55 魔王の求愛
リーゼは、魔王城内の与えられた一室で、せっせと花を飾る専属メイドのエリザを眺めていた。
魔王に、花の美しさを教えたのはリーゼである。
その時は理解しなかったが、無駄ではなかったのだろう。
求婚するのであれば、脅すのではなく口説けと言ったのもリーゼである。
あの時は、自分でも頭に血が昇っていたと思う。
全権大使なのだから、人間が皆殺しになるという選択をしてもいいのだと言ったことは覚えている。そんなことが許されるはずがない。
ロマンス小説の中に出てくる悪役令嬢は、ほとんどの場合、ほんの端役である。
その僅かな場面を何度も繰り返して自分の頭の中に刻みつけた、その結果なのだろう。
扉が空き、魔族将軍レジィが入ってきた。
「魔王様からの届け物だ」
レジィは、腕に一杯の花束を抱えていた。
リーゼが魔王の求婚を正式に受け、口説いてみろと言ってから3日が経過している。
その間、魔王自身とは会っていなかった。
その代わり、次々に花束が届けられた。
「ねぇ、レジィ、魔族って恋はしないの?」
「番いたいということか?」
レジィは、花束をエリザに渡しながら振り向いた。
「まあ……そういうことね。私が花を愛でることを教えたら、ひたすらに魔王は花を送ってくるわ。もっとこう……もう一押ししようとかは思わないのかしら。お花がたくさんあるのは、これはこれで嬉しいのだけれど」
「リーゼの言うことはよくわからないな。番うのは一族の繁栄のためだろう。ならば、一番強い子孫が残せそうな奴をものにする。それ以外の何がある?」
レジィは真顔で言った。
リーゼはエリザに視線を向ける。
「エリザ、今度レジィに本を読む時、悪役令嬢が出る以外の場所を読んであげて」
「そうすると、レジィ様は2分で寝てしまわれますよ」
エリザが困ったように言った。エリザは、退屈しているレジィのために、リーゼの蔵書であるロマンス小説を、悪役令嬢の名前をリーゼに変えて朗読していた。
どうやら、悪役令嬢が出現する場所だけを朗読していたらしい。
「胸がどきどきして、締め付けられるような……その人のことしか考えられなくなるようなことって……」
「今の魔王様がそうだろうな」
レジィの言葉に、リーゼは耳を疑った。
「……あの魔王様、ずっと私のことを考えているの?」
「ああ。この3日で、何十回も呼び出された。その度に、リーゼが何をしているか、リーゼが何を言ったか、リーゼは陛下のことをどう思っているか、そんなことばかり聞かれる」
リーゼは天を仰いだ。
圧倒的に不利な立場の人間を、1人でも多く生き残らせることが使命だと思っていた。
人間を滅ぼそうとしていた魔王の矛先を変えさせたのだ。
少なくとも今は、魔王は人間を滅ぼすことを考えていない。
大きな成果だとはいえる。
「……私、魔王と結婚しないといけないの?」
「お嬢様が魔王と結婚しないということは、私も殺されるということですから」
エリザが花束を飾り終え、リーゼとレジィにお茶を淹れた。
エリザは続ける。
「でも、花束だけでなく、ほかのプレゼントがあってもいい頃ですね。花束に恋文とか……お嬢様、魔王はどんな恋文を書くのでしょうか」
「エリザ、楽しまないで。でも……魔王には、私のロマンス小説を何冊か貸してあるじゃない。恋文はロンマス小説の定番よ。どうして、花だけを贈ってくるのかしら?」
「お嬢様、これは魔王の高度な戦略かもしれません。まずは、世界中の花を取り寄せられる権力と財力を見せつけてから、ぐっとくる手紙がくるのでしょう」
「なるほど……さすがは魔王ね」
リーゼとエリザが魔王の知略に驚いていると、レジィがハーブティーに唐辛子の粉を入れながら口を挟む。
「魔王様は、まだリーゼの本を読んでいないぞ」
「どうして?」
「人間の文字が読めないからな。今のところ、魔王城が誇る博士たちが、人間の文字を解読する作業に精を出している」
「博士たちって……魂の研究をしている魔族たち?」
もともとは、かつて魔族だったことのある人間まで殺すのはやりすぎだというリーゼの主張から、前世以前に魔族だったことがある人間を選別させ、人間を生き残らせるつもりだった。
魔王の話から察するに、カレンの魂を、保存されているかつての魔族の姫の肉体に戻す方法を研究していたはずだ。
「そうだな」
「……魂の研究をしている人たちに、ロマンス小説の解読をさせるって、物凄く勿体無いわね」
「魔王様の命令なら、仕方ないさ」
レジィは、もはや唐辛子の粉しか見えないカップの中を口に含み、満足げに飲み込んだ。
「それだと、カレンが元の肉体に戻れる日は遠そうね」
現在ロマンス小説の翻訳をしている魔族の博士たちは、魂の研究を投げ出しているはずだからである。
