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5 悪役令嬢への第一歩

 リーゼは朝早く、一人で目が覚めた。

 珍しくリーゼお付きのメイドであるエリザの姿がなく、リーゼは一人で身支度を整え、髪に櫛を入れ、白粉を肌につけた。

 人間が、最後の決戦に破れた。


 その報が、メイドたちにも知れ渡ったのだろうか。

 エリザも恐れて逃げてしまったのだろうか。

 もし、リーゼが見た夢が正夢となるのなら、残り99日をなんとしてでも生き残らなければならない。


 魔族はその後10日ほどで死滅する。リーゼが生き残ればいいのではない。一人でも多くの人間が生き残れるよう、リーゼが動かなければならないのだ。

 だが、夢は夢だ。夢で見たことを、言いふらすわけにもいかない。


 リーゼは、エリザも悔いのないように生きて欲しいと思いながら、自室の扉を開けた。

 魔法学園の寮である。寮に住んでいるのは、ほとんどが貴族の子弟である。

 いつもなら、忙しく立ち働いている様々な貴族に仕えるメイドや侍従たちの姿が見られるのだ。

 だが、寮の通路は閑散として誰の姿もなかった。


 寮には食堂もある。だが、リーゼは利用したことがなかった。食事は、自室か他の令嬢にお呼ばれしてするものだった。

 もしエリザが逃げ出していれば、リーゼは今朝の朝食から困ることになる。

 せめて、食堂が朝からやっていてくれればいいと願いながら、リーゼは1階にある食堂を目指して階段を降りた。


 食堂の隣に、談話室がある。食堂は食事をするための場所であるのに対して、談話室はゆっくりとくつろいで貴族令嬢たちが世間話をするための場所である。

 食堂を目指して、リーゼは談話室の閉じられた扉の前を通り過ぎようとした。

 リーゼの脚が止まる。


 かすかだが、談話室から声が漏れ出ていた。人が集まる時間ではない。

 だが、リーゼたち貴族令嬢たちが利用しない時間帯こそ、使用人たちで利用しているのかもしれない。

 そう思い、リーゼは食堂に行くより先に、談話室を覗いてみることにした。

 扉を掴み、開ける。


 背中を向けた、大きな人影があった。

 部屋の中に、使用人達が立ち並び、控えていた。もちろんリーゼの使用人は数人だけで、他は別の貴族令嬢に仕える使用人である。

 誰もリーゼの目に触れなかったのは、すべての使用人がこの部屋に集まっていたからだと、すぐに理解した。


 中央の男の背中が振り返る。

 にこやかに、朗らかに、豊かな顎髭を蓄えた、グルーシス・マリオ・ゴルシカ、現在の国王グルーシス3世が微笑みかけた。


「おお。朝方から失礼した。このような時間だというのに、やはり美しいな。呼んだわけでもないのに、真っ先に会えるとは運がいい。リーゼ・エテスシア公爵令嬢」


 リーゼは、公爵令嬢にふさわしい礼儀作法を身につけていた。

 反射的に深く腰を折ろうとして、夢の中のことを思い出した。

 女神を示唆した女は、なんと言ったのか。


 約束を果たさなければならない。

 理由も解らず、リーゼは強迫観念に駆られた。


「グルーシス・マリオ・ゴルシカ、何用ですの?」


 公爵令嬢が、現国王を呼び捨てにした。

 使用人達が凍りつくのがわかった。

 国王の顔が引きつっている。謝らなければならない。リーゼはすぐに思った。

 国王グルーシス3世は怒っているのに違いない。

 だが、口がリーゼの思いを裏切った。


「何用か、と聴いているのよ。淑女を訪れる時間ではないでしょう」

「おお。それは仕方がないのだ。朝まで軍議だったものでな。少しばかり、礼儀を忘れてしまったようだな。お互いにな」


 王が口を開き、冗談を言うように柔らかく告げた。少しだけ、使用人達の顔に安堵が広がった。


「『お互いに』、ね。グルーシス、少しはわきまえなさいな」


 再び使用人が凍りついた。リーゼは続けた。


「私に用があってきたのではないのでしょう? こんな場所で待っていたのですもの」

「いや。余は用向きを告げようとしたが、こ奴らが全員を揃えるから待てと言ってきかなかったのだ。余は、リーゼ・エテスシア公爵令嬢に会いに来たのだよ」


 リーゼは息を呑んだ。真っ先にリーゼが国王に会ったのはただの偶然かもしれない。だが、国王は元々、リーゼに会いに来たのだと告げた。

