48 マーベラとヌレミアの受難 2
リーゼが牢に入るのを、マーベラは獣のような目で見つめていた。
「マーベラさん、大丈夫? 怪我は?」
「寄るな!」
リーゼが牢に入るなり声をかけると、マーベラが叫んだ。
「マーベラさん、わかっているでしょう。私たちはどんなことをしても、人間を生き延びさせなければならないのよ」
牢の外にいるレジィに聞かれないよう、リーゼは小声で早口に言った。
マーベラに近寄る。
マーベラが動いた。
口から、何かを吐き出した。
リーゼは動けなかった。
生まれた時から、ずっと令嬢として過ごしてきたのだ。
何が起きたのかわからなかった。
マーベラが血の混じった唾を吐き、リーゼの頬にぶつかり、流れ落ちた。
リーゼは頬を拭わなかった。
マーベラになぜそんなことをされなければならないのか、理解できなかった。
「マーベラさん、辛かったの? すぐに、レジィに言って……」
「殺せ!」
「どういうこと?」
「父の仇に命乞いなどするか! 今すぐ殺せ! リーゼ! 私をずっと、騙していたんだな。今ここで私を殺さなければ、お前も殺す」
マーベラが吠えるたびに、口から血が滴った。
痛めつけられたのだろう。
リーゼには助けられない。手を差し伸べても拒絶されることがわかっている。
「リーゼ、わかっただろう。こいつは殺すしかない」
リーゼの背後、鉄格子の向こうでレジィが笑みを浮かべていた。
単に面白くて笑っているのだとわかる。
「私は、友達を見捨てないわ」
「解放すれば、お前が殺されるぞ」
「説得してみせるわ。マーベラさん、少し待っていて」
リーゼはマーベラから離れた。何を言っても無駄だろう。
「断る」
マーベラが唸るように言ったが、背後のレジィは笑った。
「心配するな。舌を噛めないよう、歯は全て砕いておいた。自殺もできんよ」
酷いことをする。リーゼは血の気がひく思いで、マーベラに背を向けた。
「彼女のことは、私が知っている。私が教えるから、拷問するのは辞めて」
「ああ。飽きたらな」
レジィは牙を見せて笑う。情報を聞き出すためではなく、楽しむために痛めつけていたのだろう。
リーゼは牢を出て尋ねた。
「あっちの子にも会える? 殺したいわけではないのでしょう? あの子も友達だし、マーベラさんより冷静なはずよ」
「ああ。治療ができるなら、治療してやってくれ」
レジィは別の鍵を取り出した。
「優しいのね」
「また、あの悲鳴を聴きたいものだ」
優しいのではなかった。ヌレミアは、レジィが好む悲鳴をあげるのだろう。
リーゼは暗鬱としたまま、ヌレミアが囚われていた牢の扉を潜る。
牢の外から見た通り、ヌレミアはぐったりとして動かない。
鉄格子は正面にしかなく、横は岩壁になっているため、マーベラとヌレミアは互いの姿は見えていない。
リーゼは両手を縛られたままぐったりと動かないヌレミアに近づいた。
華奢で細目のヌレミアがぐったりとしている様は、あまりにも痛々しく映る。
「ヌレミアさん、意識がないの?」
リーゼが近づき、肩をゆするが、身動きはしない。
「レジィ、この子の荷物はある? 回復させたいなら、この子の物を使うのが一番いいわ」
魔族は優れた文化を持っているが、治癒に関してはほとんど発展していない。
そのことを、リーゼは学んでいた。
それは、魔族は肉体が強靭すぎて、怪我も病気もほとんどしないためだ。
レジィは地下牢から出るまでもなく、通路に置いてあった朽ちかけた机から、小物入れを兼ねた鞄を取り出した。
リーゼは見覚えがあった。
母に宮廷魔術士を持ち、決して体が丈夫とはいえないヌレミアは、鞄いっぱいの魔法薬を持ち歩くのが習慣になっている。
レジィが投げ渡した鞄を受け取り、リーゼは瓶に書かれた手書きの文字から、薬の中身を推測した。
魔法薬は売られている場合もあるが、ヌレミアは市販の薬を使わない。
一本の薬瓶の封を切り、リーゼはヌレミアの口に流し込んだ。
「レジィ、横にして寝ませないと、死んでしまうわ」
「リーゼとオレを殺そうとした奴だぞ。あの悲鳴はもっと聴きたいが、死んだとしても構わない」
「レジィ」
悪役令嬢を演じて強気に迫っても、魔族の将軍であるレジィには効果がないことはわかっている。
「なんだい?」
「もし2人の命を助けてくれるなら、私はなんでも言うことを聞くわ」
「へぇ……もし、魔王様が妻にしたいって言ったら?」
「なんでも、言うことを聞くわ」