「リーゼお嬢様が、読んで差し上げればいいのではありませんか?」
「それはいいな。陛下も喜ぶだろう」
メイドのエリザの提案に、レジィが柏手を打った。リーゼは首を振る。
「それは駄目よ。2人きりで本を読んで差し上げるなんて、行き過ぎだわ。男女のあり方には、順序というものがあるのだから」
「そうか。リーゼと陛下が結婚するのが楽しみだな。リーゼが、自分の出てくる物語を読んでくれるんだな」
レジィは勘違いしているが、リーゼはロマンス小説には出てこない。
リーゼが持っている全ての本に、リーゼが登場しているというのは、エリザの仕業である。
「楽しみにしているように、魔王様には伝えておいて」
「わかった」
レジィは立ち上がった。扉が開き、魔族の中でリーゼの世話をするように命じられた女性が顔を見せた。
「こちらにおいででしたか」
リーゼの部屋である。探していた人物がいたというならば、それはリーゼではない。
「ああ」
レジィが頷く。
「魔王様がお呼びです」
「言った通りだろう?」
レジィが振り向いて笑った。これから魔王に呼び出されたレジィがリーゼのことを聞かれるのだと思うと、リーゼもおかしくなって笑い返した。
「レジィ、行く前に教えて。私と魔王が会った時、あの場にはカレンとラテリア王子もいたでしょう。あの2人はどうしているの?」
リーゼが国賓として待遇されているというのに、魔王の娘として戻ったはずのカレンには会っていない。ラテリア王子は、全裸で籠に入れられていた。
「オレも知らない。興味もないしな。探してみるといい。リーゼがどこに行こうと、誰にも責められたりしないからさ」
「うん。ありがとう」
リーゼに手を降り、魔族将軍レジィは後頭部で手を組んで歩き去った。
「リーゼお嬢様、魔王と結婚するのであれば、距離を詰めておく方がよろしいのではないでしょうか。本を読んであげることで、魔王がより親しくなるかもしれません。どうして、断ったのですか?」
レジィが去り、2人きりになったところで、エリザが尋ねた。
リーゼは、お茶を口に含みながら頷いた。
「私は、魔王と結婚するのでしょうね。魔王は若くもないし、格好良くもない。でも、それはいいのよ。貴族の家に生まれ、不自由ない生活に恵まれたのですもの。結婚相手まで選べるというのは、でき過ぎているわ。しかも、人間が滅びるかもしれないというのにね。私が魔王に本を読んであげないといったのは、近づきすぎることで、魔王が私に飽きるかもしれないからよ。私との結婚をやめて……人間を滅ぼすことにするかもしれない。その心変わりを防ぐためと、もし私が愛され続ければ、人間を滅ぼすことをやめてくれるかもしれないのに、魔族の学者たちが魂の研究を再開させて、本当に成果を出してしまったら、困ったことになるわ」
「あのカレンという平民が、殺されて魂を取り出させるということだけではないのですか?」
「違うわ。カレンの魂を昔の肉体に戻す以外にも、魔族だった者が人間に生まれ変わった可能性がある者を探す。そのための研究をしているはずなのよ。もし……その結果、魔族の前世があり、現在は人間となっている人たちを特定できれば、魔王は躊躇なく、前世で魔族ではなかった人間たちを皆殺しにするわ。その結論を出させないためにも、学者たちの研究は進めさせないほうがいいのよ」
「なるほど……さすがはお嬢様。そこまで考えていらしたのですね」
エリザが感心するが、リーゼは一番重要な理由を告げていない。
リーゼの夢の中で、魔族の滅亡を予言した女神が指定した日まで、40日ほどとなっていたのだ。
積極的に好意を向けてくる魔王を憎くは思っていないが、魔王の嫁になることに抵抗がないわけではない。
時間を稼げば、魔王は数十日後には死ぬかもしれない。
そうなれば、魔王の嫁だった貴族令嬢として、リーゼはその後の人生を生きなければならないのだ。
「魔王が次の花を贈ってくる前に、カレンとラテリアを探してみましょうか」
「私は、ここに残ります。お嬢様を傷つける魔族はいないでしょうけど、私はそうではないでしょうから」
エリザの気持ちはわかった。魔王城の中を歩くのが怖いのだ。
「わかったわ。ちょっと出てくるわね」
リーゼは言うと、与えられた客用寝室から抜け出す。
部屋の外に、魔族の中から選ばれた娘が、エリザと同じメイド服を着て控えていた。
「お出かけでしたら、お供します。リーゼ様」
「わかった。よろしくね。シャギィ」
独りで行きたいと言っても、見逃してはくれないだろう。魔王城の中を案内してくれるなら丁度いいと、二日前に紹介された魔族の娘の名前を呼んだ。
シャギィと呼ばれた娘は、長い手足をした全身が緑色の皮膚をした、どことなく植物を思わせる娘だった。
人間の滅亡予告日まで28日
魔族が滅びるまで38日




