57 魔王との婚約
何度目かの、魔王の部屋の前にきていた。
リーゼが扉を叩こうとすると、魔族将軍レジィが声を張り上げた。
「陛下、リーゼです!」
「入れ」
重々しく、地響きを思わせる声だ。
リーゼの背後で、ついてきた植物系の魔族シャギィが震える。
レジィが扉を開け、リーゼに入るよう手で示した。
扉の隙間から漏れ出てきた、むせるような匂いに手巾で鼻を押さえ、リーゼはつとめて平静を装いながら、扉の内側に入った。
魔王の部屋のはずだ。
広く、殺風景な、ベッドと人型の置物以外、ほぼ何もない部屋だった。
全て、見えなくなっていた。
部屋一杯を埋め尽くす、花々によって。
リーゼの背後で、扉がけたたましく閉められた。
リーゼが振り返る。
重く、ただでさえリーゼの力では動かせない扉が、しっかりと閉じられている。
「ちょっと、レジィ! どういうつもり?」
「リーゼ、よく来た」
背を向けて扉をたたくリーゼの背後に、かすれた声がかかった。
リーゼは振り返らなかった。
声の主はわかっている。
両手で自分の頬を張った。
気合を入れる。
自分が何者かを思い出す。
人間の希望を背負った、公爵令嬢ではない。
全てを罵倒し、高飛車に踏みつける悪役令嬢なのだ。
リーゼが振り返る。
大量の花をかき分け、年老いた、たるんだ皮膚と薄汚い肌をした、魔族の男が飛び出してきた。
「魔王陛下にご挨拶を」
「礼儀など不要だ。それより、リーゼが自ら来たということは……余との婚礼を迎えたいということだな?」
魔王は、服を脱ごうとしていた。だぶついた鎧のような服の下に、どんな肉体があるのかは、リーゼはまた見たことはない。
だが、脱がせては行けないような気がした。
リーゼは腰を折った姿勢を正し、声をあえて張り上げた。
「おーほっほっほっほっ! このリーゼを、お安く見ないで下さいまし! 今日は、魔王様の間違いを正しに来たのですわ」
「なに? 余の間違いだと? リーゼが望んだ通り、花を贈ったであろう。まだまだあるぞ。リーゼが生きている限り、送り続けられるぞ。魔力で花を咲かせる魔術を開発したのだ」
「では、これは何ですの?」
リーゼは、魔王がレジィに託した大きな宝石付きの指輪と、指輪に付いた指を取り出した。
「リーゼが望んだものだ」
「私は、魔王様の指をむしりとって喜ぶような女だとお思いなのですか?」
魔王は、右手を上げた。
人差し指が欠けている。
一度手を振る。
指が生えていた。
「この程度、怪我のうちにも入らん。あえて再生しなかったのは、新しい指を生やさない方が、操りやすいからだ」
「……『操る』ですって?」
「うむ」
リーゼの持つ魔王の指が、ぴこぴこと動く。魔王が意識して動かしているのは間違いない。
リーゼは、魔王の指を捨てた。
「陛下の以前の奥様が、このようなことを望まれたのですか?」
「ああ。余が体の一部を送ると、喜んで箱に詰め、実家に送っていた」
リーゼは、800年前に実在したという人間の妻は、本当に魔王を殺すために送り込まれたのだと確信した。
魔王を殺すために活動していることを証明するために、自国に魔王の体の一部を送っていたのだろう。
「私は、このようなことは望みませんわ」
指だけでなく宝石のついた指輪もあったが、人間が絶滅するなら、どんな高価な宝石を持とうと価値はない。
「では、何を望む? 花も、かつての妻が望んだ余の体の一部でもなけば、リーゼは何が欲しい?」
魔王は真剣に、リーゼを見つめていた。
血走った目は恐ろしい。だが同時に、リーゼに本気で好かれたいと思っているのだと感じた。
返事を誤れば、次に何が起きるかわからない。あるいは、人間を滅ぼすことになるかもしれない。
リーゼは、魔王の目を見つめながら、口を開いた。
「魔王様の心です」
「心臓か?」
「違いますわ!」
自らの胸に手を当てた魔王に、リーゼは飛びついた。
「自殺なさるおつもり?」
「心臓をつかみ出したぐらいで、余は死なん」
「だから、欲しくありませんわ」
リーゼの必死の抵抗で、魔王は自分の心臓をつかみ出すのを止めた。
「……わからん。余は、何をすればいい?」
「私と、結婚したいのですわね?」
「もちろんだ」
「では、お願いがありますわ」
「そなたの願いであれば、何事であろうと叶えてみせる」
「人間を殺さないこと」
「ならん」
「どうしてですの?」
リーゼの声が裏返る。魔王が人間を殺そうとするのは、かつて裏切れた恨みのはずだ。
「人間が、魔族であり、しかも魔王である余を愛することなど、信じてはいない。人間が生き残っていれば、そなたは人間を愛するだろう。余には、これ以上の屈辱は耐えられん」
魔王は、リーゼが考えていたよりも、ずっと傷ついている。
リーゼは魔王の手を取った。