リーゼはただ、繰り返した。レジィは笑みを深め、思案げに牙を口腔に収めた。
※
魔族の世界で発展が遅れているものの一つが、治癒に関するものだ。
レジィは地下牢で、リーゼの求めに応じて2人の命は奪わないと約束した。
命は奪わない。だが、治療するとも解放するとも言わなかった。
リーゼには、それ以上を求めることはできなかった。
自らも、重症を負った身である。
地下牢でマーベラやヌレミアに会ったことは、リーゼの体に負担となっていた。
再び体調を崩し、部屋に戻って横になった。
目覚めると、リーゼの専属メイドであるエリザがそばに居た。
リーゼに寝たままにするよう促すと、しばらくして食事を運んできた。
「リーゼ様、魔族はやはりまともな料理をしないようです」
リーゼはベッドから降りて、痛む腹部からの出血がないことに安堵しながら、エリザが用意してくれたテーブルについた。
「そうなの。では、これはどうしたの?」
テーブルに、パンとサラダが並べてある。焼いた肉も少しだけ添えてある。
木のコップに入っている白い液体は、ミルクのようだ。
「厨房を借りました。お嬢様、お食事を摂りながらでいいので、聞いてください」
「ええ。どうしたの?」
リーゼがパンをちぎる。流石に、エリザもパンを焼くことはあるまい。
魔族たちが作ったパンだろう。
硬く、弾力に欠ける。
「入って」
「はい」
エリザに言われて入って来たのは、2人のメイドだった。
見覚えはある。マーベラとヌレミアに、専属メイドとしてついてきた者たちだ。
「立ってくれない? もう、貴族もなにも無いわ」
部屋に入るなりリーゼの前で膝をついた2人に、リーゼは立つように言うと、千切ったパンを口に運んだ。
口の中の水分は一瞬でなくなるが、味は悪くない。咀嚼するのは疲れるだろう。
「リーゼ様、お嬢様をお助けいただいて、感謝の言葉もありません」
「本当に、お嬢様は友人に恵まれました」
口々に言うメイドたちに、リーゼの手が止まる。口の中のパンを飲み込んだ。
「それじゃ、マーベラさんとヌレミアさんは無事なの?」
「はい。お二人とも地下牢から解放され、使用人用の狭い部屋ですが、手当を受けています。監禁されたままですが、どの道当分は動けません」
「そう。よかったわ。レジィは、約束を守ってくれたのね」
「それからリーゼ様、お嬢様から、もし万が一の時があれば、リーゼ様にこれを託すよう預けられております」
メイドの1人が、茶色い瓶を差し出した。
「あなたは、ヌレミアさんの侍女ね。万が一とは、ヌレミアさんに万が一の事態が起きた時でしょうね。ヌレミアさんはまだ生きているのよ。回復するわ」
「はい。でも、お嬢様は動けません。まだ意識も戻りませんし……リーゼ様に託すほかは……」
メイドは、執拗に茶色い小瓶を押し付けてくる。
ヌレミアの意識が戻るかどうかもわからない。
リーゼは、茶色い小瓶を受け取った。
白い紙が貼られているが、文字は書かれていない。
「何の薬?」
「わかりません。ただ、リーゼ様なら有効に使われるはずだと、お嬢様は仰っていました」
リーゼは、肌身離さず持ち歩いていた、危機を知らせる虹色の小瓶を収めたバックに手を伸ばした。
何度も危機はあった。
だが、小瓶が知らせる間も無く、リーゼは巻き込まれて行った。
今も、輝く小瓶は沈黙を守っている。
魔王領にいること自体が命の危機であり、反応すらできないのか、あるいは効果が切れているのかもしれない。
リーゼは、二つの小瓶を小物入れに入れた。
「ヌレミアさんに託されたのはいつなの?」
「王都を出る前、お嬢様がラテリア様の側室として同行することが決まった直後です」
「なら、きっと薬ね。あるいは、魔力の増幅薬かもしれない。ヌレミアさんの切り札なら、そんなところでしょうね。ありがとう。もし、使い所がありそうなら、迷わずに使用するわ」
「はい。お嬢様も喜びます」
「だといいけど」
2人のメイドは、リーゼがマーベラに恨まれ、ヌレミアに敵視されたことを知らないのだろう。
本来の主人が監禁されたままのメイドたちは、リーゼの部屋を整えてから出て行った。
食事を続けながら、リーゼは残ったエリザに尋ねた。
「レジィはどうしているの?」
「戻ったようです」
窓を見つめたエリザの視線を追うと、ドラゴンの背に跨る赤い肌の将軍が、奇妙な植物を植えてある屋敷の庭園に降り立つところだった。
人間の滅亡予告日まで37日
魔族が滅びるまで47日




