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私が悪役令嬢にならないと人間が滅亡するらしいので  作者: 西玉


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49 ロマンス小説の悪役令嬢

 侍女のエリザが食事を片付けて下がった後、リーゼは腹の傷に触れ、出血が止まっていることを確認した。

 腹部を貫通したのだ。内臓も傷ついている。

 傷口の縫合技術は、魔族は持ち合わせない。


 どんな傷でも、塞いでおけば治る。それが魔族だからだ。

 結局、リーゼは魔法薬のおかげで一命を取り留め、回復していたのだ。

 全ては、ヌレミアの怒りを知らないまま、主人が監禁されたためにリーゼに仕えているヌレミアの侍女のおかげである。

 リーゼが腹の傷をいたわり、服で隠したところで、庭園からまっすぐに走ってきたらしい魔族将軍レジィが扉を開けた。


「リーゼ! 起きたと聞いたぞ。おおっ! 起きているな! ちょうどいい。支度をしろ!」

「レジィ、いきなりなんなの? 支度って、なんの?」

「聞いていないのか? オレは、リーゼの人間の友達を2人とも許してやったぞ」

「聞いているわ。感謝している」

「なら、約束したはずだ。オレの言うことをなんでも聞くと。さあ、支度をしろ」


 レジィは部屋を大股で横切り、リーゼの服に手をかけようとした。

 リーゼがレジィの手を叩く。


「約束は覚えているし、言うことは聞くわ。でも、何をするのか教えてくれないと、支度のしようがないじゃない」

「なんだ。そんなことか」


 レジィは機嫌がいいようだ。げらげらと笑った。


「重要なことよ」

「それはそうだ。魔王様が祝宴を開く。リーゼも招待された。人間を代表してだ。喜べ。魔王様に会いたかったんだろう?」

「ええ。そうね。でも、祝宴って……なんの祝宴なの? ひょっとして、カレンがお姫様として認められたの?」


「『カレン』だって? 誰のことだ? まあいい。祝宴は祝宴だ。なんの祝宴なのかは知らない。だが、酒が飲めて美味いものが食える。リーゼは魔王様に会える。一緒に行くだろう?」

「ええ。わかっている。すぐに出るの?」


「いや。祝宴は3日後だ。ギェールに乗れば半日で着く。リーゼなら、ギェールも乗せてくれる。それまでに、支度をするんだ」

「わかった。ありがとう」


 リーゼは言いながら、傷口を抑えていた。

 血は出ていない。だが、まだ痛む。

 時折、刺すような痛みをもたらしている。


「2日あれば、傷も治る。ほら。リーゼの友だちの薬を持ってきた。全部飲め」


 レジィは、リーゼにヌレミアの持っていた鞄を押しつけた。


「あ、ありがとう。大丈夫。出かける時までには、必ず準備しておくから。出掛けるまで、レジィは何をするつもり?」


 レジィは支度を急がせたが、今から準備をする必要はない。

 単にレジィが慌てていただけだ。少なくとも、2日は時間がある。リーゼは、レジィがその間に何をするつもりなのか尋ねた。


「そうだな……本を読むか」


 レジィは楽しげに笑うと、口の端を吊り上げた。

 リーゼには、意外な言葉だった。


「魔族の本があるの?」

「いや。魔族は魔法文字しか使わない。魔法文字は力ある文字だ。その文字で本なんか作ったら、大惨事になりかねない。オレが読むと言うより、リーゼの侍女に読んでもらう。どの本にもリーゼが出てくる。面白い」


