんだ。私はそこまで厚かましくはない。外にいこう」

「ええ。では、あの庭園で……シャギィ、案内を」


 リーゼ1人では、道に迷わなくても魔王城の中を無事に歩ける自信はない。

 そのために、城内の移動はつねにシャギィを供にする。

 シャギィは腰を折って応じた。


「でも、リーゼ様、お気をつけください」

「ええ。ありがとう」


 リーゼは言いながら、シャギィに伴われて部屋を出た。


 ※


 部屋を出て、リーゼは自分がいかに行き交う魔族の注目を集めているかを知った。

 リーゼを見れば、まるで人間が上位貴族に接するように、笑顔で丁寧に挨拶をしてくる。

 リーゼは、幼い頃からそういう相手の対応には慣れていた。


 だが、魔王城に来た当初、全く注目されていなかった頃の人間に対する視線を覚えていただけに、複雑な気持ちになった。

 背後のラテリアには、魔族は視線すら向けない。リーゼの背後の存在に気づき、舌打ちする音が聞こえ、シャギィに囁く声は、『余計な人間は殺しておけ』という冷酷なものだった。


 庭園に着く。

 当初訪れた時から、庭園の、主に植物の様子が様変わりしていた。

 侵入者を喰らい、養分を吸い尽くすための植物が排除され、植物の全てが大きく美しい花を咲かせている。


「凄い。綺麗ね」

「リーゼ様がお求めになったために、全て植え替えたのです。リーゼ様が訪れる時には、常に花を咲かせておくよう命じられています」


 シャギィが説明する。


「……魔王様は、植物にも命令できるの?」

「当然です」

「以前の……警備を兼ねた植物の魔物はどうしたの?」

「焼き払われました」


 シャギィは当然のことのように答える。リーゼは、胸を痛めた。


「そこまで望んだわけではないわ。ここのお花たちも、自然でいいのよ。適切な時期に、必要なだけ咲けばいい。そう伝えて」

「お前たち、わかったな?」


 シャギィが押し殺したような声を出すと、咲き誇る花のうち3割程度が萎んだ。無理をしていたのだ。


「……花を咲かせるように命じていたの、シャギィだったの?」

「魔王様がいらっしゃらなければ、私の命令になど従いません。魔王様のお陰です」


 シャギィは緑色の顔で笑った。どこまでが本当なのかはわからない。シャギィが、魔王が偉大であることを示すために嘘を言っているかもしれない。

 リーゼは振り返らなかった。

 ラテリア王子とは、必要以上に話してはいけないと肝に銘じていた。


 それが、何よりラテリア王子が生き残るために必要なことだ。

 リーゼは庭園を進み、美しい花々に囲まれたテーブルとイスに腰掛けた。

 リーゼの訪れを知っていたかのように、ティーセットが置かれた。


 お菓子はないが、果物が添えられている。

 お茶も果物も、植物が自ら用意したのだろうと、リーゼは疑わなくなっていた。

 椅子に腰掛けるよう、ラテリアに手で促した。


「私と話したいこととは何かしら?」


 ラテリア王子の顔は、蒼白だった。リーゼの部屋から庭園に来るまでの間に、リーゼの現在の立場を思い知らされたのだろう。


「まずは、謝罪させてくれ。私は、カレンにたぶらかされたのだ。カレンは、魔族とは友好的な関係を築けると主張していた。だが、全ては罠だった」

「……そう」


 魔王に嫁入りするリーゼにとっては、否定すべきかもしれない。だが、リーゼの目的も、魔族と友好的になることではない。

 あえて何も答えずに聞き流した。


「カレンは、リーゼが嫉妬にかられて、聖女となったカレンに酷い仕打ちをしているのだと訴えた。私はカレンを慰め……リーゼとの婚約を破棄してしまった。父王からは罵られたが、その時は、他に選択肢はなかった」

「謝罪はわかったわ。だから、私とは関わらないで。もう、私がラテレア様と結ばれることはないわ。知っているでしょう。私は、魔王様に嫁ぐのよ」


 リーゼは言った。魔王に嫁ぎたいわけではない。だが、人間が皆殺しになる危険を回避する方法は、他にないのだ。


「本当に……リーゼ、それでいいのか? 魔王に嫁ぐのだぞ」

「貴様!」


 そばで聞いていたシャギィが声を荒げたが、リーゼが止めた。


「ええ。私は満足している」

「嘘だ。私が、リーゼの嘘を見破れないと思っているのか? リーゼは、王も、宰相たちのまとめ役リム大老も、高く評価している。なんとか、逃げ出すことを考えないか? 国に戻れば、仮に私が王にならなくても、王になる男の妃として迎えられるだろう。あるいは……リーゼは公爵家の生まれなのだ。女王として王位を譲られることもありうる。魔王に一生を支配されて、こんな場所で終わる必要はない」


 リーゼは嘆息した。隣でシャギィが聞いている。リーゼが停めていなければ、すでにラテリアを殺しているだろう。


「カレンはどうなるの?」

「あの女は、望んで魔王領に来たのだ。魔王に手厚くもてなされると期待したらしい。それが叶わなかったから、私を利用して、勇者に仕立て上げようとしているのだ。魔族と手を組めるわけはない。そこの魔族さん、あなたは、リーゼに仕えているんだろう? 私の言っていること、間違っているか?」


 再び、リーゼはシャギィを制した。

 ラテリアは、平民を軽視する傾向が強い。それは昔からそうだった。その習慣で、シャギィをただの侍女としてしか認識していないのだ。


「ラテリア、このお城から逃げ出す算段はできているの?」

「それは、リーゼが望めばできるのだろう? 魔族将軍レジィだったか? 息抜きをしたいと言って、ドラゴンに乗せて貰えばいい。そのまま、魔王領からひとっ飛びだ」


 ラテリアは、目を輝かせていた。リーゼは、どうしてこんなに愚かな男の妻になろうとしていたのかと、不思議に感じていた。


「わかったわ。今日中に返事を届けるわね」

「ああ。待っている」


 ラテリアが立ち上がる。

 背を向けた。

 リーゼは、背後のシャギィに尋ねた。


「シャギィさん。私の小指を切り落として、魔王様に届けて下さる? 私の気持ちだと伝えて」

「あの男を擁護なさるのですか?」


 ラテリア王子の姿はすでにない。


「そんなつもりはないのよ。ただ、私が同類だと思われたくないだけ」

「承知しました」


 リーゼが右手を広げて見せた。リーゼの手に、刺すような痛みが走った。

 同時に、鮮血が舞い、指が落ちた。

 2人が居る庭園の外から、男の悲鳴が聞こえた。


 ラテリア王子が死んだ。

 リーゼは、そう確信した。


 人間の滅亡予告日まで27日

 魔族が滅びるまで37日

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