 体が震えた。軍議の後の国王が一体、公爵家に連なるとはいえ、一令嬢に何の用があるというのか。

 震えを飲み込み、リーゼは気丈に言った。


「なら、人払いが必要でしょうね」

「もちろんだ」


 国王が周囲に視線を飛ばす。何も言われていないのに、使用人達が慌てて出て行った。

 大勢の使用人が出て行く中、リーゼの専属であるエリゼだけが、去り際にリーゼの手を握った。


「お嬢様、気をしっかりお持ちください」

「なんのこと?」


 リーゼが問い返すが、エリザは答えずに走り去った。

 魔法学園女子寮の談話室に、公爵令嬢と国王のみが残された。


 ※


 2人きりになり、国王はしっかりとしているが玉座に比べると安物でしかない椅子に腰かけた。

 使用人たちに囲まれている時は、大きな背中だと思った。振り向いても大きかった。

 だが、目の前の国王は、リーゼが知るどんな王よりも矮小に見えた。

 国王グノーシス3世が口を開く。


「人間は負けた。戦争での負けを認めなくとも、一兵残らず殺された。負けたと言わざるを得ん。いずれ、この王都にも魔族軍がやってくるだろう。そのことは知っているな?」


 リーゼは、婚約者であるラテリア第1王子から、戦争の結果は聞かされていた。昨晩は、その対応について軍議をしていたはずだ。


「はい。存じております」


 リーゼが頷くと、リーゼの婚約者の父である現国王がやや首を傾げた。


「先程までの勢いはどうした? 余は、別人と話しておるのか?」

「早朝から約束もせずに訪れた男性と、まじめに会談を申し出た立場のあるお方を、同列には扱えません」


 リーゼは、必死に言い訳を取り繕った。夢で言われた通りに今日最初に会った人物を呼び捨てにして、勢いがついてしまい、戻せなくなったのだとは言えなかった。

 人払いをし、冷静になったところで、頭から湯気が立ち上りそうなほど恥ずかしく思っているなどとは、リーゼの立場として言えなかった。


「ふむ。では、先ほどのような物言いは、切り替えられるのだな」

「もちろんです。公爵家の習いですから」


 嘘だった。もう一度やれと言われても、自信がなかった。


「ああ。なら、普段はいつも通りのリーゼ嬢なのだな。その方が余としても話しやすい。単刀直入に言おう。魔族が人間との共存を望んでいるという情報がある。だが、余の掴んでいる情報とは異なる。魔族が差し出した手には、毒が塗られていると思って良い」

「人間たちを懐柔し、確実に全滅に追いやるためでしょうか」


 リーゼは、夢で告げられたことを思い出していた。王は笑った。


「そなたは、昨晩の軍議に参加していた誰よりも先見の明があるようだ。残念ながら、余も同意見だ。だが、軍議に参加した者たちの大半は、敗北の結果が魔族との和睦であるなら、それは悪くない結果だと受け止めている。その結果は、すぐにわかる。余だけが表立って反対したところで、結論は変わらぬ。余がここにきたのは、一人でも多く賛同者を作っておきたかったからだ。リーゼ嬢の婚約者、余の愚息は真っ先に和睦に同意した。リーゼ嬢はあの子には逆らえんだろうと、半ば諦めかけていた。むしろ、婚約を解消した方が……いや、余を叱責したあの堂々とした立ち振る舞いは見事だった。今後、愚息を頼む。目を覚まさせてやってくれ」

「私に、できますことでしたら」


 断れるはずがなかった。リーゼは、このままでは100日後に人間が一人残らず殺されることを告げられていた。

 人間が全滅した10日後には、魔族が全滅するというのに。


 リーゼは震えながら、差し出された王の手を握った。

 王は人払いを解かないまま、リーゼの肩を叩いて魔法学園女子寮から出て行った。

 リーゼが使用人たちを呼び戻す。


「お嬢様、ショックでしょうが、気を落とさずに。このようなご時世です。婚約破棄が、悪い結果になるとは限りません」


 リーゼ専属のメイドであるエリザが慰めてきた。


 どうやら、リーゼが来る前までに、王はリーゼとラテリア王子の婚約破棄をほのめかしていたようである。


 人間の滅亡予告日まで99日

 魔族が滅びるまで109日

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