魔王と結婚すれば、解決するのではなかった。魔王の意識を、全てリーゼに向けさせ続けなくてはならないのだ。
「人間にとって、結婚は神聖なものですわ。妻となったならば、決して裏切りません」
「では……」
リーゼの喉が大きく上下する。
これ以上、引き伸ばせない。
「私を、妻に迎えてくださいますか?」
「無論だ」
「おめでとうございます」
外で聞いていたのだろう。魔族将軍レジィが扉を全開に引き開けた。
大量の花が咲く。リーゼのお付きとして配置されたシャギィが、自らの体から咲かせているのだと、リーゼは理解した。
※
リーゼが魔王に嫁ぐことは、たちどころに魔王城の内部のみならず、全魔族に知れ渡ることになった。
魔王は浮かれて祝宴を計画し、多くの準備があり、一時帰還した魔族を呼び戻す必要があることから、魔王への入滅式は3日後と定められた。
魔王の妻になることを『入滅』と呼ぶらしいことを、リーゼは知らなかった。
かつて、魔王には1人の人間の妻がいた。
その前にも、その後にも、魔王は妻をもたなかった。
リーゼは、それが魔王の傷心のせいだと考えていたが、より具体的な事情があることは、後日知ることになる。
魔王への正式な入滅が決まったリーゼは、入滅式に備えるために自室に戻った。
「おめでとうございます、リーゼ様」
部屋に戻ると、すでに専属侍女のエリザは知っていた。
どうして知ったのかと聞けば、庭の鳥や部屋を這い回る虫たちまで、リーゼと魔王の結婚を噂していたという。
「それは、鳥や虫の形をした魔物ですけどね」
リーゼに付き添ってきたシャギィが教えてくれた。
シャギィは常にリーゼから離れないように歩いていた。
シャギィは自分の体のどこにでも好きな花を咲かせることができるらしく、魔王への入滅が決まったリーゼを、美しく飾るためにリーゼの周囲に花を咲かせていたのだ。
リーゼが歩くと花が咲き誇るようだという噂が流れたが、それが事実であることは、リーゼ本人は知らない。
「ええ。ありがとう、エリザ、シャギィ、せっかくの入滅式だもの。全ての魔族が集まるわね?」
「はい。何もなくとも、集まって騒ぐのは楽しいですから」
シャギィはにっかりと笑った。リーゼによく尽くしてくれると言っても、シャギィも魔族なのだ。根本は変わらないのだろう。
「私の友達も呼んでいいかしら? 人間だけれど」
「男ですか?」
「女よ。レジィ将軍の屋敷にいるわ。怪我の様子はわからないけど……可能なら、2人にも祝福してほしいの」
「そうですか。魔王様は、リーゼ様に人間が近づくことはお好きではないと思いますが、確認いたします」
「お願い」
リーゼが言うと、シャギィは咲かせていた花を萎ませて出ていった。一度咲かせた花を蕾に戻すのは難しいようだ。
「エリザ、聞いたでしょう。私から、今後は離れた方がいいわ」
「私は大丈夫です。だって……レジィ様とも仲良しなんですよ」
「事情が変わったのよ。私は……魔王と私が結婚して、人間のことを認めさせれば、人間を殺すのをやめてくれると思っていたわ。でも、実際は違ったわ。私が人間に惹かれないように、魔王だけを見るように、魔王は余分な人間を全て殺そうとするでしょう」
「そんな……お嬢様、では、お嬢様がなさったことは……」
リーゼは、エリザに口をつぐませた。使用人と主人である。小さな動作ひとつで、黙らせることは容易だった。
「魔王に人間を殺させないために私がするべきことは、そんなことに興味すら抱かないよう、ずっと私だけを見続けさせることよ。私のことしか考えられなくなれば、人間を殺そうなんて、余計なことは考えなくなる」
「……そんなこと、可能なんですか?」
ある1人の異性を、一時的に夢中にさせることはできるだろう。だが、相手は魔王であり、ずっと、リーゼに骨抜きにしなければならない。
リーゼは、部屋の片隅を指差した。
「答えはあの中にあるわ」
「リーゼ様、ロマンス小説を信頼しすぎです」
「だ、大丈夫よ。きっと……」
それほど長い期間ではない。魔族は近いうちに全滅する。
リーゼは、およそ一月、魔王の妻であり続ければいい。その間、魔王を引きつけておけばいいのだ。
「なら、いいんですけど……お嬢様は、ずっと王子様と婚約なさっていて、突然魔王の妻になるのだなんて、お可哀想です」
「他に選択肢はなかったわ。そうでしょう?」
涙ぐむエリザの肩を抱き、リーゼは壁に話しかけた。
ただの壁だったが、リーゼには、壁のシミが白い世界にいる美しい女神の姿に見えていた。
壁のシミは答えない。
だが、リーゼはもはや引き返せない。
エリザが落ち着くのを待ち、リーゼは何度も繰り返し読んだ、現在の唯一の拠り所である、積み上げたロマンス小説に向かった。
人間の滅亡予告日まで28日
魔族が滅びるまで38日