 レジィがにっかりと笑う。

 リーゼはレジィの屋敷での大部分を、眠ったまま過ごしている。

 どうやら、リーゼの侍女のエリザが、レジィに本の読み聞かせをしているらしい。

 リーゼは、参考書のつもりで人間の間で流行っていたロマンス小説を大量に持ち込んでいた。


 リーゼが参考にするためなので、どの話にも悪役令嬢と呼ぶにふさわしい性格のねじ曲がった悪女が出てくる。

 リーゼとしてはやや複雑な心境ながら、レジィはその悪役令嬢たちが気に入ったのだろう。


「いいわね。私も聞きたいわ。支度は聞きながらでもできるわ」

「よし。リーゼも聞こう」


 レジィは言うと、部屋の外に走っていった。

 瞬く間に戻ってくると、片手にロマンス小説、片手にエリザの手を掴んでいる。


「そ、その本は、もうお読みしたではありませんか」


 レジィのことは知っているし、この屋敷で数日を過ごしているはずなのに、エリザはなぜか及び腰だった。

 レジィは、エリザを引きずるようにつれながら言った。


「もう一度聞きたい。この本が気に入った」

「で、でも、リーゼ様が起きていらっしゃいます」

「わかっている。だから、この部屋に連れてきたのだ」

「リ、リーゼ様、この本はもう読んでおられますよね? 私が読むのなんて、聞きたくありませんよね?」


 エリザが、半ベソをかきながら訴えかける。

 リーゼは、その真意を理解できなかった。


「今の体調では、活字を読んでも頭に入らないわ。でも、読み聞かせてくれるなら、私も聞きたい。だって……私には必要なことだって、エリザも知っているでしょう?」


 リーゼは、悪役令嬢にならなければならない。

 侍女のエリザはその本当の理由を知らず、ただリーゼが悪役令嬢に憧れているだけだと勘違いしている。

 だが、結果としてリーゼは悪役令嬢を演じることで、人間の代表として送り出されるまでになった。


 リーゼにとって、悪役令嬢を学ぶことは重要なのだと、エリザも理解しているはずだ。

 リーゼはそう考えて主張したのだ。

 エリザは覚悟を決めたように椅子に座り、本を開いた。

 エリザが読み始めたロマンス小説は、リーゼもよく知っているものだった。


 架空の国の王子が平民の娘と恋に落ちる。

 だが、王子には婚約者がいたのだ。

 エリザは朗読が上手かった。ついリーゼも話に引き込まれた。

 すでに筋は知っている。


「ここからが面白いぞ」

「そ、そう」


 王子の婚約者が登場する場面になり、レジィが囁いた。

 リーゼが頷く。


「『クリュースレワット、君はなんてことをするんだ』」

「ちょっと待った。昨日は、名前が違ったぞ」


 レジィの言葉に、エリザがリーゼを見た。

 リーゼも知っている場面だった。エリザは間違えていない。


「レジィ、どういうこと?」

「そんな言いにくい名前ではないはずだ。昨日の場面を親友に見せてやりたいんだ。もう一度、ちゃんとやってくれ」


 エリザが、視線でリーゼに訴えた。

 リーゼは、エリザの思いを理解できなかった。

 ただ、求められたという理由で頷いた。

 エリザが頷き返し、視線を本に落とした。


「『リーゼ、なんてことをするんだ』

『まあ、このリーゼが、何をしたとおっしゃいますの?』

『私の連れに何をぶつけた? あれは、牛糞じゃないか!』

『あらっ、殿下、牛糞と馬糞の区別もおできになりませんの?』

『リーゼ! これ以上君とは付き合えない。婚約は破棄させてもらう』

『上等ですわ。せいぜい、馬臭い田舎娘に執着しなさいな』……」


「なっ、名前も一緒だし、リーゼみたいだろ? 人間の本は面白いな。どの本にも、リーゼが出てくる。リーゼは人気者なんだな」

「え、ええ。私も知らなかったわ。エリザさん、後でお話ししましょうね」


 リーゼは、自分の頬が引き攣っているのを自覚しながら、笑みを浮かべた。

 リーゼはその夜、エリザをこんこんと説教したが、エリザがレジィを恐れ、レジィを楽しませるためにあえて悪役令嬢の名前を『リーゼ』に読み替えたのだと知り、怒ることもできなくなった。


 人間が作る架空の物語は面白い。どんな理由だろうと、魔族たちにそれが知れ渡れば、人間を殺そうとしなくなるかもしれない。

 だが、その時にはリーゼがどの本にも出てくる悪役令嬢の代名詞になることは間違いない。

 やや複雑な思いを抱きながら、リーゼはレジィの屋敷で二日間を過ごした。


 翌日は、レジィが従えるドラゴン、ギェールによって魔王城に向かうのだ。

 この間にマーベラやヌレミアに会うことはできなかった。

 2人に直接仕える侍女が看病しているのだと聞かされていた。地下牢で瀕死の状態からは解放されたのだ。

 だが、2人とも現在ではリーゼを恨んでいる。


 リーゼは会いに行くこともできないまま、魔王城に出発する日の朝を迎えた。


 人間の滅亡予告日まで34日

 魔族が滅びるまで44日 


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